unpocketableさん

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大好きな事
 
 
 
 
「水木さん、メシ食わせて欲しいでやんす!」
「またかよ……」
 その日、モグラーズ球場で試合を終え、駐車場に向かった水木卓を待っていたのは、もう何年も前にモグラーズを引退した凡田大介だった。
 ここ半年、凡田は事ある毎に声を掛けてきて、その度に食事をねだっている。
 いや、自分だけではない。
 現役の大神や木村、引退した古沢や畑山、果ては野々村元監督にまでねだっているらしい。
 凡田は現役時代、趣味に散々浪費したとはいえ、先発でも抑えでもエースと呼ばれた事がある男である。
 また、大金の動く仕事に手を出してはいないようである。
 いくら浪費しても使いきれない程度の貯金はあるはずなのだが、それでも金が無くて、自分達にたかっているのだ。
 
 
「俺も現役じゃないから年俸は安いんだぞ?
 明日は他の奴にたかれよな……ほら、乗れ」
 水木は面倒臭そうにそう呟くと、ポケットからキーを取り出してスイッチを押し、車のドアを開ける。
「じゃあ、明後日にまた来るでやんす!
 いやぁ、水木さんはやっぱり良い人でやんす!」
 凡田は開かれたドアに向かって小躍りすると、早速助手席に乗り込んだ。
 水木もすぐ運転席に乗り出し、車を走らせる。
 
 
 
 車を走らせながら横目で眺める凡田は、良く見れば少し頬がこけていた。
 大抵の選手は現役を終えれば、体を動かす機会も少なくなり、大分恰幅が良くなってくるものだが、
 この凡田に関してはむしろ現役時代よりも痩せている印象を受けた。
「お前、痩せたな」
 思っている事をそのまま口にする。
「まぁ、金に困っているでやんすからね。最初に削るのは食費になるでやんすよ」
「博物館作るのにそんなに金使ったのか?」
「そうでやんすね。博物館自体は自宅を大幅改装したんでやんすが、
 やっぱり展示品を集めるのにも結構かかったでやんす」
「集めるのにもって、たかが玩具だろ?」
 ジト目で凡田を見ながら、冷たい口調で言葉を掛ける。
 
 
 だが凡田は胸を張って言葉を返した。
「ふふふ、マニアの世界は水木さんの予想以上なのでやんすよ。
 一品に一千万掛かるような事もあるでやんす」
 
 水木は目を見開いて、再度凡田を一瞥する。
 だが、その目はすぐに冷ややかなものになり、それから哀れみの篭ったものへと変わった。
「お前、馬鹿だろ」
「あんまり褒めないでほしいでやんす」
「褒めてねぇよ!」
 間髪いれずに突っ込む。
 思わず脱力してしまい、シートから滑りかけるが、すぐに背筋を伸ばして姿勢を整える。
「……ま、いいか。金を借りに来るわけじゃないし、お前の生き方だしな。
 博物館も波に乗れば金にも困らんだろうし。趣味が高じてとは、また随分楽しそうな人生だこと……」
「最近、そうでもないでやんすよ」
 凡田が軽い口調でそう言った。
 
 
 
 信号が赤になる。
 水木はブレーキを踏んで車を止めた。
 それを待っていたかのように、凡田が言葉を続ける。
「好きな事を仕事にすると、本気で好きな事を楽しめなくなるでやんす。
 今まで無心で楽しんできた事を、商売っ気の混じった目で見なければいけないのは、辛いでやんすよ」
 
 その言葉に、水木は共感を感じたが、表情には出そうとしない。
 確かに、彼の言う通りだ。
 自分も好きな野球を仕事にして、多くのジレンマを抱える事になった。
 辛く、悲しいジレンマだった。
 だけれども……。
 
「だけれども、でやんす」
 凡田が水木の考えている事と同じ事を口にした。
「……やっぱりオイラ、コレクションが楽しいでやんすよ。
 集めた物や知識を他のマニアに見てもらえるという新しい楽しみもあるでやんす」
 凡田は握り拳を力強く前に押し出し、意味の無いポーズをとってみせた。
「……だろうな」
 水木は小さく頷いてそう返事をする。
 おざなりでも何でもない。
 凡田のその言葉に、心から同意できる。
 気がつけば、水木卓は笑っていた。
 
 
 
 信号が青に変わった。
「今日は、ちったぁマシな店で食うか」
 水木はそう声を掛け、軽い足取りでアクセルを踏んだ。