はちきれんばかりの笑顔という言葉があるが、彼女の笑顔には限度が無いのだから、
 その言葉は当てはまらないだろう、と主人は思う。
 
 
 主人は、彼女……高坂茜、それにリンと共に、真冬の海に遊びに出かけていた。
 アカネから真冬の海に遊びに行こうと誘われた時には、行って何がしたいのか理解できなかった。
 しかし、アカネの強引な誘いを断る事はできず、結局は今、こうやって海を目の前にしている。
 
「主人さ〜ん、リンお姉さ〜ん! 楽しいですよ! こっちで一緒に走りましょう! 青春ですよぉ!」
 アカネは、裸足で砂浜を駆け回りながら言う。
 時期的なせいなのか、砂浜には殆どゴミが落ちておらず、走りやすそうではある。
 だからと言って、走ると楽しいとは思えない主人だった。
 
 
「青春ねぇ……」
 ゆっくりとアカネを追って歩く。
 アカネはそれを待っているかのように、先程から半径5メートルの円を描いて走っていた。
 振り返ると、リンも自分の二、三歩後を付いてきている。
 寒いのは嫌いなのか、コートのポケットに強く手を入れ込んでおり、コートが体に密着するようにしている。
「リン、寒いならアカネと走ったら?」 
「……遠慮しとく」
「暖まるし、それに楽しいらしいぞ。一石二鳥じゃん」
「走って楽しいわけないでしょ」
 リンは鼻息を漏らしながらそう言う。
 それから、目の前で走り周っているアカネを眺めて、言葉を続けた。
「……まぁ、こうやって元気に走っているあの子を見るのは、楽しいけれど」
 
 
「もう、遅いですよぉ! こっちから行きますから!」
 その視線の先にいるアカネが、回るのを止め、二人に向かって走り出した。
 だが、二人に近づいたところで、砂浜に足を取られたのか、前に倒れこむ。
「っと……」
 主人は反射的に、それでいて軽い足取りでアカネの前に移り、倒れようとするアカネを両手で抑える。
 だが、そのままアカネの全身は主人に向かって傾き、抱き寄せられるような体勢となった。
 
「あ〜、転んじゃいました……」
 アカネは主人に向かって顔を上げ、舌を出しながら笑う。
「アカネ……わざと転んだか?」
 ジト目で言い放つ。
「え、えっ? ま、まさかぁ! そんな事ないですよぉ〜」
 アカネはそう言いながらも、主人に寄りかかったままで、身体を起こそうとはしない。
「やれやれ、甘えん坊の妹ね」
 そう言うリンの口調も、普段と比べると確実に柔らかい。
 
 主人は苦笑しながら、アカネの頭を軽く撫でた。
 ……そしてその時に感じる違和感は、彼女を妹と認めた日から続いているものだった。
 
 
 
 
 
 
 
unpocketableさん
 
10000打記念SS
 
離れた手
 
 
 
 
 
 
 
 その日の晩、主人から誘いを受けていたリンは、アカネが寝付いた後に、約束のバーに向かった。
 バーは歓楽街の雑居ビル間に隠れるようにひっそりと造られており、出入口も人が一人通れる程度の狭さだ。
 
 リンが着いた時には、既に主人は店内にいた。
 カウンター席に座って、何やら緑色のカクテルを飲んでいる。
 外見通り店内は狭く、カウンターが4,5席に、テーブルが2席程度。
 店内を照らす青い照明は、店の狭さをより強く感じさせる。
 他に客は一人もいなかった。
 マスターは30代後半の痩せた男で、髪をオールバックにしている。
 この狭い店内でマスターを前に話すような事なら危ない用件ではない、とリンは思う。
 
 
「あ、注文はちょっと待ってね」
 リンは主人の隣に座り、それからマスターに声をかけた。
 仕事絡みの話の前にはアルコールを口にしないのが、彼女のスタイルである。
 
「で、何の用?」
 挨拶も無しに、いきなり用件を聞こうとする。
「そんなに早く飲みたいの?」
「まぁ、そんな所。海で遊んで、帰って家事で、終わったらアカネの遊び相手よ?
 もうカンベンしてほしいわ。エネルギー切れよ」
「嫌じゃないクセになぁ」
 主人カラカラと笑うが、リンのきつい視線を感じ、笑うのを止める。
 それから、背もたれに身体を大きく預け、両手を頭の後ろに回す。
 視界は、発する言葉を捜しているかのように、バーの天井の照明に向けられている。
 神妙な表情だった。
 
 
「なぁ……アカネは何故、俺を選んだんだろう」
「選んだ?」
「そう……。何故、俺を兄として欲したのかな」
「確かに。私なら、アンタが兄妹なんて何よりもゴメンかな」
「茶化すなよ」
 主人はぽつりと呟くと、身体を起こす。
 カウンターに肘をついて両手を組み、そこに顎を乗せてから言葉を続けた。
「アカネは、父親から殴られて育った」
「あ、そういう事」
 リンの声に鋭さが出てくる。
 
 
「そう。自分が唯一頼れる存在から、最も暴力を受けて……それが幼い頃から10年以上も続いている。
 ……アカネは女性だ。男性を恐怖の対象として感じないのは、むしろ異常じゃないのか?」
「そうね……」
 小さく頷く。
「精神医学は真面目に勉強した事ないから、私にも正しい答えは分からない。
 ううん、正しい答えがあるのかも分からないわね。
 ……その上での答えだけれど、アカネは、貴方を男として見ていないんじゃない?」
 主人は言葉の意味が分からなかったが、何も言わずにリンを一瞥した。
 リンは言葉を続ける。
 
「あの子が家族を欲しているのは、分かるわよね。
 それって、私達が思っている以上に強い欲求なのかもしれない。
 その欲求の前では男も女も関係無いという程の強さ。
 だから、純粋に『家族』として、貴方を欲している……」
「理解は出来るが、納得は出来ないな」
 淡々と言う。
「それは私もよ。あくまでも仮定の一つ。
 ……アカネと言えば、これはもう直感レベルなんだけれどね。
 あの子の精神状態はもしかしたら危ない状態なのかもしれない」
 その言葉に主人は反応した。
 それから、視線を完全にリンへ移し、目を大きく見開く。
 
「おい、どういう事だ?」
「ちょっと……ううん、多分杞憂だと思うんだけれど。
 ごめん。やっぱり言えない。
 これは、今、貴方に言ったら、余計アカネが危なくなる可能性があるわ」
 一言一言、言葉を区切って言う。
 そこから、とりあえずは自分に任せて欲しいという一種の自信を、主人は感じる。
 だが彼は、リンの目を見ながら返事を返した。
「………長い付き合いだし、お前の言う事は信じる。
 だけれど、これは問題が問題だぞ。もう少し説明してくれ」
「そうね……ぼかして言えば、アカネへの接し方を変えた方が良いかもしれないの。
 だけれど、本当にそういう事態なのかが分からないままに変えれば、あの子はどうなってしまうか分からない。
 だから、それまでは現状維持がベターって事なの。
 ……これは、早急に調べとくわ。何か分かったら連絡するから」
 有無を言わさない口調であったし、主人としても、それが良いという答えをはじき出していた。
「……頼む」
 主人はそれだけ短く言って、目を瞑り、カクテルを飲み干した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌週の日曜、主人とアカネは二人で街に出かけていた。
 二週連続で週末を共に過ごす事となっているが、大して珍しい状態ではない。
 街に出かける時は毎回、商店街やその他の通りを闊歩し、気の向いた店に入ってみるという、
 特に目的の無い過ごし方をしている。
 それはこの日も同じ事で、二人は昼過ぎから夕方まで歩き続けた。
 
 主人はともかく、アカネはさすがに足が痛くなって来た為、商店街の喫茶店で休む事にした。
 ここで休憩を取ってから解散、という段取りである。
 二人はテラス席に着き、それぞれオレンジジュースとコーヒーを頼んだ。
 
「あ〜、今日もいっぱい遊びましたねぇ〜。もうクタクタですよぉ」
 アカネは笑顔でそう言って、オレンジジュースをストローで吸う。
 言葉ではクタクタと言っており、実際にも疲れているからこうして休憩しているのだが、
 見た目にはその疲れを感じさせない。
 
 その原因はやはり彼女の笑顔だろう。
 見ているだけで彼女のエネルギーが伝わってくる。
 それだけではなく、移ってくる気がする。
 主人は頭の中で自分とアカネの年齢差を数え……それから小さく肩を竦めた。
 20代でそんな事を考えるのはおこがましいかもしれないが、最近、年を取ったと嘆く事がある。
 だが、アカネと一緒にいる時にはどことなく若返った気がするのは、やはりアカネの屈託の無い笑顔のお陰だろう。
 
「主人さん、どうしたんですか? 肩なんか竦めちゃって?」
「え? あ、いや、なんでもない」
 主人は苦笑しながら、コーヒーに口を付ける。
 その際に、ふと、前の席にカップルが座っているのが目に入った。
 自分とアカネも、おそらくそう見られているのだろう。
 自分としてはそれで構わない。
 他人がどう見ようと、自分にとってアカネは守るべき妹である事に代わりは無い。
 だが、アカネは周りの視線をどう感じているのだろうか。
 そう考えると疑問は止まらない。
 アカネは本当に自分の事を家族として欲しているのだろうか。
 アカネは男性に対して、結局の所、どういう感情を持っているのだろうか。
 アカネはこれからどういう人生を望んでいるのか。
 
 自分はもしかすると、アカネの事を何も知らないのではないか……。
 
 
「なぁ、アカネ……」
 言いかけて、胸ポケットに入れていた携帯が振動した。
 携帯を取り出して用件を確認する。メールの受信である。
 送信者は小料理屋赤嶺。本文には『新酒が入りました』とある。
 実際の所、小料理屋からの連絡でも新酒が入ったとの知らせでもない。
 白瀬からの、合流要請だった。
 
「あ……ごめん、急用が入ったみたいだ」
 この時期の合流連絡なら、恐らく定期報告が目的だろう。
 面倒くさそうに頭を掻きながら立ち上がる。
「いいですよ。気にしないで下さい。どうせ今日もそろそろ解散ですし」
「ホント、すまんな。そのうち埋め合わせするから」
 そういって財布から千円札を取り出すと、机の上に置く。
「じゃ、私はこれ飲んでから帰りますね」
「おう。じゃあな」
 主人は、細かい詳細を確認する為の返信メールを打ちながら、小走りで喫茶店を後にした。
 
 
 
 
「主人さんも色々大変なんですねぇ」
 アカネは走り去っていく主人を眺めて苦笑した。
 主人はやがて、横道に曲がって見えなくなる。
 もう見えるのは、多数の通行人だけだ。
 
「……早く飲んで帰ろっと」
 視界をオレンジジュースに移そうとして、はっとする。
 視界を移す直前に、見覚えのある人物が見えた。
 ゆっくりと、腫れ物にでも触るかのように、視界を再度商店街の通りに移す。
 
 その人物は青い髪をポマードでしっかりと固め、横髪には白いものが見えている。
 細いメガネを掛けていた。
 痩せこけた頬と、鋭い目つきが、アカネの肩を震わせた。
 その人物はアカネを認識すると、一歩、一歩、アカネに近づいてきた。
 こちらを見ている。
 怒りと憎悪の篭った目で、こちらを見ている。
 対照的に、アカネの目から光が失われだした。
 
 
「取引先に家庭状況を調べられたよ……お前の家出でこちらは大失態だ」
 高坂章正は頬を引きつらせながら、アカネの前に立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の夜。
 主人は、寮の自室でベッドに寝そべりながら、白瀬からその日に渡された経過報告書を眺めていた。
 潜入捜査官は主人であるが、その主人が報告した内容のうち、
 更に調査を必要とするものや、主人の環境では解明が難しい自体についてはCCR本部で調査が行われる。
 主人が読んでいる報告書には、そのCCRの調査結果が記載されていたが、
 その内容の大半は前回と変わらず『未だ不明』となっている。
 現在の彼の打ち込み具合は、言葉通り眺める程度であった。
 
 突然、ベッドに放り投げていた携帯が振動する。
 主人は資料を足元に放り投げると、身体を起こして携帯を手にし、再度ベッドに身体を預けて内容を確認する。
 ディスプレイには『着信:アカネ』と表示されていた。
 
 
「はい、もしもし」
「あ。主人さん。アカネです! どうも、こんばんわぁ!」
 アカネの声のテンションは普段以上だった。
 相手の表情が見えないにも関わらずそう感じるという事は、相当な状態なのだろう。
 何か良い事でもあったのだろうか、と思うが口には出さない。
「分かってるよ。夕方はすまなかったな」
「いえ、いいんですよ! それより……あのですねぇ」
 アカネが僅かに間を置く。
「ええと、今から遊びにいきませんか?」
「はぁっ?」
 返事が思わず裏返った。
 部屋の目覚まし時計を見ると、午後9時を少し回った辺りを指している。
 同年代からの誘いなら問題無いだろう。
 だが、相手はアカネだ。
 思わず苦笑しながら、言葉を続けた。
「アカネ……今何時か分かってる?
 いや、固い事いうつもりは無いけれど……お前がこの時間に外を出歩くのは、どうかと思うぞ。
 まぁ……どうしてもって言うなら付き合うけどさ。
 あ、出てくる時はリンと一緒に出ろよ?」
 
 アカネの返事は無かった。
 携帯からは、かすかなアカネの息遣いだけが漏れている。
 その瞬間、ふっ、と小さな黒点のような感情が主人の中に生まれた。
 いわゆる、嫌な予感だった。
 
「お、おい、アカネ?」
「そうですよね……嫌ですよね……」
 聞こえてきた声からは生気が感じられない。
 どこかで聞いた声。
 ……アカネが、父親から殴られていた時の声。
 ただ、一点だけが違う。
 声は、涙声だった。
 黒点は瞬時に大きな穴となり、主人の心を抉った。
 
「嫌なら、会うわけにはいきませんよね。
 あ。今までも嫌々だったのかもですね。あはは……」
「何言ってるんだよ? 違うって。何か勘違いしてるぞ」
 慌てて起き上がり、通話を続けながら、早歩きで部屋を出る。
「いいえ。もう、いいんです」
「アカネ! すぐ行くから! 今どこだ? どこに……」
 
 そう叫んでいる最中に、アカネから電話を切られた。
 無情な電子音だけが聞こえてくる。
「くそっ!」
 主人は駆けた。
 当然寮の門限は過ぎているが、玄関の鍵を開けて外に出る。
 同時に、着信履歴からアカネに電話をかけなおしたが、繋がらない。アカネは電源を切っているようだった。
 腹立たしい! なんとかならないのか!
 
「くそっ、嘘だろ……」
 胸の鼓動がペースを増している。
 両手に冷気が走った気がする。
 
 
 ――危ない状態なのかもしれない――
 
 
 リンの言葉が脳裏によみがえる。
 そうだ、まずはリンだ。
 主人は携帯のアドレス帳からリンの番号を選択すると同時に、リンの家に向かって走り出した。
 
 
 
 
「やっちゃったわね」
 外に出ていたリンとは、結局ホッパーズ球場傍の公園で合流したが、
 合流するなり、リンは低く、冷たい声でそう呟いた。
「どういう事だ! アカネは一体どうなってるんだ! 今どこに!」
 裂帛の気でリンに詰め寄る。
「ちょっと、落ち着きなさいよ」
「落ち着いていられっ……!」
 なおもリンに詰め寄り、襟元を掴もうとしたが、逆に足を払われた。
 同時に上半身が前方に押し出されるように体勢を崩すが、払われた足をすぐに前に出し、踏みとどまる。
 白い息を吐きながら振り返った。
 だが、今度は何も言わず、リンを言葉を待つ。
 
「……貴方、アカネを泣いた所、見た事がある?」
「……いや、無い」
「やっぱりそうよね」
 リンは俯きながら嘆息するが、すぐ主人に視線を戻す。
「……あれからもう少しあの子の事を調べて……分かったの。
 あの子は、泣かない。それは実は重大な問題であり……どうも、今回貴方がアカネを泣かせてしまったようよ」
 きつい視線が送られる。
 主人は何も返事をしない。
「あの子は、父から暴力を受けていた。迷惑な存在と蔑まれてきた。
 あの子はその状態から……父親から逃げるために、心を折ったの。
 何も考えない、感じない。……そうやって逃げているから、泣かない。
 でもね。そんなの限度があるわ。いつかパンクする。そうしたらあの子、どうなってしまうか……」
 主人は視線を地に落とす。
 不意に、アカネの笑顔が脳裏に浮かんだ。
 何に対してなのか分からない忌々しさが浮かび、思いきり地を蹴った。
 
 
 
 リンは更に言葉を続ける。
「あの子は、やっぱり私達に家族という暖かさを求めていたのだと思う。
 父に殴られ、頼る者がおらず、心を折った……それでも、ううん、それだからこそ家族が欲しかったのよ。
 今日、貴方と別れた後のあの子に何があったのかは、分からない。
 だけれども、おそらく、心から家族の助けを必要とする状態になって、貴方に連絡を入れたのでしょうね」
「そこで、俺が僅かでも会う事を渋ったから……手を差し伸べなかったから、こうなったのか?」
「トレースし難い反応でしょうけどね。そういう事」
 
 主人は天を仰いだ。
 星が見えない。
 月も見えない。
 曇りの夜空。何も見えない夜空だ。
 
「……俺はどうすれば良い?」
「はっきり言うと、何もしちゃ駄目。貴方と今のアカネが会う事は逆効果よ。
 ……ううん、もしかしたら、二度と会うべきではないかもしれない」
 
 何も言い返せない。
 リンの言う通りだ。
 
「そんなのって……アカネは……それじゃ、アカネは……」
 両膝が地に落ちる。
 風だけのせいではない妙な寒気が、全身を襲う。
「………」
 リンは何も言わない。
 ただ……ゆっくりと拳に力を入れた。
 それから目を大きく見開き、公園の出口に向かって踵を返す。
 込められた力は、怒り。
 アカネの父への、難題な対応とはいえアカネを泣かせた主人への。
 そして、自分の勘を主人に伝えなかったという判断への怒り。
 
「まだよ」
 強い声だった。
「まだ、私がいるわ」
 リンはそのまま、公園を出た。
 
 
 
 
 
 公園には一人主人が残った。
 膝を付いたまま、立とうとも、崩れようともしない。
 何も言わず、その姿勢のまま呆然としていた。
 
 辛い。
 何も出来なかったから辛い。
 何もしてはいけないから辛い。
 
 アカネを失ったから辛い。
 アカネを泣かせたから辛い。
 アカネが自分よりも辛い思いをしているから、辛い。
 
 
 自分はアカネの期待に応える事ができなかった。
 彼女の兄を気取って。彼女を守れると気取って。
 結局、彼女を崩壊させたのは、その気取り屋の自分だった。
 そうやっていくら自分を責めても、責め足りない。
 いや、こうやって自分を責める事さえも卑劣な行為だ。
 自分を責めるのが一番簡単。
 自分の中で処理できるから一番簡単。
 本当に大切なのは、責める事ではなく、アカネをどう助けるか。
 だが、今の自分にはそれさえも出来ない。
 
 どうすれば良いのだろう。
 どうあれば良いのだろう。
 答えが分からないのだろうか?
 そうではない。一つだけ分かる。
 気がつけば、身体が……心が、その答えを実行しだした。
 
 主人は泣いた。