人生というのは坂道だって、どこかで聞いた事がある。
途方も無い坂道もあれば、緩やかな坂道も。
既知の坂道もあれば、未知の坂道も。
今まで、そんな事を真剣に考えた事は無かった。
「ヒーロー参上っ! ハハハ、この試合は俺達に任せろ!」
あんな奴等……それこそ、途方も無い坂道を目の当たりにするまでは。
俺の高校生活、野球生活はどうなるというのか。
急な坂道を登り続けるのは、誰だって嫌だ。
だから、たまには緩やかな坂道を登りたい。
そう、例えば恋愛なんか、ちょうど良いかもしれない。
普通の高校生らしいし、ヒーロー達に比べれば、その勾配は緩やかだ。
………ただ、いくら考えても、坂道である事に変わりは無いのだが。
「主人君、何さぼってるでやんすかっ?」
ほうきを手にした湯田が駆け寄ってきた。
「あぁ、ごめん、考え事してたんだ」
「主人君が考え事って、らしくないでやんすねぇ」
「そんなに褒めるな」
やけに胸を張る主人。
「……やっぱり、主人君でやんすねぇ」
「ほらほら、主人君に湯田君、開場までもう時間無いんだから、掃除は急いで」
窓際で飾り付けを行っていた東が、苦笑しながら声をかける。
「ぬ、主人君のボケボケのせいで、オイラまでサボり扱いでやんす!」
地団太を踏む湯田を背に、主人は手に持っていたメニューを机の上に並べ始めた。
「まぁまぁ、本当に時間が無いんだから急ごうよ」
「う、うぐぅ、でやんす」
「湯田君が言っても可愛くないよ」
再び東。
「「あ、東先輩、分かるんですか(でやんすか)……」」
主人と湯田が声を揃える。
東は歯を見せて、意味深な笑みを浮かべた。
完璧超人、東優、恐るべし。
学園祭、である。
花丸学園では、クラス単位ではなく部単位で出展を行わなくてはいけない。確か。
となると、当然野球部も、である。
素直にグラウンドを使って、野球に絡む出展を行えば良かったのに、どうした事か喫茶店。
メイドカフェを開こう、という誰かの強烈なプッシュがあり、部内の意見もそれに傾いていたのだが、
そういった偏った傾向は嫌だ、という誰かの強烈な反論があり、結局は折衷案として、ただのケーキ喫茶となった。
メイドカフェになった所で、マネージャーの霧島がやってくれるか、という問題はあったのだが。
「霧島さんのメイドカフェになったら、相当な収入が見込めたかもね」
窓際で飾り付けを行っていた顔のでかい男が、誰にも聞こえない位の小声で呟いた。
それから顔でかは、机の上にメニューを並べている主人をもう一度見やる。
主人は小さく嘆息を零し、胸の辺りを軽く小突いていた。
顔でかは飾り付けを中断し、主人の背中を軽く叩いた。
「主人君、どうかしたのかい?」
「顔で……あ、東先輩。いえ、何も……」
「なら、良いんだけれど」
東は小さく頷くと、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
広げると、中には今日の当番者スケジュールが記載されている。
ふむ、ともう一度頷く。
まるで何かの複線かの如く。
完璧超人は便利だなぁ。
パワプロクンポケット7
緩やかな坂道
幹事さんお疲れ様SS
「せんぱぁい、遊びに来ましたぁ!」
勢い良く扉が開けられるのと同時に、甲高い声が、午後三時の喫茶店内に響く。
倉見春香は片手を挙げて、中に入ってきた。
ちょうど当番として店内にいたのは、東、主人、湯田、台場、阿部様。
『先輩』の言葉に反応して、湯田と台場の目線は主人に。
阿部様の目線は東に。
ごくり、と誰かが唾を飲み込んだとか、飲み込まなかったとか。
「あ、春香ちゃん」
カウンターで暇そうに突っ伏していた面々の中から、主人が顔を上げる。
「阿部様、どう推測する?」
台場が手で口元を覆いながら阿部様に問う。
「東先輩の先行逃げ切り」
「そうか? 東先輩もう土俵際だろ」
「無いって。僕の言う通りだ。これまで僕にミスがあったかい?」
勝ち星を消され続けた先発のメガネが、忌々しげに舌打ちをしたとか、しなかったとか。
「先輩のケーキが食べられるんで、私、まだ他の出店では何も食べてないんですよ!」
そういって、春香は………主人に向かって微笑んだ。
その後に、接客中の東にも一礼をする。
おぉ、と小さな声が外野から発せられた。
「ありゃ。春香ちゃんごめん、俺が作ったケーキ、もう全部お客さんに出しちゃったんだよ」
主人は頭を掻きながら、申し訳なさそうに眉を下げる。
「え、嘘っ?」
「ホント。ほら、そこのお客さんが食べている分で最後」
そうする必要は無いのに、主人は、近くの席でケーキを食べている太った男に手を向ける。
男は湯田の知り合いのようで、主人の言葉を気にも留めず、なにやら湯田と熱心に会話をしていた。
マニアの道は険しくお金がかかるとか、かからないとか。
「あぁ、そうなんですかぁ」
春香は大げさに肩を落としてみせる。
はぁぁ、と大きくため息をついた。
「取っとけば良かったなぁ。ええと」
主人は小さく言葉を区切った。
「じゃ、お詫びになんか外でおごるよ」
「え、やた!」
一転、右腕でグッとガッツポーズを取ってみせる。
「ええと、休憩までは、あと……」
主人が腕時計を見やる。
後一時間以上はあった。
「はい、お疲れ様」
不意に、接客を終えた東が近づいてきた。
「主人君、今日はもう上がりで良いよ」
「え? でも、まだ時間が……」
「いいから、いいから。女の子を待たせるわけにも行かないだろう?」
春香は、恐縮だといわんばかりに頭を掻く。
「先輩、すみません……じゃあ、後はお願いします」
二人は一礼すると、部屋から出て行った。
ピシャン、と音を立てて扉が閉まる。
………。
……。
…。
「さ、皆、店じまいの準備だ」
適度な間の後に、東は面々に声をかける。
突然の事に、当番達は何の事だか分からない。
東は構わず店の外に出ると、喫茶店の看板に手をかけた。
野球部ケーキ喫茶店 10:00〜17:00
ケーキもあるけど、紅茶もあるよ
〜メニュー〜
ケーキ 20円
紅茶 20円
ケーキ 200円
紅茶 200円
20円のケーキ及び紅茶は、どの様な出来なのかはさて置いて。
良く見ると、閉店時間の部分がシールになっていた。
それを、ぺりぺりと剥がす。
野球部ケーキ喫茶店 10:00〜15:00
店じまい、である。
「ぬっしびとせんぱぁい、こっち、こっちぃ〜!」
くるくると回るような足取りで、春香は校庭の出店の間を駆け抜ける。
両手には、リンゴアメとバニラソフトクリーム、それに未開封の綿菓子。
加えて、ここまでくる途中に食べたのが、別の喫茶店のクッキーとケーキ。
乙女の甘い物用胃袋は、なんとやら。
もっとも、主人の分の出費を含む、しめて1500円の出費がそれなりに痛い主人にとっては、その食欲を気にする余裕など無かった。
「は、春香ちゃん……今度は何食べるの?」
もう食べませんよ、という言葉を期待しつつ。
「えっと、今度はー」
愉快そうに出店を見回す春香。
思わず泣き出しそうになった主人だが。
「あ、先輩、あれ……」
春香が紫色のテントを指差す。
『占いの館』という看板が立っていた。
店名よりも先に『見料無料』に目がいったのは、ここだけの話。
「私達の相性占ってみませんか? というか、占いましょうよ!」
占いというと、どうしても連想してしまう事がある。
それを意識しての誘いか、そうではないのか。
主人は春香を一瞥する。
相変わらずニッコニコと笑っている。
天然、のように見えるのだが……。
「そだね。入ってみようか」
冷静を装って頷くが、なかなかどうして、心臓はそれなりに鼓動が早まっている。
二人がテントの中に入ると、薄暗い中、三つの席が設けられていた。
それぞれの席間には区切りがあって、席の向こうには占い師と思わしき者がそれぞれ座っている。
左から順に、フードを被った女性。
顔の丸々した女性。
真っ白なペインティングに蝶形のメガネでトランプを切っている男。
一番右のなるほど! ザ・ワールドは真っ先に除外。
真ん中の女性も小声で「アンタ地獄に落ちるわよ」とか呟いていたので除外。
消去法で、フードの女性がいる席に座った。
………よって、二人が席に着いた直後に入ってきた、女装東&湯田、女装阿部様&台場は、胡散臭い占い師の前に座る事になった。
「さぁ、何を占いましょうか?」
フードを被った女性が問う。
高校の出店なので、当然占い師は全員同じ高校生(一部例外あり)なのだが、なかなかムードのある語りだった。
「ええと……」
流石の春香の声量も抑え気味になる。
占いの項目をゆったりと指で辿っていって……止まる。
止まってから確実に間が出来たが、春香はとにかく口を開いた。
「恋愛相性……で」
余計声量は抑えられている。
春香を横目で見る主人。
一方の春香は目線を合わせようともせず、ほんのりと頬を赤く染めながら、項目を眺め続けた。
「話の種になりそうですねぇ、あははぁー」
「そ、そだね。はは、は……」
えぇい、イライラするでやんす! と隣の席から聞こえてきたのは、気のせいだろう。
更にその奥から、だがそれが良い、と聞こえてきたのも、同じく。
「では、お二方のお名前を」
「主人公」
「倉見春香」
「血液型は?」
「A」
「B」
「付き合われて、どのくらいになります?」
「「つっ、付き合ってなんかっ!」」
二人の声が重なり、思わずお互いの顔を見やる。
それから、大赤面。
「ふふ、0ヶ月、と……。それでは、占わせて頂きますね」
占い師は苦笑すると、タロットカードを切り出した。
手順は………分からないので省略。
ただはっきりとしているのは、その最中に他の席から、
「まだ死にたくないでやんす!」とか「今の手品もう一回やってくれっ!」とか聞こえてきた事。
「さぁ、出ました」
占い師は最後のカードを開き終えると、厳かに顔を上げる。
「お二方の相性は……」
占い師に釘付けになる二人。
「非常によろしいようですよ。もし付き合われたら、うまくいく事でしょう」
「「そ、そうですか……」」
恥ずかしげな二人の声が、また重なる。
「ただし」
占い師の言葉が続けられた。
「倉見さんにの周りには、他にも素敵な男性が他にもいるのでは?」
「えっ? あ、えっと……」
春香は返事が出来ない。
これまでの中で、最も狼狽した様子。
主人は無表情で、春香を見た。
「……緩やかな坂、ですね」
占い師の言葉は、最後まで厳かだった。
花丸高校学園祭では、締めとして、不要となった学園祭関係道具を、校庭でキャンプファイアーのように燃やす。
その様子に差し込んでいる暮れゆく陽は、その赤みを更に増したように見えた。
そしてその周囲で、人々は己の好きな踊りを披露するのが、もう何十年も前からの慣例だ。
友人同士、恋人同士、師弟同士。
生徒も教師も外部の人間も。
間柄に何の縛りも無く、皆、楽しく踊っている。
大抵の者はこれに参加し、未参加者は帰宅する為、この間校舎に人気は無い。
だが主人の誘いで、主人と春香は、人気の無い校舎の教室からその様子を眺めていた。
「綺麗ですね、先輩」
春香は机の上に腰掛けて、窓越しに外を眺めている。
その隣で主人は、立ったままで、同じく外を眺めていた。
「ん、そだね」
「先輩、踊りたくなかったんですか?」
「ん、まぁね」
「……先輩?」
春香が机から飛び降りる。
じっ、と主人を見上げた。
言わなければいけない、と主人は思う。
口を開こうとする。
なんだか、妙に重たい気がした。
……大丈夫、これ位、緩やかな坂道だ。
「その、聞きたい事があって、さ」
「はい!」
「俺達ってさ、休日とか一緒に遊びに出たりするじゃん」
「そうですね!」
「それってさ。東先輩と行ったりする事もあるの?」
「………」
春香の口が止まった。
だが、相変わらず、その目はじっと主人に向けられている。
主人も今度は、眼を逸らそうとしなかった。
身長差は、2,30cmだろうか。
微妙な、距離感だった。
「先輩」
春香はふっと肩の力を抜くと、両口端を下げた。
その目は、穏やか。
暖かく、笑っている。
「実は、夏に、東先輩に言われたんです」
何を? と安直に聞く勇気は、主人には無い。
だが、それは杞憂であった。
「主人先輩は良い人だよ、って。
………先輩とだけですよ。……その、デートするの」
春香の頬が、夕日に染まる。
綺麗だった。
ただ、ただ、綺麗だった。
「…好きです。先輩の事」
春香は両手にグッと力をこめる。
「色々迷惑おかけしましたけれど」
「……ん」
これからも、かけさせて下さい」
「………」
春香は全力で主人の目を見た。
不安と、期待の交錯。
それから主人が発した言葉が、その気持ちの片方をより強くした。
「ごめん」
「えっ?」
春香の目が大きく見開かれる。
青く切ない気持ちが、ぐっと浸透してきた。
二の句が繋げない。
……だが、先に主人がそれを繋いだ。
「ごめん……その、先に言わせちゃって」
「せ、先輩……!」
どこかでせき止めていたのだろう。
春香の目に、ぶわっと涙が浮かんだ。
主人はぎこちない手つきながら、それでも笑顔でハンカチを取り出し、それをぬぐう。
むずがゆく、良い意味で居心地が悪い。
だが、ここで決めなければ。
主人の影が、そっと春香に近づく。
それに引き寄せられるかのように、春香の影も主人に近づいた。
ゆっくりと、ゆっくりと………。
ぐぁっしゃぁぁぁあんっ!
豪快な物音がして、扉が前倒しに崩れる。
慌てて離れる二人。
見ると、湯田、台場、阿部様が扉と共に倒れている。
その背後に、あちゃー、と言わんばかりの表情で立っている東。
阿部様がまだ女装をしているのは、この際無視しよう。
「みっ、皆! なんでっ?」
主人の声がしっかりと裏返る。
「なんでって、きまってるだろ」
「そそ。出歯亀です、出歯亀。青春高校生のたしなみですよ」
「……どこかでオイラの兄弟が同じ事やっていた気がするでやんすね」
「お・ま・え・た・ち・ぃ〜」
主人公の筋力、技術ポイントが999ずつ上がった。
パワー・パワー・パワー・弾道・弾道・弾道・パワー・パワー・パワー以下略。
パワーA、弾道4。
「絶対ゆるさんっ!」
「ゲェー、だ、台場君、さっさと退くでやんす!」
「そ、そんな事急に言われても」
「き、きましたよっ!」
「「「ぎにゃ〜〜〜!」」」
そんなドタバタの奥で、ただ東が笑いかけている。
怒りに我を忘れる主人と、呆然としている春香に向かって。
その笑顔に気がついた春香も、
同じ笑みを返した。
ペコリ、と小さく会釈。
この愉快さが、幸せなんだ、と思う。
「ハハ、アハハッ! もう、主人先輩ったら、なんしてるんですかぁ?!」
笑みは声になる。
主人は全く気がつかず、
三人を締め上げる。
緩やかな坂道には、
躓いてしまう小石が転がっていた。
でも、
良いじゃないか。
躓いてみると、色々楽しい。
緩やかな坂道を彩る人々と共にいる事は、なかなか楽しい。
急な坂もある事は分かっているが、だからこそ今は、この普通が楽しい。
共に坂道を登る人がいれば、なおさらだ。
ゆったりと。
一歩ずつ。
歩こう。
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