日曜日が来た。
 河島が来た当日も含めれば二度目の日曜日であったが、
 一度目は彼の出現にドタバタとしており、普通の日曜日とは言い難いものであった。
 よって、彼らが日曜日を純粋に満喫できるのは、この日が始めてである。
 のだが……


(こんな奴がいる時点で、満喫も何もあったもんじゃないけれど……)
(ん? どうかしたか?)
(別にぃ)
 興味深そうにキョロキョロと周囲の建造物を見回しながら歩く河島。
 そして、気だるい足取りでその後ろを歩く四柳の姿が、町外れにあった。



(で、四柳よ、あの派手な色合いの店は何なのだ?)
 河島がファーストフード店を指差す。
 とは言っても、全国区のチェーン店ではない個人経営店で、ひと気の無いうらぶれた店であった。
(あれはハンバーガー屋……軽食屋だよ。お前の好きなポテトもあるぞ)
(素晴らしい! 寄っていこうではないか!)
(お前に食わせても意味ないじゃん。また今度な)
(ふむう)
 河島が肩を落とす。

(では、これは何なのだ?)
 次に指差したのは、すぐ傍の工事現場であった。
 四階建ての鉄筋コンクリートビルで、もう全体の骨格は出来上がっている。
 上階に、数本の鉄筋が無造作に置かれているのが見えた。
 工事現場に掲げられた許可証には『大神グループ』の文字が記されている。
(工事現場だよ。大神ん所の建物みたいだな)
(ふむふむ)
 河島が工事現場を眺める。

(む……あれは?)
(今度は何だよ……)
 再三の河島の質問に辟易していた四柳が、眉をひそめて河島の指差す先を見る。
 だが、次に河島が指したのは建造物ではなかった。




「あ、唯さん」
「四柳君!」
 河島が見つけたのは、クラスメートの神木唯だった。
 四柳が反射的に声を掛けると、彼女は大きく手を振って応え、駆け寄ってきた。
 暖かそうな、丈が少し短い紺色のコートと赤色のマフラーを纏っているが、
 コートから覗く黒のストッキングからは、上半身とは対照的に少々寒そうな印象を受ける。

「学校の外で会うの、久しぶりだね」
 先程までのしかめっ面はどこへやら。
 河島も笑顔で彼女を迎える。
「そうねえ。野球部の頃は会う事も多かったけれど、最近はあまり無かったわよね」
 唯は脇に抱えた紙袋を抱えなおしながら相槌を打つ。
 茶色の小さな紙袋である。
 紙袋の周囲では、微かに湯気のようなものが漂っていた。


「あ、これ?」
 四柳の視線に気がついた唯が顔を赤らめる。
「えっとね……お芋。
 さっき石焼き芋屋さんが通ってて……つい買っちゃったの」
「はは、美味しいもんね」
「そうそう! そうよねえ! 冬に食べると特に!
 石焼き芋が嫌いな人って絶対いないと思うわ」

 焼き芋の事で盛り上がる二人。
 実際の関係は別として……その様子は、なかなかに仲睦まじいものであった。



(おうおう、四柳は相変わらず女子の『お友達』が多いのだな)
 そんな光景を眺めながら、河島がにやける。
 
(だ、だから唯さんはただの友達だって……)
(ううん? 俺もそう言ったではないか。『お友達』が多いのだなと。
 何を深読みしておるのかね、四柳くぅん?)
(この野郎め……)
 顔では唯に対して笑いながら、心では河島に悪態をつく。

(ははは。しかしお前、あまり手広いのも……お?)
 河島が上を向きながら笑い飛ばす。
 だが、その思念は途中で途切れた。
 河島の視線は、上空の一点に向けられている。





 ビルの最上階で、猿のような獣が鉄筋を手にしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走八日(日)「再襲撃」
 
 
 
 
 
 
 
 
 猿が鉄筋を捨てるようにして放り投げる。
 河島が実体化したのは、それとほぼ同時だった。

「危ないっ!!」
 河島が声を張り上げて、四柳と唯に飛びかかる。
 勢いそのままに二人を地面に押し倒す。
 河島の足元が揺れ、鉄筋が土の地面に突き刺さる音がした。


「ってえ! なにが……か、河島っ?」
 四柳は狼狽する。
「お、お前、なんで実体化……」
「それどころではない! 猿だ!」
「猿?」
 突然の事態に、即座には河島の言葉が飲み込めない。
 一方の河島は四柳を無視し、身体を起こしてビルを見上げた。

「おらぬか」
 河島は一瞬顔をしかめたが、すぐに周囲を見回す。



「……あ、猿って、あの!」
 四柳が、ようやく河島の言葉を理解する。
「やっと分かったか。はよう立たんか」
「おう。……あっ」
 冷静になった所で、もう一つの由々しき事態に気がついた。
 隣を見ると、口をぽかんと開けた神木唯が、四柳と河島を交互に見ている。


「あー……唯さん、怪我は無い?」
「な、ないけれど……えっ、ええっ?
 軍服を着た四柳君が、いきなり何も無い所から……ええっ?
 手品? 双子? ドッキリ?」
「むむ」
 四柳はぽりぽりと頭を掻きながら立ち上がり、唯に手を差し伸べる。
 彼女はその手を掴んで立ちはしたが、まだ混乱しているようだった。




「全部話す他あるまい」
 まだ周囲を警戒しながら、河島がぽつりと呟く。
「そうだな。無関係でも無いんだし」
「ど、どういう事……?」
 唯が河島を見上げるようにして聞いてくる。
 生々しく地面に突き刺さった鉄筋を見たからであろうか、少しおびえている様にも感じられた。

「落ち着いてから話すよ。
 河島、とりあえず日の出神社に行こう」
「上手く奴から逃げられたらな。いたぞ」
 河島が工事現場の隅を睨みつけながら言う。

 目を光らせた猿が、物陰からこちらの様子を伺っていた。
 先日の獣であった。





「ギィ……」
 猿が腹の底から押し出されるような声を出して、一歩近づく。

「四柳君……」
 唯が四柳のコートの裾を掴み、不安そうな声を漏らした。
 事情を知らない彼女であったが、何か危険な事に巻き込まれているのは分かるのだろう。

「大丈夫」
 優しい声を掛ける。
 だが、相手は一般的な獣を凌駕する身体能力の持ち主である。
 この場を切り抜ける為の妙案の持ち合わせは無い。


「さて、どうするかな。
 黄無垢なら話し合いの余地はあったけれど、猿の方が来たか。
 普通の猿ならボールをぶつけた事あるんだけれど」
 唯を隠すように一歩前に足を踏み出して呟く。
「お、お前、酷い事するのだな」
 河島は目線を切らずに返事をした。
「それほどでも……きたぞ!」



 猿が身体をゴム鞠のように跳躍させて飛び掛ってきた。
 河島が前に出て迎え撃つ。
 ガッシリと組み合う両名……
 だが、それは一瞬の事だった。

「むぐっ!」
 河島が歯を食いしばりながら声を漏らす。
 やはり腕力では勝ち目が無いようで、彼の身体が猿に押し潰されかける。

「河島!」
 四柳がそこに割って入ろうと足を踏み出す。
 それを感じ取ったのか、猿は腕を振り回して河島を跳ね飛ばした。
 河島の身体が、四柳に向かって飛ばされてくる。

「!!」
 前傾姿勢となっていた四柳は、それをかわす事はできない。
 そうして、両者の身体はぶつか……らなかった。




「あ、あら……?」
 四柳が声を裏返らせる。
 ぶつかる直前で、河島の姿が消えた。
 だが、その理由を考えるよりも先に、四柳は自身の身体の変調に気を取られた。

 全身の部位が、時折意識していない動きをするのである。
 身体の自由が利かないわけではない。
 まるで、二人で一つの身体を動かしているような……



(すまん。急であったが憑依したのだ)
 唐突に、脳内に河島の声が響いた。
 普段の、姿は見えずともどこからか送られてくるような思念ではない。
 自身の内部から湧き上がるような声であった。

「ひ、憑依ってお前……」
(話は後だ!)
 強い思念が届くのと同時に、弾けたように身体が動く。
 猿に向かって猛然と突っ込む身体は、これもまた人間離れの勢いを持っていた。
 自身の意思で動いたわけでは無い事もあってか、車に乗っているような錯覚も感じる。
 だが、それは間違いなく四柳知佑の身体であった。



(おおおおっ!!)
 たちまちに猿の前に躍り出る。
 同時に、河島の意思によって腕が振りかぶられ、猿の脇腹へとめり込んだ。

「ギイッ……!!」
 猿が強い呻き声を漏らす。
 その一撃に面食らったのか、猿はすかさずバックステップで距離を取る。
 四柳の攻撃範囲から脱出した猿は、そのまま背を向けて、猛然と工事現場の裏の林へと駆けていった。

「………」
 河島はもう身体を動かそうとしなかった。
 唖然とした四柳も、自ら動こうとしない。
 そのまま五秒程待ったが、猿はやはり逃げたようだった。





(な、何とかなったな)
 河島が安堵の思念を漏らす。
 
「……いや、そうでもないぞ」
 だが、四柳は大きく嘆息して振り向いた。

 むしろ、ここからの方が面倒かもしれない。
 彼はとにかく気が重くて仕方が無かった。



「ふ、ふえ……ふええ……」
 振り向いた先では、神木唯が下半身を揺らしながら、地べたに座り込んでいた。








………
……









「大丈夫です。もう暫くすれば落ち着くでしょう」
 自分の部屋に神木唯を残して、天本玲泉は四柳らが待つ応接室に入ってきた。
 座敷机の上には、二つの湯飲みが置かれている。
 一つは、四柳知佑の分。
 そしてもう一つは、河島廉也の分であった。



「……信じてくれるかな?」
 四柳が不安そうな声を出す。
「信じてもらう為にも、全て話した方が良いでしょう。
 実体験をしたのですから、落ち着けば分かってもらえると思います。
 しかし……」
 四柳の向かいに座した天本が返事をする。
 それから彼女は、河島を一瞥した。


「私も驚きましたよ。まさか河島さんが実在したとは」
「……話すつもりだったんだけれど、タイミングがね」
 つられて四柳も河島を見やる。
 当の河島は、のん気に茶を啜っていた。

「いえーい、慰霊碑の主です」
 河島がおどけてみせる。
 元々は四柳が口にしたジョークであったが、こうして他人の口から聞くと出来の良いものではない。
 四柳は顔を赤らめたが、すぐに顔を左右に振って気を取り直す。



「ところで天本さん、もしかして河島は……」
「ええ。状況からしますと、四柳さんが神の力で産み出した可能性は、大いにあります」
 天本が頷く。
 彼女は、襲撃の件と共に河島の説明を受けていた。
「確かに幾つかの疑問も残りますが……
 憑依や、それによる人間離れした力も、神の力が関与しているのかもしれませんね」


「かも、か」
 河島は残念そうに彼女の言葉を繰り返す。
 湯飲みを卓上に戻し、真剣な表情で四柳に視線を向けた。
「衝突を回避する為の憑依であったが……自分でもあのような力を出せるとは知らなかった。
 できればその理由まで知りたかったが、気持ち悪い思いをさせてすまぬな」

「お前が素直に謝る方が気持ち悪いよ」
 四柳は顔を背けて乱雑に返事をする。
 少々、気恥ずかしいものがあった。



「ふふ」
 そんな二人を見て天本が笑う。
「「うん?」」
 四柳と河島は声を揃えて天本を見た。
 緊張感の無い声である。


「いえ、仲が宜しいようで」
「「むう」」
 また声が重なる。
 妙な所で息が合うものである。
 天本はいよいよ声を立てて笑い出した。

「うふふふ……顔もそっくりですし、面白いです。
 ……羨ましい」
 少し間を空けて出てきた最後の言葉は小声だった。
 その言葉には四柳だけが反応する。




「羨ましいって、どういう事?」
「さあ、どういう事でしょうか」
 天本は首を僅かに傾けて、にっこりと微笑んだ。