四柳知佑の財布には、小銭が100円玉しか入っていなかった。
 
「むう」
 100円玉を手にして唸り声を漏らす。
 眼前の賽銭箱とその100円を交互に眺める事、十数秒……
 彼は、100円玉を賽銭箱に放り込んだ。
 
 
「仕方が無い」
 未練がましい言葉を残して拍手を打ち、一礼する。
 どこか手順が間違っているのだろうという自覚はあったが、
 100円も入れたのだから大目に見てくれるだろう、と彼は思う。
 
 
 
 参拝である。
 日の出島には神社が一つだけ。天本玲泉のいる日の出神社である。
 彼女の手入れが行き届いている神社はゴミ一つ落ちておらず、来る者を気持ち良くさせてくれる。
 更に、晴天と冬の澄んだ空気も手伝ってか、四柳は清清しい気持ちで参拝を終えた。
 
 
(河島も来れば良かったのになあ。
 久しぶりに身体を動かしたら疲れたって、あいつ本当に幽霊なんだろうか)
 昨日の約束通り、四柳と河島は、今朝方キャッチボールを済ませていたが、
 それに疲れを覚えた河島は「今日はもう家に居る」と宣言し、冷蔵庫を漁って四柳の部屋で寛ぐ為のアイテムを集めていた。
 
 
 
(今日は、父さんが本土で勉強会で良かったよ。
 しかし、あいつもすっかりうちに馴染んだなあ)
 手をコートのポケットに突っ込みながら、河島の顔を思い浮かべる。
 彼が来た頃は、得体の知れない同居人というだけではなく、自分と似た顔という事もあって、どうにも落ち着かなかった。
 しかし、今こうして思い浮かべてみれば、その顔にはそう違和感を感じない。
 つまりは、自分も彼に慣れたのだろうと思うと、自然と苦笑が零れた。
 
(確かに俺も慣れちゃったな。
 ……しかし、本当にあいつは何者なんだろうな。
 自分では「よく分からない」と言っていたけれど……
 そういや神社にも入ったよな。幽霊って神社に入れるものなんだろうか?
 むむむ……)
 賽銭箱の前に立ったままで考え込む。
 
 
 
 
 
「あら、四柳さん」
 不意に声を掛けられる。
 声のした方を見ると、少し離れた所に私服姿の天本の姿があった。
 毛糸のカーディガンと膝上までのスカート、黒のストッキングを身につけている。
 少し寒そうな印象も受けたが、今日は陽の光も暖かい。おそらくはそれで十分なのだろう。
 
 
「天本さん。今日は巫女服じゃないんだ」
 彼女を一瞥した四柳は、少し惜しそうな声を漏らした。
「あら。残念そうですね」
「い、いやいや、そういうわけじゃ」
 失言だったかもしれないと今更察し、慌てて否定する。
 
「ふふ、冗談ですよ」
 天本は小さく微笑みながら、四柳に近づいてきた。
「神事全てを正装でこなすわけではありませんので……」
「なるほど。ごもっとも」
 
 
「ところで、お参りですか?」
 天本が尋ねる。
「うん。今回の件が落着しますようにって。……あっ」
 そこまで口にして、四柳はふと閃く。
 
「神頼みで効果があるなら、天本さんが頼んでくれた方が効果あるよね」
「いえ、そのお気持ちは大切ですよ。
 それに……」
 彼女が、拝殿内部に通じる階段に腰掛けた。
 釣られて、四柳も隣に腰掛ける。
 
 
 
「この間、死力の話をしましたよね」
「うん。黄泉人が使う天変地異みたいな能力だっけ」
「そうです。その力の源は何だったか覚えてます?」
「ええと……」
 四柳はこめかみに指先を当てて思い出す。
 
 
「……感情が形になるとかなんとか、だっけ?」
「はい。正解です」
 生徒を褒めるような穏やかな口調で天本が言う。
 
「強い気持ちがあれば、死力は発動し、またより強力になります。
 以前、誰でもその力を持てると言ったのは、あくまでも可能性上の話で、
 一般的な範疇の感情では、なかなか持てる力ではないようですが……
 その範疇を超える位強くお願いすれば、今回の件を解決できるような死力を使えるようになるかもしれませんね」
「う、うん?」
 曖昧に相槌を打つ。
 突然の切り口で、少々戸惑ってしまった。
 
 
 
 
「腑に落ちない様子ですね」
「あ……顔に出てた?」
「ええ」
 彼女が苦笑する。
「少し遠回りに話してしまいました。
 それでは、単刀直入に申し上げましょう。
 本当にお話したいのは……」
 
 天本が上半身を捻って、四柳を直視する。
 一転して真剣な様子。
 四柳もしっかりと彼女の瞳を見つめる。
 
 
 
 
 
 
 
「私も、黄泉人なのです」
 天本玲泉の瞳は、鋭かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走七日(土)「彼女は黄泉人」
 
 
 
 
 
 
 
 
「と言いましても、力や知識を得たのは最近……
 お婆様が亡くなった後からなのですが」
 天本の表情が一瞬曇る。
 だが、四柳が気遣う声を掛ける前に、天本は言葉を続けた。
 
 
「この前お話しました古文書ですが、お婆様の遺品を整理していたら出てきたものなのですよ。
 そして、出てきたものは一つ。勾玉です」
「勾玉!?」
 四柳は思わず大きな声を出してしまう。
 怪奇現象の連続で後回しにしていたが、その言葉は聞き流せるものではない。
 考えてみれば、今月一日に勾玉を拾ってから、彼の周囲で幾多の怪奇現象が起こり始めている。
 
 
 
「あら、どうしました?」
「あ、いや……ごめん、続けて」
 ひとまず、天本の話を聞く事にする。
「そうですか? では……」
 天本が話を続ける。
 
「古文書曰く、その勾玉には死力を増幅する効果があるそうです。
 思えば、お婆様の呪いも、その勾玉の力によるものだったのかもしれませんね」
「とすると、天本さんも、セツさんと同じ呪いが使えるの?」
「いえ。勾玉はあくまでも力を増幅するもので、能力は人それぞれ。
 私の場合は……」
 天本が言葉を止めた。
 おもむろにスカートのポケットに手を入れると、中から少し長い数珠を取り出す。
 勾玉の装飾は無い、ごく一般的な数珠のようであった。
 
 
 
 
「言うよりも、見て頂きましょう。
 どうぞ、そのままでご覧になって下さい」
 四柳にそう告げて立ち上がる。
 
 右手で数珠を鷲掴みにして、その右手を大きく前に突き出した。
 前方を伺うように頭を少し倒し、左手はその頭の前で縦に構えている。
 呼吸を整えたようで、胸元が僅かに前後した。
 
(なんだか、空気が神妙になったような……)
 四柳は思わず唾を飲み込む。
 そして、一瞬の静寂の後……
 
 
 
 
「……奏<ソウ>ッ!」
 天本が甲高い声を出し、右手を大きく振る。
 同時に、彼女の前方にガラスの様な壁が現れた。
 透明だが、僅かにそこで光が反射しているのが目視できる。
 
「壁が……出来てる?」
 四柳は思わず立ち上がり、その壁を凝視する。
「これが、私の死力です」
 天本が振り返った。
 また表情が一転して、普段通りの温和な顔つきに戻っている。
 
 
 
「強く念じる事で、風を形に出来る能力……といった所でしょうか」
「風って……」
「ええ。四柳さんの前に現れた黄無垢も同じような事をしたそうですね。
 なので、話を聞いてピンと来たのですよ」
 天本がそう告げる間に、壁はもう姿を消していた。
 顔だけを動かしてそれを知ると、天本は肩を竦める。
 
「もっとも、死力を使えるようになったばかりで、気持ちが切れれば効果もすぐ切れます。
 黄無垢のように、武器に出来るような力なんてありませんけれども」
「いや、これだけでも凄いよ」
 四柳から感嘆の息が漏れる。
 手品を見た時の気持ちにも似た感心であった。
 余韻を感じるかのように、彼はまだ壁のあった所を見つめていたが、やがて顔を天本に向ける。
 
 
 
「ところで、さっき叫んだ奏ってのは?」
「それは、死力の区分です」
 天本は中央の指を三本立てると、それを四柳に向ける。
 
「死力は大別すると神業奏<シンギョウソウ>の三つから成り立ちます。
 神。亡き者に命を与える、まさしく神のような力を指します。強力な分、使い手はごく少数だとか。
 次に業。自身の行為を指す言葉で、身体能力が向上したりするようですね。
 最後は奏。私の使った力がこれです。思いを伝え、形にするという意味で、自然や動物等を操る力のようです」
 
 
「ああ……そう言われれば、うろ覚えだけれど黄無垢もそんな言葉を叫んだ気がする。
 それに、動物を操れるともなれば……」
 四柳は興味深く頷く。
 絡まった糸が解けたような気持ち良さを感じた。
「そうです。いよいよもって、四柳さんの遭遇した状態に該当するかと」
 天本は頷いた。
 
 
 
「ふむ……」
 四柳は顔を伏せる。
 彼女の説明で、もう一つ解き明かせそうな現象があった。
 
(もしも……もしも俺が拾った勾玉が、同じ効果を持つ代物だったら……
 神の力で河島が出現した……そう考えれば辻褄は合う。
 でも、そんな強力な力を俺が?
 そもそも、河島に復活して欲しいなんて思ったか?
 やっぱり、河島の事も聞いて……)
 
「ところで、四柳さん」
 天本の言葉が四柳の思考を遮る。
 顔を上げると、天本は微かに頬を赤らめていた。
 
 
 
「先日は、お婆様の事を隠そうとしてくれて、ありがとうございます。
 前々から思っていましたけれど……四柳さんは、お優しい」
 ペコリと頭を下げられる。
 普段より機敏な動きだった。
 お礼だけではなく、照れ隠しに顔を隠しているような印象も受ける。
 
「む、むう」
 赤面が伝染する。
 思わず口篭ってしまう四柳であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 
 
 
 帰り道。
 
「結局、聞けなかったな……」
 町外れのまばらな民家と田畑に囲まれている道を、四柳は歩いた。
 
 しかし、収穫であった。
 河島も黄泉人達の事も、まだ断言は出来ない。
 それでも、こうも怪奇現象が続いていれば、仮定を得ただけでも気持ちは大いに落ち着いた。
 
 
 
 
 
「勾玉か。あれ、どこに置いたかな。
 帰ったら、拝みながら祈ってでもみようかな」
 歩きながら、能天気に独り言を続ける。
 
「もしかして、とんでもない力が発動したりするかもな。
 力が……力が欲しいか……なんちゃって」
「力が欲しい!」
「ぬおおっ!?」
 突然の返事に、四柳は一歩退いて声を張り上げる。
 気がつけば、前方の民家の影から少女が顔を覗かせていた。
 白い衣装とピンクのロングヘアが印象的な少女であった。
 
 
 
「なんだ、葉月さんか」
 四柳は胸を撫で下ろす。
 少女は彼の顔見知りであった。
 島の泉で知り合った彼女は、名を葉月と言う。
 四柳の影響でアニメやゲームに造詣が深く、今では気が合う女性友達の一人であった。
 
 
「もうー。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
 葉月はわざとらしく頬を膨らませながら、四柳の傍に来る。
「四柳さん、ところで何してたの?」
「あー、っと……」
 当然、本当の事を言うわけにもいかない。
 返事に窮するが、ろくな言い訳が思い浮かばなかった。
 
 
 
 
「……アームズごっこ」
「ぷっ。また変な事やってるのね」
 だが、膨らんだ頬を崩して、彼女は明るく笑ってくれた。
 出会った頃はゲームさえも知らなかった事を考慮すれば、随分と四柳色に染まったものである。
 
 
「それも面白そうだけれど、せっかく会ったんだから、どこかに遊びに行かない?」
 彼女がごく自然にそう口にする。
 趣味だけでなく、こうしたフランクな所も、四柳と葉月は波長が合っていた。
「いいよ。じゃあ、町の方に遊びに行こっか」
 四柳も彼女の提案に即答する。
 
 
 
 
 
(ま、河島と勾玉の事はそのうち考えるか)
 
 考えてみれば、怪奇現象に悩まれる日の連続で、少々気疲れしているかもしれない。
 たまの休日くらいは、ユッタリとした時間を過ごしたいものであった。
 
 
 そうして四柳は踵を返し、葉月と共に町の方角へと歩き出すのであった。