「ラスト一周、行くぞー! 皆、頑張れよ!」
「「「「ぉ、お〜っ……」」」」」
 
 陽はすっかりと落ちてしまったが、日の出高校の周囲からは声が絶えない。
 高校の外周を走っている集団が、その声の主であった。
 
 先頭を走り、後続の野球部員達に檄を飛ばしている大神の声からは、全く疲労感が感じられない。
 それもそのはずで、現在の野球部員達は皆、甲子園優勝後に大神がスカウトしたばかりの、体もできていない選手である。
 彼らに練習をあわせるだけでなく、比較的負担の少ないコーチ役もこなす大神がバテる道理はない。
 
 対照的に、選手達の声は酷くか細いものであった。
 だが、彼らの中に脱落者は一人もいない。
 疲労困憊ながらも、懸命に大神に喰らい付いていた。
 
 
 
「大神、なかなか良い主将みたいだな」
(ふむ。素人達を良くまとめておる。やるものだな)
 四柳と姿を消した河島は、校門に背を預けながら、その練習風景を眺めていた。
 放課後の数時間、彼らはずっとそうしている。
 野球部が狙われているかもしれないという事で、今日は練習を見学していく事となっていた。
 
 だが、部外者が現れる様子も、部員が消える様子もない。
 変わった事は何も起こらず、いよいよ練習終了も目前ときていた。
 そうも動きが無ければ、多少は暇を持て余すものであるが、彼らに限ってそのような事は無かった。
 
 
 
 
「……良いな」
(良い)
 野球馬鹿二人が短い言葉を発する。
 それだけで、お互いに何が言いたいのかが分かる。
 ただのランニング見学でさえ、彼らにとっては楽しいものだった。
 
 
「河島。たまには野球やってみるか?」
(お前から誘ってくるとは珍しい。良いのか?)
 河島が身を乗り出して聞き返す。
 
「先に言っておくが、憑依はさせないからな。
 野球と言ってもキャッチボールくらいだよ。
 早朝の公園なら人は全然来ないから、明日にでもどうだ?」
(ふむ、良かろう。俺の球は重いぞ?)
「へえへえ、期待してますよ」
 四柳はそう言って笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 
 
 
 この日四柳は、練習を終えた大神と一緒に帰宅の途に就いた。
 貴重な情報交換の時間である。
 
「……じゃあ、大神の方でも特に変な事は無かったのか」
「ええ、何も」
 大神がさらりと答える。
 だが言葉遣いとは裏腹に、眉は僅かに潜められていた。
 彼は今一つ落ち着きを感じていないようであった。
 
「そっか。やっぱり野球部が対象じゃないのかな?」
「いや、僕は野球部が狙われていると思いますね」
 大神は横に首を振る。
「部員と田中先生が消えただけでなく、妨害活動もありましたからね」
「グラウンドと部室が荒らされてたんだっけか」
「はい。でも他にもありましたよ。
 怪しい男が、練習中の部員に声を掛ける事例なんかも。
 話してませんでしたっけ?」
「おい、それは聞いていないぞ?」
 四柳は声を大きくして反応する。
 
(もしかすると黄泉人……?)
(かもな)
 傍を歩いている河島に同意の思念を返す。
 
 
 
「そうでしたっけか。ええと、ちょうど一週間前だったかな。
 外周を走っていた部員に、金髪の中年男が声を掛けてきたんですよ」
「金髪の中年男……」
「で、俺が間に割って入って話を聞いたら」
「話を聞いたら?」
 
 生唾を飲み込む。
 緊張で胸が高鳴る。
 
 
「すごい片言の日本語で、
 『ヘイ、ボーイ!
 インカンとツボを買いませんかー?
 これで開運間違いなしデース!』
 ……って」
「なーんじゃい」
 ずっこかける四柳であった。
 
「先輩、何か思い当たりが?」
「ああ……そりゃ無関係だ。
 お前が入部する前に、同じ行商人がたまに押し売りに来てたんだよ。
 よくいるペテン師だ」
「なんだ、そうだったのか。ツボ買って損したな……」
「買ったのかよ!」
 四柳は今度こそずっこけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走六日(金)「おやつは100円まで」
 
 
 
 
 
 
 
 
 それから暫く、他愛のない雑談が続いた。
 
「しかし、忙しい時期にこういう事になるとはなあ」
 その最中、ふと四柳は思い出したように嘆息する。
「忙しい時期ですか? ああ、そうか。先輩ドラフト指名されたんでしたね」
「そうそう」
 四柳は首を鳴らしながら答える。
 
 
「いや、契約はもう寸前まで進んでいるから大丈夫だけれどさ。
 マスコミがちょっと問題になりそうかな……って。
 取材を受けている時に黄泉人が襲ってきたら、大問題になりかねないよ」
「なるほど。そうなったら面倒ですね」
 大神は首を縦に振る。
 それから頭の後ろで腕を組み、何か考え込んでいるようであったが、
 彼はすぐにその腕を解いて、両手を打ち鳴らした。
 
 
「そうだ。先輩が良ければ……ですけれど、マスコミは抑えておきましょうか?」
「抑えておくって、そんな事できるのか?」
 予想外の提案に、驚いた様子で聞き返す。
 
 大神博之は、いわゆるボンボンである。
 それも半端なものではない。
 彼の父の大神美智男は、国内でも有数の基盤を誇る大神財団の長である。
 もともとはネット金融で勢力を拡大した大神財団は、
 新興勢力ながらというべきか、だからというべきか、何にしても今では多くの分野に食指を伸ばしていた。
 
 
 
「ええ。あまり頼りたくはありませんが……今回はそうも言ってられませんからね。
 大神の力を使えば、多少は記者も抑えられると思います。
 さすがに注目のドラフト一位ですから、直接の取材禁止はせいぜい年内が限界ですけれど」
 
 だが、大神の声に張りは無い。
 今年の夏の前に、財力に物を言わせた練習を取り入れようとして、彼は先輩達と一悶着を起こしている。
 本音を出し合った事で、結局は雨降って地固まる結果となったが、大神にとってはあまり良い記憶ではなかった。
 
 
 
「……すまんな。頼んでも良いか?」
 四柳は少しだけ考えて頼んだ。
「任せて下さい。その代わり何かおごって下さいよ」
 軽い口調で条件が付け足される。
 
「おう。じゃあセツさんの店寄ってこうぜ。
 お前、駄菓子くらいは食った事あるよな?」
「小さい頃に、ちょっとだけ」
 大神は笑って答えた。
 
「しかし、マスコミまで抑えられるとは凄いな。
 さっきサラッと言ったけど、簡単な事じゃないだろ、これ」
「オフレコですけれど、もうすぐスポーツ界にも進出する予定なんですよ。
 それで、そっちにも多少は影響力を持っているんです。
 マスコミというか……チーム側に働きかければ、なんとか」
「スポーツ界もか。なんでもやるんだなあ」
「あと、最近では開拓事業も積極的みたいです」
「へえ、開拓事業か」
 四柳は、深く考え込まずに頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 
 
 
 日の出島には、古びたよろず屋がある。
 スペースを大きく取った土間に商品棚が並んでおり、その多くを駄菓子や安い玩具が占めている。
 この店の店主である池沢ウメが、ちょうど看板を仕舞おうとしている時に、四柳達は来店した。
 
 
 
「なんだい、来るならもう少し早くしておくれよ」
「ごめんごめん、早く選ぶからさ」
「やれやれ、野球部はお得意様だしむげにも出来ないね」
 四柳に軽く頭を下げられたウメは、重い足取りで土間の奥にある居住空間に入り、ストーブの前で丸くなった。
 
(おお……)
 そんなウメを見て、河島が明るい思念を送ってくる。
 
(四柳、この人は池沢さんの所のウメさんではないか?)
(そういやそんな苗字だったかな。知ってるの?)
(うむ。この目つきの悪さは忘れはせん。
 年老いてはいるが、やはりウメさんか。初めて見知った顔を見かけたな)
(目つきの悪さね。そう言われれば……)
 河島の言葉に影響され、セツの顔を一瞥する。
 視線に気がついたウメは、その顔をしかめて、居住空間から声を飛ばした。
 
「あんた、今、目つきが悪いと思ったね?」
「うえっ? いや、そんな事は……」
「ボウヤが考える事なんか分かるんだよ。
 そんな事より早く選んでくれるんじゃなかったのかい?」
「は、はいはい……」
 たじたじになりながら、興味深そうに駄菓子を眺めている大神の横に移動する。
 
 
 
 
「……よっちゃんイカ」
 駄菓子の一つを手にとって呟く大神。
 30円+消費税。
 四柳から渡された100円のうち、約三分の一を消費してしまう。
 
 
「先輩、100円というのはいささか厳しくありませんか?」
「何を言うか。その制限と戦うのが楽しいんだ」
 にべもない。
 
「いわゆる『大物』を少数選んで食べた気になるのか、
 それとも10円20円の『小物』を沢山選んでたっぷり楽しむのか、
 もしくは、大物小物を複合させるのか……
 お前のセンスが問われる時だな」
「何のセンスなんですか」
 大神が突っ込む。
 
 
 
「それはそうとして……せっかくだから、俺もいくつか買おうかな」
 四柳も陳列された商品を眺めた。
 その中で目に留まった安い板チョコを手に取る。
 
「先輩、よくそんなもの食べられますね」
 大神が顔を仰け反らせながら言う。
「ん? 板チョコのどこが……ああ、お前チョコアレルギーだったっけか」
「ええ。袋に入っているから今は大丈夫ですけれど」
「匂いでさえも駄目なんだったよな。
 お前、バレンタインは辛いんじゃないのか?」
「先輩こそ別の意味で辛いのでは?」
「ぐう」
 ぐうの音を出して凹む四柳。
 
 
 
「その様子じゃ、彼女はいないみたいですね」
 大神が笑いながら言う。
「うるさい、俺の事は放っておいてくれ」
「まあまあ。先輩の場合はあれでしょ。
 彼女が出来ないんじゃなくて、作らないんでしょう?」
「なんだそれ?」
 意味深な大神の言葉に、四柳は首を傾げる。
 
 
 
「なんだって……先輩、仲が良い女の子、沢山いるじゃないですか。
 神木先輩とは特に仲が良いみたいだし、
 天本先輩とも、家に上がった事があるくらい親密なんですよね?
 あとは、田中先生とも打ち解けていたし、
 本土にも知り合いの子がいるって言ってた事ありましたよね。
 ピンク色の髪の子と一緒にいたって話も聞いた事ありますし、
 他にも、島岡先輩の姉とも親しいとか……」
「ス、ストップ、ストップ!」
 指を折って女性の数を数える大神を、慌てて制する。
 何故大神がこうも自分の女性関係に詳しいのかは、この際後回しである。
 
(お前……一体なん股なのだ?)
「違う、勘違いだ!」
 唖然とする河島に対し、思わず声を発してしまう。
 もっとも、この場合は大神への言葉としても妥当であった。
 
 
 
「本当にただ仲が良いだけで……」
「じゃあ、この際考えてみたらどうですか。
 さっきの中で付き合うとしたら、誰が良いんです?」
「む、むう?」
 大神の言葉に、思わず五人の顔を思い浮かべてしまう。
 自然と、顔が赤らんでしまった。
 
 
(そ、そうだな……。
 ユイさんは……うん、かわいい。それに器量も良い。
 だけれど、マネージャーという認識が固まっていて、彼女といわれると……。
 次は、天本さんか。呪いの事では助けられたよな。
 それに優しい子だけれど、彼女……彼女か……むう。
 その次は……)
 
 
「随分と考え込んでいるみたいだね」
 不意にウメが言葉を挟む。
 その言葉を受けて四柳は考えるのを止めた。
 
「そ、そんな事より駄菓子だよ。
 ウメさん待たせちゃ悪いし、早く選ぼうぜ」
「はいはい、っと」
 大神は肩を竦めて、駄菓子に向き直った。
 
(逃げおった)
 愉快そうな思念が河島から届く。
 ジロリと河島を睨みはするものの、ウメもまた自分を睨んでいる事に気がつくと、彼も慌てて駄菓子に向き直った。
 
 
 
 
 しかし、と思う。
 
 しかし、確かに皆女性として魅力的だ。
 彼女らとコミュニケーションをとって、異性として意識した事は何度もある。
 だが、それだけだった。
 自ら関係をそれ以上発展させる事は無く、友人として付き合っていた。
 それには理由がある。
 
 言うまでもなく、野球に集中する為であった。
 そうしなければ、神隠しに遭ってしまう。
 命が懸かっているのに、恋の病におぼれる暇はなかった。
 
 だが、これからならば……
 今回の問題が終わったならば、もう気持ちを抑える必要はない。
 
 
 
 
 
 
 
「……どうしたものかねえ」
 
 四柳は口の中でそう呟いた。