午後七時前ながら、陽はもう完全に沈みきっていた。
 
 天本玲泉がいる日の出神社は、山奥に位置している。
 そこへ続く道には街灯も民家も殆ど無い。
 その為、この時期この時間ともなれば、一面の闇と言っても過言ではない。
 
 対照的に、空では星々が強く輝いている。
 明日の好天を確信できる輝きだった。
 
 
 
 
「すみません先輩、もう完全に夜ですね」
「部活があるんだから仕方ないよ。それより転ばないようにな」
 その暗闇の中、四柳と大神の声が聞こえる。
 彼らは懐中電灯を片手に、日の出神社へ通じる石段を登っていた。
 
(しかし真っ暗であるな。何か出そうで恐ろしくてたまらぬのだ)
 姿を消して二人の傍を歩く河島が、自分の肩を抱いて大げさに震える。
(だからお前がその『何か』なんだよ……)
 四柳が睨み付ける。
 
「いや〜、それにしてもあけぼの丸の呪いがまだ残っているとはなあ。
 やっぱり
主将の河島って奴の怨念が特に強かったんじゃないかなあ。
 
河島って奴のがさ」
 なんともわざとらしい声。
 
(その様な言い方をしたら、まるで俺が特に悪いみたいではないか!)
(ふふん!
 『セツさんが言っていた事が事実であるフリ』をするんなら、
 そういう設定があった方が現実味あるだろ?)
(貴様……野球をする機会があれば絶対憑依してやるからな!)
 河島は悔しげに地団駄を踏む。
 
 
「あけぼの丸の呪い、ですか……
 数ヶ月前なら鼻で笑ったでしょうけれど、今なら信じますよ。
 先輩もこの三年間、苦しんでいたんですね」
 その横で、大神は真面目に頷いている。
 三年間苦しんだのは事実だが、嘘をついた事で、ほんの少しだけ胸が痛い四柳であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 一行は石段を登り終えた。
 
 日の出神社の鳥居を潜っても、そこはまだ暗い。
 神社の照明は既に落ちていた。
 隣接している天本家の玄関からは光が漏れているものの、
 その光は弱く、これまで同様に殆ど暗闇である。
 そして、山の中にポツリと佇む神社では、当然ながら人の声も届かない。
 確かに何か出そうな雰囲気ではあった。
 
 
「天本先輩、今日は欠席してたんでしたっけ?」
「うん。理由は知らないけれど、多分病欠だと思う。
 お見舞いがてらに話を聞くつもりだけれど、辛そうだったら話はまた今度で良いよな?」
「もちろん」
 大神の返事を確認してから、天本家に向かう。
 
(上手く話をリードしないとな)
 歩きながら、頭の中で切り出し方を整理する。
 出来る事なら、天本と打ち合わせておきたい所であったが、今日の彼女は欠席である。
 その上電話にも出て貰えず、どうしようもなかった。
 
 
 
 
 
 家の前まで来ると、引き扉が半開きになっていた。
 そこから中を覗くと、薄暗く黄色い電球が人影を作り出している。
 
「天本さん、こんばんは〜」
 人影を目にした事で、四柳は反射的に扉に手を掛けた。
 四柳は、彼女の家へ何度か遊びに行った事がある程度に仲は良い。
 ……が、それでも好ましい行動とは言い難い。
 
 
 
「あ……」
 人影は、確かに天本玲泉であった。
 目を丸くして、驚いた様子を見せる。
 彼女は厚手のコートを纏い、片手にはキャリーバッグを引いていた。
 ちょうど外出する所に出くわしたようである。
 
 
「あっと……ごめん、どこかに行く所だった?」
 今頃になって、デリカシーが無かった事に気がついた。
 四柳は頭を掻きながら尋ねる。
 
「……いえ。それよりもこんな夜中にどうされました?」
 だが、天本は怒らない。
 目を細めて微笑みながら、そう聞き返してくる。
 その笑顔にどこか冷たいものを感じる四柳であったが、
 それを気にするよりも、頭の中で組み立てていた言葉を形にしたい気持ちが勝った。
 
 
「実はさ。あけぼの丸の呪いがまた起こったみたいなんだ。
 野球部の部員や先生が神隠しに遭ったんだよ」
「えっ……」
 天本は、言葉を失った。
 突然の来訪者による突然の話。
 しかも、亡き祖母の行為の再発ともなれば無理も無い。
 
 
 
「……分かりました」
 沈黙は続かなかった。
 彼女は真っ直ぐに四柳を見つめながら返事をする。
 
「中で詳しく伺いましょう」
 抑えられた声量だった。
 キャリーバッグを離す。
 肩まで伸びる黒髪をなびかせて背を向ける。
 彼女はそのまま、背中越しに言葉を続けた。
 
 
「しかし四柳さん。お気持ちは嬉しいのですが、嘘はやめましょう。
 呪いは、あけぼの丸ではなく私の祖母のセツによるもの、です」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走四日(水)「天本玲泉」
 
 
 
 
 
 
 
 
 天本家の和室応接室は十二畳となかなかに広い。
 部屋の真ん中に置かれた座敷机の隅に固まって三人は座した。
 端では、石油ストーブが運転音を響かせる。
 天本の声は、その運転音にまぎれている。
 セツの呪いの真相は、そうしてポツポツと語られた。
 
 
 
「……以上が、お婆様の呪いの真相です」
 正座をしながら語り終えた天本が、小さく息を吐く。
 身内の行為を恥じる嘆息なのか、単なる喋り疲れなのか、四柳には判別がつかなかった。
 
「四柳先輩への呪いは、天本先輩の祖母の手によるものだった……ですか」
 大神は天を仰いだ。
 上を向いたまま、胸の前で両腕を組み、右手で左腕をパタパタと叩いて鳴らす。
 そうして、考えを取りまとめようとしているようであった。
 
 
「……大神、嘘ついてすまない」
 大神がそれ以上口を開かない為、四柳が頭を下げて声を掛けた。
 その言葉を受けて、大神は顔を下ろす。
 彼は苦笑していた。
 
「いえ、天本先輩を気遣っての事でしょう?
 天本先輩の祖母に対して思う所が無いわけではありませんが……言ってどうなるものでもない。
 ああ、天本先輩自体は、別にどうとも思いませんよ。
 むしろ、今回の件で相談にのってくれるのなら、感謝する位です」
「……ありがとうございます」
 天本は居住まいを正すと、膝に指先を当て、凛として頭を下げた。
 
 
 
 
(……気丈なのだな。セツさんの孫は)
 四柳の隣に座している河島の思念を受ける。
 彼にしては珍しく、真剣な表情をしていた。
(そうだな、芯が強い人だと思うよ。……気になるのか?)
(うむ? うむ……)
 届いた思念は曖昧だった。
 もう少し突っ込んで聞いてみたい気持ちが四柳の心中に湧き上がる。
 
 
「さて、そうでしたね。呪いが本題でした。
 詳しく伺いましょう。野球部でまた神隠しが起こったのでしたっけ?」
 天本が喋る。
 その一言で、四柳は気持ちを呪いの方へと戻す。
 今度はこちらが説明しなくてはならない。
 
 
 
 
 四柳は『お前が先に』と言わんばかりに顎を大神に向けた。
 それを受けてまずは大神が、新生野球部に起こった怪奇現象の話をした。
 その後で四柳が、田中深雪消失事件について話す。
 
 天本はそれらの話を聞く間、神妙な表情を一度も崩さなかった。
 途中で口を挟む事も無く、時折、話の先を促すようにして頷くだけである。
 怯えるような事は無かった。
 
 
(……気丈、か)
 話しながら、四柳は思う。
 河島の言う通り、確かに彼女は気丈だ。
 天本セツの呪いを間近で見た免疫があるのかもしれない。
 
 だが、天本セツはもういない。
 別に呪い手がいるのだ。
 もしくは、呪い以外の、更に恐ろしい事が起こっているのかもしれない。
 何にしても、完全に同じ出来事ではないのだから、多少は驚いてもおかしくない。
 なのに、その様な反応を見せない彼女の精神力に、四柳は感心した。
 
 
 
 
 
 
「……残念ですが」
 一通りの説明を受けた後で、彼女は静かに切り出した。
 
「その件については、思い当たりがありません。
 状況からすれば、お婆様の呪いに近い印象はありますが、これだけでは何とも」
「そうですか」
 大神は顔を伏せる。
 声はどこか消沈していた。
「他には、呪いと思われる現象は起こっていないのですか?
 もしくは、呪い手に思い当たりがあるとか」
 大神を気遣ってか、天本はなおも話を引き出そうとする。
 
 
「あっ」
 不意に四柳の声が漏れる。
 彼は無意識に口を開いていた。
 その言葉に反応し、天本と大神が視線を向けてくる。
 
 四柳には思い当たりがあった。
 呪いとは別に、怪奇現象を経験している。
 一昨日の獣と黄無垢である。
 
「あー……関係あるのかどうか分からないけれど、
 気になる事なら一つある、かな……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 
 
 
 天本の反応は大きかった。
 
「見知らぬ獣を空気で退かせた……?」
 彼女は腰を少し浮かせ、身を乗り出すようにして話を聞いた。
 声こそ抑制がきいていたが、先程までとは対照的である。
 
 
「天本先輩、何か心当たりが?」
 大神が質問する。
 だが、天本はすぐに返事をしない。
 華奢な指を額に当て、黙って考え込んでいる。
 
(何か知っておるのかもしれぬな)
 河島の思念を受ける。
 それに対して同意の思念を返してから、四柳も天本に声をかけた。
 
「天本さん?」
「……はい」
 天本がようやく返事をする。
 彼女は緊張感のある面持ちをしていた。
 四柳と大神を一瞥すると、厳かに話し始める。
 
 
 
 
 
「……お二人とも、九十九神<ツクモガミ>はご存知ですか?」
 唐突な切り口。
 四柳は聞き覚えの無い言葉にうろたえ、大神を見る。
 彼も似たような顔をしていた。おそらくは知らないのだろう。
 天本は二人の返事を待たずに喋り続けた。
 
 
 
「九十九神とは、この国における伝承的存在の一つ。
 道具や動物……他は自然も対象となる事があるようですが、
 それらに霊が宿った存在を指し示す言葉です。
 ……そうですね。唐傘お化けとかご存じではありません?」
「あるよ。そういうものを九十九神と呼ぶの?」
「ええ、一説では……ですけれどもね。
 名前こそ神が付いていますけれども、妖怪の一種のようなものとでも思って頂ければ」
 天本が四柳に対して頷く。
 顔を上げると、今度は大神の方を見た。
 
 
「……大神さん。なんだか胡散臭い話になりそうだと思っていません?」
 彼女は微笑みながら言う。
 からかい含みの笑みである。
 どうやら図星だったようで、その言葉を受けて、大神は苦笑いをした。
 
 
 
「お気持ちは分かります。
 呪いだけならまだしも、神だの妖怪だのと言われればね。
 所詮は人の想像、作り話……そうお思いでしょう。
 ですが……」
 天本がまた表情に緊張感をみなぎらせる。
 
(確かに胡散臭いな)
(いいから少し静かにしてくれ)
 自分を棚に上げている河島をたしなめる。
 
 
 
 
「四柳さんは、獣と黄無垢の人物に遭遇したのですよね。
 私は、こう考えているのですよ。
 その存在が九十九神であり、呪い手でもあるのでは……と」
 天本が声のトーンを落とす。
 彼女の緊張感が、空気にも伝わったようであった。
 四柳の背筋は自然と伸びる。
 
 
 
「もう少し胡散臭い話をしましょう。
 これは日の出神社に伝わる古文書に記されていた事ですが……
 安土桃山時代以前には、既に九十九神が実在していたそうです」
「実在……」
 大神が唾を飲み込む。
 
「ええ。昔からこの国に蔓延る九十九神は、
 人間以上の身体能力を持ち、中には知性を持つものも存在していました。
 九十九神はその能力を以ってして、人里を荒らしていたとか。
 ……そして、その九十九神には、使い手が存在していたそうです。
 使い手は、自身も森羅万象を操って天変地異を引き起こすような、
 人々に災厄を与える存在であった……。
 記録にはそう残っております」
 天本はそこまで言い切って、一度呼吸を整える。
 
 彼女の言う通り、確かに胡散臭い話ではある。
 だが、その手の怪奇現象であれば既に幾つも目にしている。
 加えて、語り続ける彼女の眼差しは真剣そのものである。
 四柳は口を挟まずに天本の話の続きを待った。
 
 
 
「……ここまでは分かりやすいよう、九十九神という一般的な言葉を用いました。
 ですが、実はこの存在は、使い手の天変地異と一緒くたにされ、
 古文書には<シリョク>という言葉で記されております」
「シリョクとは?」
 四柳はオウム返しに聞き返す。
 聞き覚えのない言葉だった。
 
「漢字としては『死力を尽くす』の死力です。
 ですがその意味は、異なります。
 ここで言う死力とは、死をもたらす力という意味。
 その様な人知を超えた力なら……
 呪いのような出来事を引き起こす事も、不可能ではないかもしれません。
 そして、四柳さんが遭遇した獣と黄無垢。
 お聞きした限りでは、その者達が九十九神と使い手……
 ひいては、呪い手なのかもしれません」
 
 
 
 
 
 
「「………」」
 四柳も大神も、無言だった。
 
 突然そのような話をされても、にわかには信じがたい。
 しかし、四柳がその様な存在に遭遇したのは事実である。
 獣と黄無垢の攻撃が、元ではあるが野球部への呪いの一環であると考えれば、話は繋がる。
 
 
 
 
「……本当にそんな化け物達が、野球部に呪いを?」
 暫し間を置いて、四柳が改めて尋ねる。
 
 
「あくまでも推測ですよ? 証拠はありません」
 天本がそう断る。
 一通り話し終えたからか、声色は少し温和になっていた。
 
「ただ、化け物と言われましたね?
 九十九神はともかく、使い手は化け物とは限りません。
 使い手の操る死力とは、際立った感情が形になったもの……
 つまりは、普通の人間でも持てる力です。
 なのに災厄のような名前が付いているのは、
 時代が時代ですから、荒んだ気持ちが形になる事が多かったのかもしれませんね」
 
「際立った感情が形に……
 人の想像や作り話というのも、あながち間違いではないって事か」
 大神が呟く。
 四柳も相槌を打つようにして頷いた。
 
 
 
 
「……真実がどうであれ、他に呪い手の手がかりは無い。
 まずは、俺が遭遇した奴らを突き止めるのが良さそうだな。
 そうすれば使い手なのかどうかも……むう。
 どうでもいいけれど、呪い手と使い手と、ややこしいな」 
 肩を竦める四柳。
 
「あ、使い手なら正式な名詞があるのですよ」
 天本は両手を軽く合わせた。
 
「一度に聞き覚えのない言葉を並べるのも何かと思っていましたが……
 死力とは申しましても、必ずしも死人が使う力ではないのです。
 先程申しました通り、死力は普通の人間でも持てる力ですからね。
 しかし『死』という言葉に紐付けられ、彼らはこのように呼ばれております」
 
 一度、彼女の言葉が途切れる。
 ゆっくりと唇が動いて、その先は語られた。
 
 
 
 
 
 
 
「黄泉人、と――」