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十二月は、高校三年生にとっては大切な時期となる。
進学組はセンター試験に向けて、もう一度エンジンを温めなくてはならない。
就職組も、未だに内定を得ていない者達が、必死になって滑り込み先を探している。
そして、例外的な進路となっている四柳知佑も、大切な時期という意味では例外ではない。
四柳の野球の実力は、ドラフト上位指名を受けるのに十分な域に達していた。
甲子園優勝校の主将という肩書きも、ドラフト指名において好影響を及ぼしている。
その上、部員を集めて野球部を再建したというドラマチックなシナリオまで付いてくれば、プロが放っておく道理はない。
かくして彼は、去る十一月に三球団競合の一位指名を受け、とある球団との交渉に至っていた。
「それじゃ、球団さんが提示してくれた条件でOKね?」
「それで大丈夫。あ、一つだけ確認したい事が……」
この日彼は、担任の田中深雪と、放課後の教室で自らの進路に関して打ち合わせていた。
田中深雪は確かに担任ではあるが、この時の彼女は、野球部顧問兼監督の田中深雪という方が適切であろう。
打ち合わせは、プロ野球チームから提示された契約内容に関するものであった。
(職業野球の選手になるのも面倒なのだな。
「来てくれ」「おう」だけで良いではないか)
(そこは色々と知っておかなきゃいけない事があるんだよ。
給料の事だけじゃなく、FA権……ああ、他の球団に移りたい時の事とかさ)
教室の端で欠伸をしている河島に思念を返す。
野球の話という事で、打ち合わせの前は興味津々の河島であったが、
事務的な話の連続に飽きが来て、今は、グラウンドで行われている現役野球部の練習を眺めていた。
(いいのう、野球。早く憑依させて野球をさせてくれんか?)
(まだ言ってるのかよ……実体化できるんだから素振りでもすればいいだろ)
(それも悪くはないが、俺は人数を集めてやる『野球』がやりたいのだ。
実体化して、この格好で「混ぜてくれ」なんて言うわけにもいかんであろう。
……む。そうか、実体化してお前の服を借り、成りすませば……)
河島がニタリと笑む。
(おいおいおい、変な事考えるなよ!)
「四柳君、窓の外なんか見てどうしたの?」
机を挟んで腰掛けている田中に声を掛けられる。
「あ、いや、なんでもないよ」
砕けた口調で返事をする。
生徒達からも下の名前で呼ばれる彼女は、そのような喋り方も気に留めない位に、生徒達と打ち解けている。
「本当に?」
ショートヘアーを揺らしながら、グッと顔を寄せられる。
「そういえば昨日今日も、授業中落ち着きがなかったみたいだし、何か心配事でもあるんじゃないの?」
視界の大半を占められ、なおも尋ねられる。
こうして間近で見る彼女は、掛け値なしで美人であった。
(なんだか良い香りが……唇もプルプルしてる。これが大人の魅力!
うわっ、ちょっとだけドキドキしてきたんですけど?)
(阿呆。それよりも落ち着きが無いと言われた事を案じぬか。
授業中、俺を気にしすぎておるようだぞ)
河島が半目で突っ込む。
田中の魅力について少々語り足りない気もしたが、確かに今は彼の言う通りであった。
「……ほ、本当に何でもないよ。大丈夫、大丈夫」
「なら良いけれど」
田中が顔を引く。
「この三年間、野球部再建で大変だったのに、まだ何かあるのかと心配しちゃったわ。
何かあったら、いつでも相談してくれていいんだからね?」
「うん。先生ありがと」
彼女の気遣いが身に染みる。
(優しい教師だのう。何かあれば是非相談に乗ってもらおうではないか)
(お前がその『何か』なんだよ……)
気が重い四柳であった。
黄泉人奇譚
師走三日(火)「消える」
(……ただ、確かにこの三年間は慌しかったなあ。
菱村先輩や山本が突然消えた時はホント驚いたよ)
(消えたとはどういう事だ?)
(ん? 呪いの事だよ。慰霊碑の前で話した事なかったっけか?
一、二年の頃だったんだけどさ、試合に負けた後で、部員が神隠しにあったんだ。
さっきまで普通に話していた奴が、突然消えるんだぞ。腰が抜けるかと思ったよ)
(……ああ)
(消えた部員の事は誰も覚えていないし、怖かったなあ。
あの頃は、セツさんじゃなく、お前の仕業だと勘違いしていたけれどさ)
(………)
河島は何も答えない。
思念は届かずとも、その神妙そうな様子を察した四柳は、首を鳴らすふりをして彼を見やる。
(河島、どうかしたか? 怒った?)
(いや、そういうわけではない。ただ、申し訳ない、とな。
全てはセツさんの仕業であったのだからな)
(ああ……)
そういう事か、と思う。
野球部を襲った呪いの使い手は、天本セツであった。
それだけでも、彼女の恋人であった河島は気に病んでいるのだろう。
呪いをかけた理由が、河島達の無念を晴らす為のハッパ掛けなのだから、なおさらだ。
しかし四柳は、セツを恨んではいない。
当然、河島に対しても、その様な気持ちは一切持ち合わせていなかった。
(……俺の心が読めるんなら、分かるだろ?
俺は全く恨んじゃいないし、お前が気に病む事でもないと思うけれどな)
(そうは言うがな……
……!? 四柳、前!!)
河島の思念が、途中から急激に強まった。
その思念を受けて反射的に前を向く。
田中深雪の身体が、半透明になっていた。
「あ、あら? どうしたのかしらこれ?
なんだか目がチカチカ……違う、なにこれ、私の身体が……」
自らの手を眺めながら、田中が狼狽する。
聞こえてくる声は、次第にかすれだした。
「み、みゆき先生!?」
思わず中腰になり、彼女に手を伸ばしかける。
「やめ……誰……ひっぱら……ないで!!
四柳君! よつや……ぎ……ん……」
彼女の身体が更に透け始める。
言葉から察するに、何者かに引かれているのだろうか。
この光景には見覚えがあった。
そう……
(神隠し!?)
四柳の肩が震える。
だが、臆するのはその一瞬だけであった。
「先生っ!!」
慌てて彼女の腕を掴もうとする。
だが、その手は空を切った。
田中深雪の姿は、もうそこには無かった。
(どういう事であるか、これは!?)
河島が傍まで駆け寄ってきた。
「知らないよ、そんなの!」
思念ではなく、声を張り上げてそう返す。
心中が大いにざわめいて、平常心を保てない。
怪奇現象はこの事だけではないのだ。
突然の河島の出現。
昨日遭遇した、不思議な力を扱う獣と黄無垢。
そして田中深雪の消失。
この数日で、幾つもの怪奇現象に遭遇している。
(落ち着くのだ、四柳。
神隠しであれば、心当たりはあるであろう?)
なだめるような思念が届く。
確かにその通りである。
神隠しに限れば、既に二度目の当たりにしており、原因も分かっている。
(そうだな。いきなり怒鳴って悪い)
(いやいや。俺こそ、お前を煩わせている一因ですまぬな)
冗談めいた思念を受ける。
思わず苦笑が零れるが、すぐに表情を引き締めた。
(……神隠しは、人間による呪いだった。
だとすると、また誰かが野球部に呪いをかけようとしているのかもしれない)
(対象は野球部ではないかもしれぬがな。
何にしても情報が乏しい。さて、どうする四柳?)
(ううん……)
四柳は顎に手を当てて考え込む。
ガタッ
唐突に、教室の扉が音を立てた。
顔を向けると、立て付けの悪い扉が揺れるように開かれようとしていた。
「失礼します」
扉が完全に開き、落ち着きのある声が聞こえてくる。
野球部の現在の主将、ユニフォーム姿の大神博之の姿がそこにはあった。
(彼は?)
(野球部後輩の大神ってんだ。凄い球投げるんだぞ)
(ふむ。一度対戦してみたいものよ)
河島のその先の言葉は分かっていた。
それ以上は特に思念のやり取りをせず、大神に声を掛ける。
「よう大神。どうかしたの?」
「ええ、今度の練習試合の事で先生に相談しに来たんですが……」
大神が教室の中を見回す。
「先生はここじゃないんですか?」
「……えっと」
返答に窮する。
練習試合の話であれば、田中深雪を探しているのであろう。
自分が体験した神隠しでは、消えた人物の事は誰も覚えていなかった。
ここで彼女の名前を出せば、奇妙な顔をされる事は間違いない。
(でも、何か情報を引き出せる可能性もある……か)
四柳の腹が決まる。
「先生なら神隠しにあって消えちゃったよ。
いやあ、とんでもないなあ。ちゃんとメモしておこう。
神隠しに遭った事を紙に書くし、なんちゃって。はは〜」
名前を出さず、明るい声で返事をする。
加えて、冗談と受け取られるよう心がけた。
(……この間から思っていたが、お前、ダジャレの才能は壊滅的だな)
(うるさい、静かにしてろ!)
河島をあしらいつつ、大神の反応を伺う。
しかし、大神博之は笑わない。
「……か、神隠しの事、知ってるんですか?」
大神は、金魚のように口をパクつかせてそう言った。
………
……
…
「ふぅ〜」
四柳は靴を履くと、力の無い足取りで学校の玄関を出た。
空を見上げて、大きく息を吐く。
そうしながら、大神から聞いた話を頭の中で反芻する。
しかし、妙案は浮かんでこない。
「どうしたものかな」
ぼそりと呟き、歩き出す。
――大神博之の言い分は、こうであった。
実はこの所、野球部で何度か不可思議な現象が起こっていたらしい。
グラウンドに、昨日までは無かった穴が幾つも開けられてたり、
部室内に水が撒かれていたりというものである。
それだけならば、誰かのいたずらと思うのが自然だ
実際に野球部は、いたずらであると判断して、相手の出方を待っていた。
しかし、その次に起こった現象は、人知を超えていた。
先日、練習試合に負けた後に、部員の一人が大神の目の前で消滅したのだ。
大神は、その怪奇現象と、そして消えた部員の事を誰も覚えていない事を、
おそるおそる四柳に切り出してくれた――
(そんな事が起これば、お前の耳に届いてもおかしくはなさそうであるが、
自分がおかしくなったのかと不安になり、然程他言していなかったのだろうな)
隣を歩く河島の思念を受ける。
「……そんな所だろうね。
みゆき先生が消えた時の事を話したら、怖がるよりもホッとしてたみたいだし」
四柳は周囲を眺め、他に生徒がいない事を確認してから、言葉で返事をした。
「……やっぱり、野球部で呪いが再発したと考えた方が良いと思う」
(そうか?)
否定的な思念を受けた。
河島は腕を組み、難しそうな顔をしている。
(お前が目撃した神隠しは、お前以外誰も覚えていなかったのであろう?)
「うん、そうだけど」
(しかし今回の件は違う。
例外的に、お前は消えた部員の事を覚えているし、大神も顧問の事を覚えているのであろう?)
もっともな指摘である。
「確かにそこは引っかかるけれど、俺も呪いの全てを知っているわけじゃない。
それ位の違いは出せるものかもしれないよ。
それに、それまでの妨害活動も類似しているしさ」
(ふむ……であれば、今はそう考えておくか。
ところで「どうしたものかな」とはどういう事であるか?)
「それなんだよね……んっとさ……」
四柳が言葉を濁す。
いつの間にか、彼の足は止まっていた。
「呪いが再発しているなら、糸口はある。
天本さんの所に行けば、きっと何か分かると思う。
けど、それはつまり、セツさんのした事を、大神にも打ち明けるって事だ。
天本さんの心中を思うと、それはなあ」
(大神を連れて行かず、お前だけで行けば良いのではないか?)
「それはそうだけれど、大神、結構怖がっていたからさ。
できればあいつも連れて行って、気持ちを落ち着けてやりたいんだよ」
(左様か……)
河島が何度か頷く。
腕を組んだままで、その辺りをうろうろと歩き回る。
だが、すぐに腕をほどくと、両手を打ち鳴らして四柳の前に戻ってきた。
「そうだ! お前と同じ勘違いをさせれば良いのだ!」
人差し指を立てながらそう言う。
「と言うと?」
四柳の質問に、河島はニヤリと口の端を上げる。
どこか、いたずらっ気の含まれた笑みだった。
「全部、あけぼの丸の仕業にするのだ」
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