「河島、おい、河島っ!!」
 倒れている河島に駆け寄り、上半身を起こす。
 河島は目を閉じており、反応しなかった。
 肩を何度か揺するが、それにも反応を示さない。
 
 
 
「ああ、無駄無駄」
 日の出が首を左右に振りながら言う。
「悪いが、神社の巫女と同じ状態にさせてもらった。
 その男がいると厄介だからな。まあ、とどめを刺しても良かったんだが」
 
「……どういう事だ?」
 四柳は瞳を大きく見開いて日の出を見上げる。
 歯は、強く食いしばられていた。
 
 
 
「どうもこうもねえよ。お前らも大方察しはついているだろうが、その男は神の力で具現化された生命だ。
 それも、何の負担も無しに常時姿を維持できている、高度な能力によってな……」
 日の出が手首を動かし、煙管をいたずらに回す。
 何度か回された煙管は、途中でぴたりと動きを止める。
 それは真っすぐに四柳へと向けられていた。
 
「まだその力に慣れちゃいないようだが、使いこなされると不味いのよ。
 俺が後れを取る事もあり得るからなあ。……そこで、眠ってもらう事にしたのよ」
「後れって、まさか……」
「おお、そうよ。お前をここに呼んだのはそれが目的だ」
 日の出は、二人を見下ろしながら冷やかな笑みを浮かべる。
 敵視と言っても過言ではない笑みだった。
 
 四柳はそっと河島を床に寝かせてから立ち上がった。
 自分に向けられている煙管を、その先にいる日の出を、睨みつける。
 熱い感情が心中に湧き上がってきた。
 
 
 
「まあ、そう怒らずにもう少し聞けよ。
 お前らを島から追い出すのは造作もねえよ。
 だが、半端に逃しちゃ、後がどうなるか分かったもんじゃねえ。
 だから、具現力を持つお前や巫女は除いておこうと思ってな」
「具現力……?」
 
「お前らは死力だとか呼んでいたっけな。
 具現力。想いが形を成す力だ。おそらくは思力という文言に転じ、
 そこから当時の情勢に影響を受けて、死力だなんて言葉として伝わったんだろうよ」
 日の出はそう言いながら煙管を水平に構える。
 唐突に彼の周囲で風が舞い起こった。
 彼の和服が激しくはためくが、身体自体は微動だにしない。
 
 
 
 
「お前が突如その力に目覚めたのは、具現力を増幅させる勾玉が一因だ。誰にだってできる事じゃねえ。
 だから、お前と巫女、後は零体でやっかいな河島を片付けりゃ、後は安心して人間を追い出せるってわけだ」
「日の出ぇ……!!」
 この島の主の名を、ひねり出すようにして口にする。
 強い昂ぶりが心中を駆け巡った。
 この男は、この島は、自分の大切なものを除こうとしている。
 四柳が激怒するには、それだけで十分な理由だ。
 
 だが……
 
 
 
「ぐう……っ……俺は、戦いに来たんじゃない!!」
 四柳は声を張り上げる。
 
 心中では、溢れ出る怒りを必死に抑え込んでいた。
 頭の隅に葉月の忠告が残っている。
 自分一人では、まず日の出に勝つ事はできないだろう。
 ここで感情に任せて殴りかかれば、怒りは多少晴れるかもしれないが、天本と河島の命はないのだ。
 
 
 
「お前も、大神の言葉を聞いていたんだろう!?
 一度だけ……人間を信じてくれ……!!」
「………」
 日の出が眉をひそめる。
 予想はしていたが、色好い反応ではなさそうだった。
 
 
 
「……知性を持った生命の性よな。多少は目を瞑ろう。
 だが、今回の行いは許容の範疇を超えてんだよ」
 日の出の周囲に舞い起こる風が勢いを増す。
 うっすらと彼の身体が発光しはじめる。
 水平に構えた煙管は、特に強い輝きを見せていた。
 
 
「四柳知佑――覚悟!!」
 日の出が、煙管を大きく横に薙いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走十七日その弐(火)「諸行無常」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――意識が朦朧とし始めた。
 痛い。全身がきしむ。
 流血こそしていないものの、日の出が煙管から放つ光弾に当たる度に、身体が重く感じる。
 
 だが、肉体以上に傷付いているのは精神だ。
 これまでも喧嘩の一つや二つはやってきたが、そのいずれも怖かった。
 相手を傷つけようという意思を持った人が殴りかかってくるのだ。怖くないはずがない。
 その点において、今回は傷つけるという程度ではない。
 自分を亡きものにしようという意思をぶつけられているのだ。
 怖くて怖くて、仕方がない――
 
 
 
 
「どうした、四柳! このまま命を終えるか!?」
 日の出が歯をむき出しにして煙管を振る。
 その都度放たれる光弾を必死に避けてはいるものの、稀に当たってしまうと強い衝撃が走る。
 
「日の出、頼む……話を……」
 遠のく意識を必死に踏みとどまらせ、恐怖を振り払って日の出へ向かって足を進める。
 
「ふん……」
 日の出の動きは俊敏だった。
 四柳が数歩踏み出した時には、残像を残して立ち位置を変えている。
 先程からこの繰り返しだった。
 
 
 
「もう、話し合いの余地なんかねえんだよ」
 日の出が冷たくいい放ち、煙管を振った。
「ぐうっ!!」
 立ち位置を変えた直後の光弾が、四柳の太腿に当たる。
 痛みを少しでも逸らそうと全身を伸ばすが、大した効果はない。
 そこへ追い討ちをかけるべく、次々と新たな光弾が飛んでくる。
 
 
 
 
「その昔、俺達と人間は共存していた」
「ぐ……」
「だが文明の発達と共に、人間は俺らの事を忘れ、そして自然へ不必要に踏み入った」
「ふぐ……」
「何度もこらえたさ。だがその都度、裏切られてきた」
「ううっ……」
「いや、懐古するつもりじゃねえよ。信仰はどうだっちゃいいんだ」
「がは……!」
「だがな。島の自然そのものを破壊するたぁどういう了見だ?」
「はぐ、ううっ!」
「人の業……欲は捨てられない事だとは思うぜ?」
「ぐ、うう……」
「でも……俺達も泣き寝入りするわけにゃあいかねえんで、なあっ!!」
「うあああああああああっ!!」
 
 
 
 
 光弾の連続を全身に受け、膝が崩れ落ちた。
 もう、力が入らない。
 河島の傍で、うつ伏せに倒れてしまう。
 光から離れたからだろうか、それとも自分の目がおかしくなったのだろうか、何も見えない。
 日の出の状態も察する事ができなくらい、心身が衰弱している。
 もう、身体を動かす事は出来なかった。
 そうかこれが、と四柳は思う。
 
 
 
(俺、死んじゃうのかな……)
 ぼんやりとそう考える。
 意識はだんだんと薄れゆく。
 
 
(まだ、プロ野球選手になれていないのにな……
 ……ま、いっか……甲子園は、行けたんだし……)
 自問というよりは、思念を漏らしているようなものだった。
 
(練習、きつかったな……
 でも……日の出高校に、日の出島に来て、良かったな……)
 記憶が徐々に遡る。
 甲子園から、厳しい練習の日々へ。
 練習の日々から、部員集めの苦労へ。
 部員集めの苦労から、はじめて島に来た日へ。
 
(……そういや、島に恩返ししたいんだった、俺……
 俺と、父さんを救ってくれた島に……
 その島で育った優しい皆に……まだなにも……していない……)
 
 
 
 
 ふと、頭上が輝いた。
 光弾かと思ったが、新たな衝撃と痛みは走らない。
 身体はもう動かなかったが、頭が持ち上がるような錯覚を覚える。
 どういう事なのか考える余裕はない。
 
 ただ、その錯覚と並行して光が近づいてくる。
 光の中に、うっすらと人の輪郭が見えた。
 眩しくて、顔の作りまでは到底伺えない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あなたの無事を祈っております」
 
 光の中の人がそう言った。
 どこかで聞いた事がある言葉だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「「そうだ……」」
 二人の声が重なる。
 もう動かないはずの身体を起こす。
 真っ先に視界に入ったのは、隣の河島。
 意識を絶たれたはずの彼もまた、身体を起こしていた。
 重なったのは、彼の声だった。
 
 
「これは!」
 日の出が狼狽の声を漏らす。
 四柳と河島はそのまま立ちあがると、お互いを見合った。
 二人とも、小さく頷く。
 相手の事を何も考えていないのに、まるで鏡映しのように身体が動いた。
 
 
「「いくぞ、相棒」」
 また二人の声が重なる。
 その言葉と同時に、互いに相手に向かって足を踏み出す。
 河島の身体が吸い込まれるように消えた。
 憑依である。
 
 
「おお、動きやがったか!
 おおし! その力見せてみろ!」
 日の出が腰を落とし、煙管を構えなおした。
 彼の煙管が、一層強く光り輝く。
 狼狽の表情は、不可思議な笑みへと変わっていた。
 
「日の出えええええええええっ!!」
 四柳が跳躍する。
 速い。
 これまで憑依した時よりも、ずっと身体が速く動く。
 身体の動作には一切の抵抗を感じなかった。
 それは、普段通りの自分の身体というよりも……
 
 
 
(これこそが、俺の本当の身体のように感じる……!!)
 
 
 
「「「ぬおおおおおおおおおおおっ!!!」」」
 四柳と河島、そして日の出が叫ぶ。
 煙管さえ抑えれば、彼には攻撃手段がないはずだ。
 距離を一気に詰めてしまい、煙管へと手を伸ばす。
 
 そこは、ただただ眩い。
 吸い込まれるような錯覚を覚える。
 
 そして、光に手が届く――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「「!?」」
「おおっ、あっぶねえ……」
 日の出が大きく息を吐く。
 四柳の手は、日の出の煙管を目前にして、彼が張った光の幕に遮られていた。
 そこから手を更に押し出そうとしても、幕に腕を包み込まれていて動かない。
 彼の手は、届かなかったのである。
 だが……
 
 
「……い〜い一撃だ! お前らの気持ち、十分に伝わったぞ!」
 日の出は、歯をむき出しにして、子供っぽい笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
「「試したぁ〜〜〜!?」」
 
 憑依を解いた四柳と河島は、裏返った声でそう叫んだ。
 
「おう! すまねえ! このとーり!」
 日の出が両手を合わせ、上半身を直角に曲げる。
 だが、彼の口調は相変わらずだ。
 動作も相まって真剣味は感じられない。
 
 
「いや、そんな適当に謝られても……」
 四柳がジト目で日の出を見下ろす。
 さすがにバツが悪くなったようで、頭を上げた日の出も、笑みに苦味を加えて頭を掻く。
 
「ああ、そうだなあ。
 いくら後で治癒するつもりだったとはいえ、さすがに痛かっただろうしな。
 悪い。確かにちょっとやりすぎた」
 もう一度日の出が謝る。
 まだ真摯というには程遠い言葉遣いであった。
 だが、彼なりに心は込められているのかもしれない、と思う事にする。
 
 
 
「だがな。戦っている最中に言った事の大半は事実だ」
 日の出が真剣な表情を作る。
 
「守り人には、増長している人間を信じられないという奴は大勢いる。
 俺としても、神というだけでそいつらを強引に押さえ込みたくはねえのよ。
 なにせ、命が懸かってんだからな」
「そこで、俺達に有限実行できる力を示させ、説得材料にするというわけか」
 河島が顎に手を当てながら言う。
「おう、察しが良くて助かるぜ。
 俺に食って掛かる位の気持ちがあるといやあ、強硬派も納得すんだろうよ」
 日の出が表情を崩す。
 良く笑う男だった。
 
 
「つーわけで、襲撃している守り人達には撤収指令を飛ばした!
 町じゃあ相当混乱しているようだが、当事者以外の記憶は消すから大丈夫だ。
 お前らが帰る頃には、巫女も目を覚ましているから、そっちも安心しろ」
 日の出が胸を張る。
 その言葉に、四柳はようやく安堵を覚えた。
 一度怪我を治療してもらったのに、また全身から力が抜けてしまう。
 
 
 
「……ふう。しかし、この島の神は随分と人間臭いのだな」
 同じく開放感を感じているのだろうか、河島が大きく息をついてから言う。
 その言葉を受けて、対象者は一人しかいないというのに、日の出は確かめるように自分を指差した。
 四柳と河島は何度も頷いてそれに返事をする。
 
 
「そっかあ? 神なんざ皆こんなもんだぜ。人間が幻想を抱きすぎなんじゃねえのか?」
「まあ、そう言われれば返す言葉はないが……」
 
「そんな事より、お前ら、本当になんとかしてくれんだろうな?」
 日の出が煙管で二人を軽く突く。
「あ……ああ、それは絶対になんとかする」
 四柳が断言する。
「おっし、頼んだ!
 じゃなきゃ、また守り人達が騒ぎたてるからな!」
 今度は、四柳の肩を叩きながら日の出が言う。
 先程までこの男と戦っていたとは思い難い気さくさだった。
 
 
 
「あ、守り人と言えば……ほら、お前らもう帰しちまうぞ!
 すぐに皆が帰ってくる。お前らが残っていると面倒なんだよ」
「帰ってくるって、一体どうすれば?」
「俺の力で二人とも日の出神社に飛ばしてやるよ。ほら、行くぞ」
 日の出がそう言って煙管を振ると、四柳と河島の周囲に青白い光が生まれた。
 
 
 
「そうだ。葉月と深雪に伝言を頼む。
 二人とも当分人間界で監視続行だ、ってな。
 宜しく頼んだぜ」
 日の出が手を振りながら言う。
 それはすなわち、彼女らとこれまで通りの日々が送れるという事なのかもしれない。
 四柳は頬を綻ばせ、日の出に応えて手を振った。
 
 
「それじゃあ日の出……あ、日の出様」
 四柳が言葉を改める。
「今更構わねえよ。日の出でいい」
「分かった。日の出、それじゃあまた」
 
 それは、特に今後を意識した言葉ではなかった。
 自然に挨拶をしたら出てきた、再会を望む挨拶。
 日の出にとってもその言葉は予想外だったのか、彼は目を丸くしたが、すぐに表情を綻ばせる。
 
「おう、またな!
 今度は何か甘いもんでも土産に持って来いよ!」
 日の出がそう告げて、煙管を振る。
 
 青白い光は二人を包み、そしてその姿を消し去った――
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
「……気持ちの良い奴らだったな」
 
 日の出が呟く。
 
「あいつらが力を見せてくれて良かったな。
 
 でなきゃ、選びたくねえ選択だってありえた。
 
 だが、諸行無常だ。
 
 野球が上手くなりたい気持ち。野球を愛する気持ち。そして島を愛する気持ち。
 
 それらのずば抜けた気持ちの強さに、類似した気持ちを持つ幽霊の河島が呼応したんだろう。
 
 あの力も、その気持ちの強さと相性あってのものだが……
 
 逆に言えば、その気持ちが切れる時が、あの二人が力を失い、そして別れる時なんだろう。
 
 さて……いつまで持ってくれるものかな」