気絶した葉月は、融通が利く天本の家の空き部屋にひとまず担ぎ込む事になった。
 目が覚めるまでは、誰かが同じ部屋で様子を見ようという事になり、
 疲労が著しく休息が必要な天本を除く四名がペアになって、交替で葉月が目覚めるのを待った。
 そして、彼女が目覚めたのは、四柳と河島が番をしている時間帯……その日の明け方であった。
 
 
 
「……んっ」
 葉月が僅かに声を洩らしながら目を開く。
「お。おはよう」
 ちょうど彼女の顔を見ていた四柳は、それにすぐ気が付き、声を掛けた。
 
 
 目が覚めた彼女にどう接したものかは、四柳にとっては悩み処だった。
 
 葉月の立場や日の出島の問題の事は、大まかには理解できた。
 だが、彼は当事者ではない。
 彼女の心境や、人間が今後島の自然をどうするのかという大きな問題に、安易に答えは出せない。
 それは同時に、葉月に対する接し方の悩みでもあった。
 眠っている葉月の顔を眺めながら、それについて考え続けた結果……四柳は、自分のやりたいようにやる事にした。
 
 それが挨拶である。
 つまり彼は、日頃と変わらない姿勢で接する事を選んだ。
 今回の事件の全容がどうであり、そしてこれからどうなっていくにしても、葉月とはこれまで通りの間柄でいたかったのである。
 
 
 
 
「……! ど、どういう……つっ……」
 状況を把握するのに数秒を要した後、葉月は身体を起こそうとした。
 だが、戦闘のダメージは大きかったようで、腹部を抑えながら上半身を起こすだけに留まる。
 
「おお、起きたか」
 窓の外を眺めていた河島が近づいてきた。
 葉月の前で片膝を付き、彼は軽く頭を下げる。
 
「致し方ない状況ではあったが、手荒な事をして申し訳ない。
 あの時は四柳でなく、俺が身体を動かしていたのだから、こいつの事は悪く思わないでくれよ」
「?」
 憑依の事情がよく飲み込めていない葉月が、怪訝そうな表情を浮かべる。
 河島は、それ以上の説明はせずに『皆を起こしてくる』と四柳に伝えて退室した。
 四柳は片手を上げてそれを見送る。
 部屋には、四柳と葉月だけが残された。
 
 
 暫し、二人の間に沈黙が訪れる。
 
 
 
 
 
 
 
「……どうして?」
 先に沈黙を破ったのは葉月だった。
「どうしてって、何が?」
「どうして、私にとどめを刺さなかったの?」
「おいおい、穏やかじゃないな」
 四柳は苦笑しながら、床に座り直す。
 
 
「そうよ。この問題は穏やかに解決できるような事じゃないの」
 葉月が四柳を見つめながら言う。
 冷たい口調だった。
 
「私達にとっては、命が懸かっているといっても過言ではない問題なの。
 だから……絶対にこの島の自然は守るわ。
 体調が戻ったら、またすぐ貴方達に襲いかかるかもしれないわよ?」
「ううん、それは困るなあ」
 のほほんとした喋り方。
 葉月の眉がぴくりと反応する。
 
 
「……貴方、私が言っている事の意味、分かってるの?」
「ああ、もちろん分かってる」
 四柳の口調にいくらか真剣味が出た。
 葉月の瞳を見つめ返しながら、彼は言葉を続ける。
 
「もちろんそれは好ましくない。だけれど、そうなってもまだ好転する可能性はあるよ。 
 でも、あの時点で葉月さんにそんな事をする選択は無い。
 その時点でバッドエンドだもんね。皆も似たような事考えてたみたいだよ」
「ばっど……えんど?」
「嫌な結果、とでも言えば良いかな。それに……」
「それに?」
 
 
「葉月さん、本当は優しい人って知ってるからさ。
 そんな事する姿、想像できないよ」
「ふぇ……!?」
 葉月の手が微かに震えた。
 それを隠すようにして毛布を強く握ると、慌てて顔を背ける。
 四柳からは見えなかったが、彼女の顔は、首からせり上がるようにして赤らんでいった。
 
 
 
 
 
「どしたの? まだ体が痛むのかな。あの時は本当にごめんね」
 ニブチンが葉月の顔を覗きこもうとする。
 葉月は別の方向に顔を向けた。
 ドンカンがそれを追いかけようとする。
 また葉月がよそを向く。
 それが何度か続いた。
 
 
「よ……四柳さんの朴念仁!」
 葉月が顔を上げて叫ぶ。
「え? なに? 僕人参?」
「ボ・ク・ネ・ン・ジ・ン!!」
「はあ、ボクネンジン? ……で、それってどういう意味?」
「……知らない! もう!」
 葉月が拗ねてみせる。
 彼女の言葉の理由も、心境も、四柳には全く分からない。
 だが、自分の知っている葉月が帰ってきたような気がして、四柳の気持ちはどこか安らいだ。
 
 
 
 
 
「おーい、起こしてきたぞー」
 そこへ、河島がやってきた。
 彼に続いて、天本、唯、大神が順番に部屋に入ってくる。
 多少休めたとはいえ、皆、表情からは疲労が読み取れた。
 
 
「………」
 そして、最後に入ってきた大神の姿を見るなり、葉月の表情が曇った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走十五日その弐(日)「夢を見る」
 
 
 
 
 
 
 
 
「改めて、大神グループがやろうとしている事に謝罪させて欲しい。
 そして、この島の自然を破壊しない事を誓わせて欲しい」
 
 全員が揃うや否や、いの一番に口を開いたのは大神だった。
 胡坐をかいていたが、頭をしっかりと下げる。
 彼の表情からは、強い意志が感じられた。
 
 
 
 四柳は、ふと、考える。
 自分が同じ立場であれば、ここまで凛とした態度を取れるだろうか。
 環境がそうしたのか、彼自身がその様な人間であるのかは分からないが、
 やはり彼には、責任ある立場への適正があるのかもしれない。
 
 
(ふむ。お前よりもしっかりとしているのではないか?)
(ちょっと静かにしてろよ)
(別に喋ってはおらんぞ)
(はいはい……)
 河島の茶茶を適当にあしらう。
 
 
 
「………」
 大神の言葉を聞いても、葉月は何も言わない。
 
 ただ、曇った表情で大神を見ているだけだった。
 彼女が何を考えているのか、全く見当は付かない。
 だが、大神の熱意が一切届いてない事はないだろう、と四柳は思う。
 
 
 
「あのね、葉月さん」
 唐突に唯が声を掛けた。
 意外な人物の発言に、一同が彼女を見やる。
 その視線に少々面食らったようだが、葉月は言葉を続けた。
 
 
「……天本さんもそうだけれど、私は、この島で産まれて、この島で育ったの」
「………」
「そんな私が言う事だから、贔屓目と思われちゃうかもしれないけど……
 島の人達、皆、良い人よ。断言できるわ。
 島の自然が危ないと分かったら、きっと、皆自然を守ろうとしてくれると思うの」
「……ん」
 葉月がぼそりと呟く。
 
 単に声が漏れただけとも、
 相槌を打ったとも、
 同意の意を示したとも取れる。
 判断が難しい声だった。
 
 それから、彼女は全員を見渡した。
 表情は、まだどこか冴えない。
 
 
 
 
「……とりあえず、分かったわ」
 葉月が投げやりに言う。
「それじゃ、僕達の事を信じて……」
「信じない」
 大神の言葉をピシャリと絶つ。
 
 
「私は、もう貴方達に危害は加えないというだけよ。また痛めつけられるのも嫌だし。
 でも、生死の問題なんだから、そう簡単には信じられないの」
「……そうか」
 大神が声の調子を落とす。
 だが、彼はすぐに笑顔を浮かべた。
 
「いや、今はそれでも十分だ。
 俺達がする事を、見守っていて欲しい」
 
「………」
 葉月は、返事をしなかった。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
 皆、あまり長く自宅を空けるわけにもいかなかった。
 葉月が落ち着いた事もあり、今日はひとまず帰宅する事とした。
 
 
「やれやれ、これでひと段落かなあ。
 この所、ずっと緊張していたから、なんだか疲れちゃった」
 玄関で靴を履きながら、唯が息を漏らした。
 
「そうですね。まだ消えた人の事や、そもそも自然を守る大仕事もありますけれど、
 危害を加えないという制約は貰えましたし、少し落ち着けますね」
 大神が同意の言葉を発する。
 声には張りこそあるものの、彼も気だるそうではあった。
 
 
「全くだ。これで落ち着いて野球ができるというものであるな」
「だから、そう気軽に憑依しようとするなよ……」
 四柳と河島も軽口を叩く。
 皆、疲労困憊であったが、気持ちの上では多少気が楽になっていた。
 そして、そんな四人を見送る天本は、物言わずに彼らを見つめていた。
 
 
 
 
「それじゃ天本さん、俺達は帰るけど、何かあったら連絡ちょうだいね?」
「あ、はい……」
 四柳の言葉に、天本は頷く。
 彼女の疲労が一番大きいからだろうか、その声は気力に欠けていた。
 
 
「大分疲れているようであるな。今日は体を休めておくと良い」
 それを察したのだろう。河島が声を掛ける。
「ええ、そうですね。もしかしたら明日も学校を休んで休養するかもしれません」
 天本はもう一度頷いてから、微笑んでみせる。
 笑顔も、どこか力が無いものだった。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
 ――暗闇の向こうから、その音は聞こえてきた。
 
 随分と賑やかだ、と四柳は思う。
 
 主に聞こえてくるのは笑い声。
 
 歌い声のようなものも混じっている。
 
 それに合わせて、鼓笛の音色も聞こえた。
 
 暗闇の向こうで祭りでもやっているのだろうか。
 
 四柳は目を凝らす。
 
 それだけで、暗闇がゆっくりとと明けてくる。
 
 思ったとおりだった。
 
 着物だろうか。古めかしい格好をした人達が、歌声や鼓笛の音色に合わせて、広場で踊っている。
 
 皆、笑顔を浮かべている。
 
 広場の隅には大きな木があった。
 
 木の枝に、誰かが座っている。
 
 男。この男も着物を着ていた。
 
 着物は白一色で、彼は髪も白い。清楚な印象を受ける。
 
 男は煙管を咥え、頬杖を付いて、目を細めながら人々を見下ろしている。
 
 横には、やはり着物を纏った動物達がいた。
 
 犬や、猫や、雀や、蛇や、兎。
 
 奇妙な光景のはずなのに、違和感を感じない。
 
 むしろ暖かい気持ちになる。
 
 白い着物の男が口を開いた。
 
「まだまだ、俺達も……」
 
 距離があるのにはっきりと聞こえる。
 
 それを不思議に思ったその時だった。
 
 四柳の体が揺れた――
 
 
 
 
 
 
 
「!!」
 四柳は目を覚ました。
 目を覚ましながら、体の揺れを感じる。
 地震が起こっているのだと把握できた。
 物が落ちるほどではないが、はっきりと感じられる揺れだった。
 上半身を起こしながら様子を伺っていると、すぐに地震は収まった。
 
 
「地震か。珍しいな……」
 ぼそりと独り言を呟く。
 部屋の隅を一瞥すると、床で寝ている河島は地震に気がつかなかったようで、まだ寝ている。
 もう暫くそのまま動かずにいたが、第二波はないようだった。
 地震が収束したと分かると、自然と先程の情景が脳裏に浮かんできた。
 
 
 
 
 
「……さっきの、夢か」
 そう言いながら、布団から起き上がる。
 地震のせいだろうか。
 それとも夢のせいだろうか。
 強い胸騒ぎを感じていた。
 
 おもむろに窓の外を眺める。
 時刻は分からないが、一面の暗闇だ。まだ深夜だろう。
 その暗闇と、先程の夢の始まりを重ね合わせてしまう。
 夢の内容は、ありありと思い出せた。
 現実に体験した事のような感覚だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
「……誰だろう。あの白い人」
 静かにそう言う。
 胸騒ぎは、理由の分からない切なさに変わっていた。