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跳躍した葉月が、交錯させた両腕を大きく振りかぶろうとする。
天本が駆け出し、四柳の前に出たのはそれとほぼ同時だった。
「奏っ!!」
天本の甲高い声が響き渡る。
数珠を握った右手を振り、左手で印を結ぶ。
瞬く間に、四柳ら全員を覆う程の、半球状の風の壁が生み出された。
「少しはマシになったみたいね。試してあげるっ!」
葉月が叫んだ。
どことなく笑いの篭った叫びだった。
テンションが高まっているのか、或いは開き直っているのだろうか。
四柳はそんな事を一瞬だけ考えたが、すぐにその思考を隅に追いやる。
「風はね、こう使うの!」
着地と同時に、葉月が腕を振る。
その腕から生み出されるように、風が鋭い鏃のような形を成して弾き出された。
同時に、風で煽られてフードが脱げ、彼女の長い髪が左右に広がった。
弾き出された葉月の風は、天本の風の壁によって打ち消された。
しかしその勢いは激しく、天本の風の壁にも穴が空いてしまう。
「破れた……!」
眼前の爆ぜる様な衝撃に歯を食いしばりながら天本が腕を振ると、穴はすぐに塞がった。
「あ、天本さんっ!」
「大丈夫です。これ位は……」
心配そうに声を掛ける唯に、天本は振り返らずに返事をした。
しかし、その声にはさほど余裕が感じられない。
全力疾走しながら絞り出しているような声だった。
「これ位? 甘く見て貰ったら困るわ」
葉月が冷たく言い放った。
彼女の瞳が一層赤みを増す。
妖しい輝きに誘われるかのように、周囲の枯葉が葉月の下へと集まってきた。
瞳を始点にして、横に一条の光が走る。
葉月の身体が、消えていた。
「き、消えちゃったよ!?」
唯が狼狽する。
「あら、ちゃんといるのよ。貴方達の周りにね」
返事が聞こえてきた。
右の雑木林の方から聞こえてきたような気はする。
その近辺を含め、周囲を見渡すが、葉月の姿は見当たらない。
「私の死力は、風を操る力だけじゃないの。正しくは、自然を操る力。
だから、木の葉に乗って木々の裏側に隠れる、なんて事もできるわけ」
今度は、左側の雑木林から声が聞こえてくる。
反射的にそちらを見ると、確かに雑木林が風の音で激しくざわめいている。
おそらくは、彼女はそこに潜んでいるのだろう。
しかし……
「いかんな。左側だけではなく雑木林全体が風でざわつき始めた。
加えて、夜闇の中では、雑木林に隠れた相手を視認できぬ」
河島が忌々しそうに眉をひそめる。
「そういう事。ほら、今度はこっちよっ!」
今度は背後から声が聞こえた。
振りかえると、雑木林から姿を現した葉月が腕を振りかぶっていた。
彼女の腕から再び生み出された鋭い風が、壁の風に突き刺さる。
「く、うううっ!」
天本が即座に壁を埋めた。
声が幾分苦しそうになっている。
「さあ、どれだけ持つのかしらね……」
葉月の瞳の輝きがまた線を引き、その身体は枯葉に乗って四柳達の周囲を回る。
彼女の衣服と髪が、風になびいて、滑らかになびいている。
舞いのような、艶やかな光景だった。
(河島、憑依して攻撃するか?)
(いや、あえて身を晒している最中は、逆に警戒しているであろう。おそらく失敗する。
憑依は好機一本に絞るぞ。こちらの速さを見られれば、更に警戒されてますます手が出せぬ)
河島とやり取りを交わす。
今は手を出しても逃げられる。
雑木林に隠れている間も手が出せない。
つまりは、葉月が攻撃の為に身を晒した時しかチャンスは無い。
しかし、その時に飛び出してしまっては、天本の守りの恩恵を受けられず、葉月の風に突き刺されてしまう。
(……どうしたものか……)
「聞いてくれ、葉月さん!」
突然、大神が声を張り上げた。
突然の叫び声に、四柳らは大神を見る。
「大神グループが日の出島の自然に手を掛けようとしていたなんて、知らなかった……。
でも、知ったからには、絶対に僕がそんな事はさせない。
父に掛けあって、必ず建設を止めてみせる! だから、攻撃を止めてくれ!」
大神の目が大きく見開かれている。
手のひらは強く握りしめられ、その強さのあまりに震えているようにも見えた。
力強い言葉だった。
「……信じられるものですか」
だが、葉月の返事はそれだけだった。
再び、彼女の身体が風で踊り上がり、雑木林の中に消える。
同時に風で舞い上がった枯葉が、泉に浮かぶ月の上に落ちて波紋を作り出した。
「もう、無理だ」
河島が短く言い放つ。
「………」
大神は、無言で表情をこわばらせた。
黄泉人奇譚
師走十五日(日)「泉神楽」
葉月の攻撃は休み無く続けられた。
雑木林の中を駆け、時折姿を覗かせては風を打ち込み、すぐに雑木林の中に戻る。
それの繰り返し。
反撃したくとも、カモフラージュの音が引き続き鳴っている為、彼女の動きへの反応は遅れてしまう。
結果、攻撃の機会はまだ一度も訪れていない。
「はあっ、はあ、はあ……はあっ……!!」
天本の呼吸は、もうかなり荒い。
彼女の風の壁は、葉月の攻撃を全て相殺していた。
その都度壁を作り直すのは、相当な精神力を要しているのだと見受けられる。
彼女がこうも苦しんでいるのに、未だ反撃の糸口を見つけられない自分がもどかしい、と四柳は思う。
「焦るな、四柳」
その感情を悟った河島がなだめる。
四柳は悔しげな表情で頷く他なかった。
「わざわざ私の本拠地に乗り込んでくれたのは助かったわ。
覚悟なさい。ここで貴方達に勝ち目は無い……!」
左後方の雑木林の中から葉月の声がする。
今思えば、あえてキショウブの香りを残したのは罠だったのかもしれない。
「ここよっ!」
今度は右から声が聞こえ、葉月が飛び出してきた。
同時に、また風の鏃が繰り出され、壁に穴を開ける。
「は、ああっ……くうっ!
そ……奏……!!」
天本が体勢を崩しかけたが、必死に堪える。
数珠を持った右手を大きく振る事で穴が塞がる。
天本はいよいよ限界が近づいているようだった。
「……先輩」
ふと、大神が口を開いた。
「どうした、大神?」
「壁の外に出ます」
淡々と言う。
「え? お前、そんな事したら……あっ」
大神を止めようと片手を伸ばした所で、気がつく。
「そ、そっか。大神君は壷の力? があるから、攻撃されないんだっけ」
「なるほど。攻撃を受けないのであれば、相手の風をいなすも良し。
或いは、反撃の糸口を掴む事もできるかもしれんな」
唯と河島が、四柳と同じ事に気がついた。
「……先輩」
大神は真っ直ぐに四柳を見つめ、同意を求めてくる。
強い意志が感じられる瞳だった。
「分かった。気をつけろよ」
頷いて返事をする。
「はい」
そのやり取りを聞いていたのであろうか、天本が何も言わずに壁を取り払った。
大神が小走りで四柳らから離れると、再び風の壁は作り出される。
「葉月さん!」
大神が叫んだ。
だが、葉月の返事は無い。
代わりに、雑木林が一層大きくざわめいた気がする。
「今から言う事を、よく聞くんだ!」
大神がなおも叫ぶ。
ポケットに手を入れて、何かを取り出した。
離れていてはっきりとは見えなかったが、取り出したものを耳に当てた辺り、おそらくは携帯電話だろう。
しかし、その行動の意味までは分からなかった。
「もしもし、僕だ」
大神が通話を始めた。
「大神君……?」
唯が首を傾げる。
四柳も同じ心境だった。
誰にかけているのかも、何の為にかけているのかも、全く予想が付かない。
「夜遅くにすまない。至急頼まれて欲しいのだが、僕の部屋に壷があるはずだ。
それを割って欲しい。……ああ、今すぐだ。急げ」
大神が淡々と言う。
「お、大神っ!!」
四柳が声を荒げる。
大神は携帯を耳に当てたまま、横目で四柳らの方を見た。
だが、前言を撤回するような様子は無い。
瞳は、先程と変わらない強いものだった。
「……どういうつもり?」
雑木林の中から葉月の声がする。
「どうもこうもないよ。聞いての通り、うちの者に壷を割らせているんだ。
……ん。そうか、割ったか。ありがとう。それだけだ。立て込んでいるので切るぞ」
大神が携帯を切ってポケットに戻す。
それから彼は、両手を広げて天を仰ぐようにしながら言葉を続ける。
「さあ、これで僕に神通力とやらは無くなったはずだ!
その上で、君にもう一度言いたい事がある!」
「……あなたの話なんか」
微かに葉月の声が聞こえる。
雑木林のざわめきは若干収まりだした。
「葉月さん! 僕を……人間を信じてくれ!」
大神の言葉は続く。
四柳らは言葉が搾り出せない。
大神は、自分の身を危険に晒す事で、自身の決意の強さを表そうとしていたのである。
その決心に、皆が言葉を失っていた。
「守り人だとか、黄泉人だとか、君達の事はあまり分からない。
だが、大神がやろうとしている事がこの島の自然を破壊する事だとは分かる。
そして、僕はそれを良しとしない!」
「……何を……」
葉月の声がする。小さな声だった。
「本当だ! 人が……人が皆、自分の事しか考えていないわけではない!
誓って、この島の自然を守ってみせる!」
「何を、今更……!!」
葉月の声が震える。
「葉月さん!!」
「う……う……」
雑木林のざわめきが殆ど止んだ。
ただ一ヶ所だけが、未だに震えている。
強い緊張感が、一帯を襲った。
(あそこだ、四柳!)
河島がその思念と共に憑依してくる。
「嘘だあああああああああっ!!」
葉月が飛び出した。
大神に向かって、片腕を大きく振りかぶっている。
間に合った。
四柳が間に割って入る。
この場合は、河島が、というべきかもしれない。
憑依してからの身のこなしは、河島が動かしているものだった。
予想外に強引な行動に、四柳は見ている他ない。
葉月の腕が振り下ろされようとする。
その腕を受け止める。
「……すまん」
河島の声がする。
空いている腕が、葉月の鳩尾に打ち込まれる。
「ぁ……!」
葉月が目を見開いた。
彼女の意識は、その一撃で断ち切られた。
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