四柳らが組んだ編成は、二日目にして早くも崩れてしまった。
 この日、天本玲泉と大神博之が学校を休んだ為である。
 天本は『週末の探索の為に休息を取る』と、四柳へ電話で連絡を寄こした。
 一方の大神は、教師からの又聞きではあるが、体調不良との事である。
 
 その為、この日通学した当事者は四柳と唯。加えて同伴の河島だけである。
 この日は、野球部の練習も早めに切り上げていたが、それでも12月の陽が落ちるのは早い。
 四柳と河島は、点在する民家の乏しい灯りの中、唯を自宅まで送り届ける事にした。
 
 
 
 
「大丈夫だと思うんだけれどなあ」
 四柳の隣を歩く唯が、ふと独り言のように呟く。
 
「大丈夫って、黄泉人がこないって事?」
「うん、そうそう」
 四柳の問いに、唯は頷く。
 
「ほら、これまで襲ってきたのは全部ひとけがない所でしょ?
 この辺りも通行人はいないけれど、家はポツポツあるわけだし、襲ってこないんじゃないかな?」
「おっ。なるほど、言われてみれば確かにそうだ」
 相槌を打つ四柳。
 
 
「明日は、まだどこに探しに行くか決まってなかったよね? 
 天本さんと大神君に、ひとけがない所を提案してみたらどうかしら」
「うむ。良いと思うぞ。四柳はどうだ?」
 河島が賛同し、四柳を見る。
 
「俺も異論はない。……しかし、大神は大丈夫かな」
「そっか。今日は欠席だもんね。昨日はむしろ体調良さそうだったんだけれど」
 唯が首を傾げた。
「あいつ、ああ見えて繊細な所があるからなあ。
 今回の事、気丈にふるまっても、内心は結構ダメージがあったのかもしれないよ」
「ああ、そう言われれば確かに……」
 
 
 
「欠席と言えば、セツさんの孫はどうなのだ?」
 二人よりも後方を歩いている河島が尋ねる。
 普段の河島の声は、腹から出て良く通るものであったが、
 この時の彼の声は、天本の事を案じているのか、どことなく張りに欠けていた。
 
「天本さんは大丈夫だと思うよ。
 もともと日常生活には問題ない位回復してるけれど、念を入れての休養って事だし」
「ふむ。そうか」
 
「……あっ。でも……」
 ふと、唯が不安そうな声を漏らした。
 その声に二人が反応して唯を見る。
 彼女は二人の顔を交互に眺めたが、おずおずと言葉を続ける。
 
 
 
「……その、私の気のせいかもしれないけれど、最近元気が無かったような気がするの」
「ふむ?」
 河島が興味深そうに頷き、言葉の先を促す。
 
「なんというか、生返事が多いというか……
 普段から物静かだけれど、それとは少し違う気がする。
 四柳君は、そういう印象は受けなかった?」
「俺? 俺は……」
 意見を求められ、四柳は目を伏せて考え込む。
 
 
 
 実は、彼も唯と同じような印象を受けている。
 だが、彼の心中には、更に別の懸念点も浮上していた。
 
(それだけじゃない。
 あの晩……どこかに外出しようとしていた事が、どうも気になる。
 その理由を話したがらなかった事も。
 なんだろう、一体……この事は唯さんにも話して良いものだろうか……)
 
 
 
「あー、こいつに意見を求めるのが間違っておる!」
 唐突に河島が口を挟んだ。
 やめだと言わんばかりに両手を交差させながら四柳と唯の間に割って入る。
 
「日頃からボケッとしておるこいつが、そんな事に気が付くわけがない。
 ほら、そんな事より早く行こうではないか」
「あ、うん……」
 唯は何度か四柳の方に振り返ったが、河島のオーバーリアクションに押されるようにして歩き出す。
 河島も、そんな彼女の後ろを歩き出した。
 
 
 
(おい、河島?)
 背中越しに彼に思念を送る。
(その事は一応伏せておこう。なにか訳ありのようだったではないか)
(……うん、それもそうだな)
 
 同意の思念を返してから、先を行く二人に駆け寄った。
 だが、必死に抑え込もうとしていた一つの考えが、そんな四柳の中で、うっすらと形を作り出していた。
 
 
 
 
 
 
(……そうだよな。まさか、天本さんに限ってあるわけはないよな。
 天本さんが敵方だ、とか……)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走十三日(金)「帰宅路の情景」
 
 
 
 
 
 
 
 
 唯の自宅は、商店街の一角である神木電気店に併設されている。
 この時間の商店街は徐々に店が閉まりつつあったが、まだ人は多く行き交っていた。
 また、営業開始時刻となった飲食店のネオンは賑やかで、この時、島の中では最も活気に溢れている。
 
 唯の予想が正しいのかどうかは判断のしようがないが、
 少なくとも、四柳個人の心境としては、賑やかな商店街を歩く事で安心感を覚えた。
 
 それはどうやら唯も同様のようで、商店街に入った辺りから彼女は口数が増えている。
 加えて、河島が周囲に見られないように姿を消した為に、会話は一対一で、もう長く唯との会話が続いていた。
 
 
 
 
 
「そんなわけで、うちのお父さんホント酷いんだ!」
「あー、うん。うん」
「あ、そうそう! お父さんと言えば、この間……」
「へー、ほう、ほう」
 
 神木唯ここにあり。
 マシンガンの如く喋る彼女に、四柳は適当な相槌を打つ。
 だが、唯は四柳と雑談できているというだけで十分満足できているようで、
 四柳が適当な反応を返しても、特に表情を歪める事はない。
 
 
 
(……そういや、唯さんとこんなに話すの、久しぶりかもな)
 彼女の言葉に頷きながら、四柳はふとそんな事を考える。
 
 十二月は黄泉人騒動。
 十一月はドラフト。
 十月、九月は国大。
 八月、七月は夏大。
 六月まで遡って、一つ記憶が甦る。
 
 あれは、夏大会に向けて練習時間も延びるようになった時期だった。
 練習時間が延びれば、当然帰宅時間は遅くなる。
 マネージャーである唯の帰宅時間も遅くなった為、あの時は、今日のように連日四柳が自宅まで送っていた。
 あの時も、今日のように彼女と雑談に興じていた。
 
 具体的な会話の内容は殆ど覚えてない。
 おそらくは、野球の話か、取るに足らない雑談。
 だが、それが心安らぐ時間だった事は覚えている。
 
 
 今年の夏は、怖かった。
 あけぼの丸の呪いを解く為の、最後の機会だった。
 仕損じれば、自分も神隠しにあっていたかもしれない。
 
 そんな時に、神木唯は普段と変わらぬ様子で明るく接してくれた。
 当時の彼女はあけぼの丸の呪いを知らないのだから、普段と変わらないのは当然である。
 だが、彼女の変わらない明るさは、当時の自分にとっては確かに救いだった。
 
 
 
(……唯さんのこういう所、全然変わらないなあ)
 なおも隣で捲くし立てる唯を眺めていると、自然と苦笑が零れる。
 
「あれっ、私、何か変な事言った? 急に笑い出して……」
「いや、なんでも」
「そう? なら良いけれど」
 そうは言うが、唯はどこか腑に落ちない様子で片方の眉をひそめる。
 四柳の思わせぶりな苦笑が相当気になっている様子で、それから暫く彼女は口を開かず、何かを考えているようだった。
 
 
 
 
「唯さん?」
 さすがに彼女の沈黙が気になり、声を掛ける。
 名前を呼ばれた唯は、一度だけ四柳を横目で見たが、すぐに視線を前に戻した。
 
「あのね、四柳君」
 前を向いたまま、唯が口を開く。
 頬が、なんとなく赤いように見えた。
 
 
「私、天本さんから詳しい話を説明してもらって、凄く驚いたんだよ」
「驚いた? ああ、黄泉人の事?」
「それもあるけれど……それよりも驚いたのは、四柳君が三年間呪いと戦ってた事の方かな」
「あ、ああ……」
 思わずコクコクと頷く。
 彼女が直面している問題よりも、自分の過去に驚いてくれたという事態に、微かな戸惑いを覚えた。
 
 
 
「ごめんね。気づいてあげられなくて」
 唯が顔を伏せながら言う。
 表情はよく見えない。
「い、いやいや! 気づけるはずないよ、あんなもの!」
 河島は慌てて首を横に振る。
 同時に、何やら話が変な方向に向かっている印象を覚える。
 
(あんなものとはなんであるか)
(う、うるさいな、少し黙ってろ!)
 すっかり存在を忘れていた隣の河島から思念が届いたが、邪険にする。
 
 
 
「ううん、そうかもしれないけれど……それでも、やっぱり私は悔しいんだ」
 唯が顔を上げた。
 足を止め、四柳を直視する。
 一人で歩き続けるわけにもいかず、四柳も同じように立ち止まって唯と向かい合う。
 
 
「四柳君の力になってあげたかったの」
 頭一つ分だけ身長差がある四柳の顔を見上げながら、唯が言う。
 
 彼女は真剣な瞳をしていた。
 夜闇の中で灯っている商店街のネオンが、彼女の顔に射しかかる。
 頬はいよいよ紅潮しているようにも見えたが、ネオンとの判別が付きにくい。
 
 
 
 
 
「いや、それは……」
「四柳君! 大事な話があるの」
 知らずとも十分に助けられていた、と言おうとしたが、唯の言葉がそれを制する。
 
 
 
(え、ええっと、この雰囲気って、もしかして……) 
 四柳は思わず生唾を飲み込む。
 
 まさか、と思う。
 まさか自分が。
 好意をもたれる理由に思い当たりがない。
 勘違いの可能性もある。
 だが、もし勘違いでなかったら。
 もしも、好意を打ち明けられたとしたら。
 その時は、自分は……
 
 
 
 
(……むう)
 唯と向かい合っていると、とても思考を整理する事が出来ない。
 視線を彼女の後方にある店舗に逸らす。
 
「あのね! 私……私……」
 だが、そうしている間にも唯の言葉は続く。
 その先を言葉にしにくいからだろうか、彼女の声が、だんだんと小さくなる。
 視界の隅に入っている彼女は、胸元に両手を当てていた。
 その手は微かに震えているようにも見えるが、はっきりとは分からない。
 
 四柳の胸は、強く鼓動した。
 
 
 
(いやいやいや! ほ、ホントに? ええっ!?
 俺、まだ気持ちの整理が……あれ……?)
 大いに狼狽。
 だが……彼の混雑した思考は唐突に停止した。
 
 
 
(どうした? 根性据えんか!)
(いや、ち、ちょっと待って……)
(ちょっとってお前……?)
 外野の河島の野次を受け流す。
 彼の停止した思考は、別の思考によって上書きされていた。
 
 
 
「唯さん、少し待って」
「え?」
 唯が裏返ったような声を出す。
 
「この香りだ……」
 四柳はそれだけ告げると、彼女の後方にある店舗の前に向かった。
 店先には、その店の商品が幾つも陳列されている。
 店舗はちょうど閉店の時刻を迎えているようで、ガラス扉の奥では店員が店仕舞いの準備を進めていた。
 
 
 
「これが、どうかしたの?」
 唯が四柳の後ろから、その商品を覗き込む。
 その声には少し落ち着きが戻っていた。
「……うん。この前、黄無垢が去った後に、これと同じ香りがしたんだ」
 
「黄泉人の手がかりか?」
 今度は河島が声を掛ける。
 
 
「いや、手掛かりというか、正体が分かったかもしれない。……だけど」
 四柳の言葉が詰まる。
 
(だけど……できれば、俺の勘違いであってほしい……)
 悲しげな表情で俯く。
 だが、すぐに表情を強張らせると、二人の顔を交互に見やった。
 
 
 
 
 
 
「いや……明日、行かなくちゃいけない場所がある。真実を確かめよう」