現場検証は陽が落ちる前に終えようという事になった。
 
 そうなると、野球部の練習が終わるのを待つわけにはいかない。
 その為、大神と唯は、その日の練習を強引に中止にして現場検証へと加わった。
 無論、通常の野球部であればそれなりに波風の立つ行為ではある。
 しかし、名実共にチームの柱である大神と、最上位学年の唯が言い出した上に、
 日ごろの練習で疲労困憊となっていた選手達は、特にいぶかしむ様子もなく、突然の休日を受け入れた。
 
 
 
 
「今日の分は、明日しっかりと鍛えてやりますから」
 五人揃って現場へと向かう最中、大神がそう告げた。
「まあまあ。皆まだ身体が出来ていないんだから、無理はしないようにな」
「そうよー。大神君、最近ちょっと飛ばしすぎよ」
 四柳と唯が苦笑しつつもそれを窘める。
 しかし、大神は首を縦に振らない。
 
 
「なんともやる気に満ち溢れておるなあ。気持ちは分からんでもない」
 そんなやり取りに対し、河島がボソリと呟く。
 その言葉に反応したのは天本だった。
「河島さんは『これから野球を』という時期に亡くなったのでしたね」
「うむ。なので同じく、野球がしたくてしたくてたまらんのだがなあ」
 そう言いながら、チラチラと横目で四柳を見る。
 
 
 
「………」
 四柳はその視線を無視して歩き続ける。
 二週間に満たない同居生活で、構うだけ疲れるだけだという事は十分に理解していた。
「宜しいのですか?」
「宜しいのです」
 天本の言葉にも淡々と対応する。
 
 
「ふん、つれない奴よ。
 こんな奴に呼び出されたのが残念で……ん。着いたな」
 河島が悪態をつきつつ、前方を見通す。
 100メートルほど前方に生え揃っている林の裏に、建築中のビルが見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
 
「ううん……」
 天本は、現場路上に未だ突き刺さったままの鉄筋を眺め、唸るような声を漏らした。
 
 現場検証とは言っても、黄泉人に関する知識を持っているのは天本だけである。
 四柳らは、情報共有の為に同行しているようなものであり、役には立つ見込みはない。
 よって、天本が何も見つける事が出来なければ、検証は空振りで終わるのだが、
 彼女の反応を見る限り、その可能性が高い印象を四柳は受けた。
 
 
 
「天本さん、どう? 何か分かりそう?」
 彼女の背後から、四柳が覗き込むようにして声をかける。
「いえ、流石にこれだけではなんとも」
 振り返った天本が申し訳なさそうに首を左右に振った。
 予感的中である。
「そっかあ」
「ごめんなさい。もう少し調べてみます」
 天本はそう言って、再び前方の鉄筋と建設中のビルを交互に眺め始めた。
 
 
 
 
「しかし、うちのビルがこんな所に建っていたなんて……」
 天本の横では、大神が工事許可証を見ていた。
 
「なんだ大神、知らなかったのか?」
「ええ。父の仕事を時たま手伝う事はありますけれど、さすがに全て把握しているわけではありませんので。
 それでも日の出島で何か建てるのなら、一声掛けてくれても良かったのにな」
 大神が両腕を組んでビルを見上げる。
「それで、ここ何が建つのかな? 遊んだり買い物できたりする所だと嬉しいんだけれど……」
 今度は唯が発言する。
 彼女の言葉に反応して、四柳は改めて工事許可証を見たが、それに関する記載は無かった。
 
 
「何も書いていないね」
 四柳が肩を竦める。
「そっかあ。気になるなあ」
「今度父に聞いておきますよ」
 大神が唯を見ながらそう言う。
 ……が、不意にそんな彼の表情が怪訝なものへと変わった。
 
 
「ん、どうかしたのか?」
 河島が声をかける。
「あ……いや、僕の目が悪いんですかね?
 神木先輩の後ろにある木が、今、うねったような」
「うねった?」
 天本を含む全員が、大神の言葉に反応して彼の視線の先を見やる。
 
 そこにあるのは、周囲の木々と変わらない3メートル程の広葉樹林であった。
 大神の言うような変な動きをする兆しはない。

「なんだ、ただの……」
 四柳が呟く。
 
 
 
 その木の枝が、鞭のようにしなって四柳に向かって伸びたのは、その瞬間だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黄泉人奇譚
 
師走十日(火)「黄無垢再来」
 
 
 
 
 
 
 
 
「奏!」
 天本の甲高く鋭い声が同時に響く。
 
 四柳は一瞬、前方に身体を引き寄せられるような感覚を覚えた。
 それは周囲の風が彼の前方に寄せられたからである。
 その風は瞬く間に凝固し、風の壁に突如進路を遮られた木の枝は、空中でひしゃげた。
 
 
 
「誰かいるぞ!」
 河島の大きな声が響く。
 それに反応して、面々は素早く風の壁の後方に身を寄せる。
 
 
「これが……」
 天本の力を目の当たりにした大神が、どこか呆けたような声を出す。
 彼はその神秘を確かめるかのように、風の壁に手を伸ばそうとした。
「驚くのは後だ! 誰かいるぞ!」
 河島が声を張り上げて同じ事を言う。
 大神は肩を跳ね上げて驚いたが、正気に戻ったようで、すぐに手をひっこめた。
 
 
「今回は壁を大きくしたから、集中しなくては維持ができなくて……
 誰か、いるんですか?」
 神社で初めて死力を見せてくれた時のように、天本が前方に手を突き出しながら、誰にでもなく問う。
 
「……何か林の中で動いてる」
 四柳が前方の林から視線を切らずに返事をする。
 
 彼の言葉通り、林の中で一か所だけ、周囲の木々とは異なって激しく揺れ動く所があった。
 それ以上は、もう誰も言葉を発しない。
 壁の維持の為、眼前に集中している天本以外の全員が林を凝視する。
 
 
 
 
 
 ――再び、林から枝が伸びた。
 
 天本が腕を強く前方に押し出すと、空気の壁は厚さを増し、枝は壁に衝突する。
 立て続けに、二本、三本と伸びるが、全て空気の風が阻んだ。
 そこへ、また枝が伸びてくる。
 
 
「はあっ……!」
 天本が荒く息をする。
 だが、天本は構えを解かない。
 
 枝は尽く壁に潰されているが、その攻撃は止まない。
 天本が構えを解き、風の壁がなくなる時は、攻撃に対して無防備になる時である。
 拘束されるのか、突き刺されるのか、或いは……
 何にしても、好ましい事はない。
 
 
「守る一方ではどうにもならん。攻めるぞ!」
 河島が四柳に声をかける。
「攻めるったって、さっきから枝が伸びっ放しだぞ。どうやるんだよ」
「無論、林まで接近して……」
 河島はそう言いかけて、口を噤んだ。
 
 彼らの前方に立っている天本は、いよいよ大粒の汗を流し、呼吸も一層荒くなっていた。
 林に近づくには、彼女に守ってもらいながら距離を詰めなくてはならないが、それができるとは到底思い難い。
 
 
 
「きゃああっ!」
 唐突に叫び声が聞こえる。
 すぐ傍から聞こえたその声に四柳が反応すると、唯の足に木の枝が絡まっていた。
 木の枝は前方の林から伸びている。
 あまりに多くの枝が伸びてきて、見逃していた。
 
 
「先輩!」
 一番近くにいた大神が枝を引き離そうとする。
「大神君!」
「ぐ……剥がれない!!」
 大神が唸るような声を洩らしながら、懸命に枝を引っ張る。
 しかし、枝は唯の足を強く捉えているのか、剥がれる様子はない。
 
 
「河島!」
 四柳が叫ぶ。
 同時に軽く手招きをする。
「うむ」
 それだけで彼の意図を理解した河島が、四柳に身体を預けようとする。
 河島の身体は、四柳に当たる直前で消えてしまった。
 憑依である。
 
 
 
 
「今回は俺が動かすぞ!」
(良かろう。やれっ!)
 短いやり取り。
 万が一を考えて持ってきていたものがあった。
 膨らんだ制服のポケットに手を突っ込み、中から硬式球を取り出す。
 
 
「おりゃあああっ!!」
 威勢良く声を張り上げ、サイドスローで林に向ってボールを投げようとする。
 
 ただでさえ彼は、甲子園優勝校の主将である。
 図抜けた強肩が武器の選手ではないが、それでもドラフト一位でプロチーム入りする選手としては、恥ずかしくない程の肩力は有している。
 それに加えて、憑依する事でその身体能力を大きく向上させた彼の送球は凄まじいものがあった。
 
 
 バサアアアッ!!
 
 
 ボールがいつ林に突き刺さったのか、誰にも目視する事は出来なかった。
 言葉通り、目にも留まらぬ勢いで投げられたボールは、
 木を切り倒しでもしたのかと錯覚する程の物音をたてて、林の中で蠢いている箇所に吸い込まれる。
 異変が起こったのは、次の瞬間だった。
 
 
 
 
「っ!」
 ボールが投じられた辺りから人が落ちた。
 背中から地面に落下したが、受け身は取れていたようで、すぐに身体を起こす。
 同時に、攻撃してきた全ての枝が全て動きを止めた。
 
 
「あいつ!」
 四柳が目を丸くする。
 彼と河島だけが、落ちてきた人物に見覚えがあった。
 その人物は、全身を黄色い衣装で覆っていた。
 
「………」
 立ちあがった黄無垢が、真っすぐに四柳を見据える。
 フードを深く被っていた為にその顔立ちも目も覆われていたが、その頭部は明らかに四柳に向けられていた。
 
 
 
「……島から、出ろ」
 黄無垢がぼそりと呟いた。
 小声な上に距離があり、四柳はその声を殆ど聞き取る事が出来なかった。
 
「今、なんて……あっ!」
 聞き返すのと同時に、黄無垢の姿が消える。
 どこかに逃げたのではない。
 前回と同様に、その姿は突然見えなくなってしまった。
 
 
 
 
「はあっ、ふうっ……!
 今のが黄無垢、ですか? はあっ……」
 天本が両手を膝に付き、息を整えながら尋ねる。
「天本さん」
 彼女の疲労に気が付いた四柳は、天本を支えるようにして手を差し出しかけたが、天本は首を左右に振ってみせた。
 
 
「はあっ……大丈夫、少し走った後のようなものですから。それより……」
「うむ、あれが黄無垢だ」
 天本の問いに答えたのは河島だった。
 いつの間にか憑依を解いて、また実体化していたようである。 
 
「そうですか。聞いていた力とはまた異なりますが、確かに人間離れした攻撃でした。
 やはり、黄泉人と考えて差し支えないようですね……ふうっ」
 やっと呼吸が整ったようで、天本が上半身を起こしながら言う。
 
「で、でも、黄無垢は前回は攻撃してこなかったのよね?」
 今度は唯が不安そうな表情で聞いてきた。
「うん。そのはずだったんだけれど……攻撃してきたね。
 そもそも味方と決まったわけでもなかったけれど、問答無用なのはキツいな」
 四柳が溜息をつく。
「獣について調べに来たら、どうやら黄無垢も敵だった事が判明するとはな。
 やれやれ、嫌な収穫であるな……」
 同じく河島も溜息をついた。
 それから、重い沈黙が流れる。
 
 
 
 
「……とりあえず、ここから動きませんか?
 ひとけがある所なら、そう簡単には襲ってこないかもしれませんし」
 沈黙を破ったのは大神の提案だった。
 
 各々が顔を見合わせ合うが、異論のありそうな者はいなかった。
 頷き合うと、誰からともなく、来た道の方へと足を進める。
 だが、一人の足がすぐに止まった。
 
 
 
 
 
「どうかしましたか、四柳さん?」
 四柳が突然足を止めた事に、隣を歩いていた天本が気づき、振り返って尋ねる。
 四柳は、もう何もない黄無垢のいた周辺を凝視していた。
 
 
「……いや」
 それだけ返事をする。
 それは、わざわざ口するまでもない疑問だった。
 視線を前方に戻し、小走りで一行に追いつきながら、四柳は首を傾げた。
 
 
 
(……なんだろ。なにか僅かに甘い香りが漂ってる気がする。
 どこかで感じた事があるような……)