「あら……今日も随分と散らかっていますね」
 
 天本玲泉はその部屋に入るなり、呆れたような声を上げる。
 玲泉が足を踏み入れた部屋……主人公の部屋は、漫画の単行本と野球の雑誌が床に散らばり、
 また、カラとなったスナック菓子の袋とペットボトルが卓上に置きっぱなしで、大いに散らかっていた。
 
 玲泉は気だるそうに嘆息を零し、ゴミのうちの一つを拾い上げる。
「主人さんが練習から帰ってくる前に片づけてしまいましょうか」
 だが、そう言う彼女の表情には、仕方なしと言わんばかりの苦笑が浮かんでいた。
 
 
 
 先日ドラフトで一位指名を受けた主人は、今や島民にとって時の人である。
 皆から期待の声を掛けられ続ければ、感じる重圧は日に日に増す一方。
 部屋の整頓まで気が回らないのも、致し方ないものであった。
 
 
 それに、少しばかり散らかっていた方が、居候としての仕事があって良い、と玲泉は思う。
 
 
 そう。居候である。
 夏に祖母が急死した玲泉には、一つの問題が生じていた。
 そのままでは、高校を卒業するまでの半年間、保護者がいない状態での生活を送る事になるのだ。
 この事態を見越していたのか、幸いにも天本セツは死亡保険に入っており、金銭面での問題はなかった。
 生活能力という面でも、彼女はクリアしている。
 しかしそれでも、島民達は玲泉を案じてくれた。
 島民達の会合で、祖母を亡くした心労を考え、大人が共に暮らしてあげるべきだ、という結論を出し、
 強いて言えばの選出で、遠縁にあたる藤田巡査の庇護下に入るという話が進みかけていた。
 
 しかし、彼女の強い希望と希望先の合意によって、玲泉は、島で唯一の診療所を営む主人氏の所で居候する事となった。
 正確には、主人氏ではなく、彼の息子である公との暮らしを望んだわけであり、
 そこに至るまでには、また別の話があるわけなのだが……
 
 
 
 
 ともあれ、今は掃除である。
 そういったわけで、主人家の居候となって三ヶ月以上の玲泉は、
 主人が帰宅するまでの間に、自らの仕事である家事の一つ、掃除に勤しんだ。
 
 まず、ゴミを全てゴミ箱に捨てる。
 次に、漫画や雑誌を卓上に纏めた。
 それから、掃除機を階下から持ってきて、部屋一帯の埃を除く。
 最後に、まとめていた読み物を一つ一つ適切な場所に移す。
 ごく普通の掃除の流れである。
 だが、アクシデントは、そういった普通の中に潜んでいるもので……
 
 
 
「あっ……」
 雑誌を本棚にしまおうとした際に手を滑らせ、逆に、収納済の雑誌を落としてしまった。
 バサバサと気の滅入る音を立てて雑誌が床に散乱する。
 それらを全て拾い上げ、改めて本棚にしまおうとした時に……
 落ちた雑誌に隠れるように、本棚奥に他の雑誌がある事に気が付いた。
 それも整頓しようと手に取った所で、玲泉の動きが固まる。
 
 
「この雑誌……」
 
 情欲的な煽り文句。
 肌色が多くを占める表紙。
 頬を染め、目を潤ませる女性も描かれている。
 
 ありていにいえば、エロ本である。
 
 
 玲泉はその本を棚に戻さず、無表情でぱらぱらと眺める。
 初めて見るエロ本であったが、それでも、この本の傾向が特殊である事が玲泉には分かった。
 というのも、まともな格好をした女性が一人もいないのである。
 皆、体操着なり制服なり、アニメやゲームのキャラクターと思わしき服装なり、特殊な格好をしている。
 
 そんないかがわしい雑誌の中に、折り目がついているページがあった。
 玲泉はそのページから始まっている漫画に目を通すと、
 ふぅ、と真意の掴みにくいため息をつき、まじまじとヒロインを見やる。
 暫しそうしていた玲泉だが、やがてゆっくりと顔を上げると、感心した様子で呟いた。
 
 
「主人さん、こういうものが好みなのですね……」
 
 瞳の奥を僅かに輝かせる。
 それから、コスプレ本を主人のベットの枕元にそっと置くのであった。
 
 
 
 
 
 
 
  パワプロクンポケット4
 
アマえもん
 
 
 
 
 
 
 日暮れ時。
 
「ただいまあ〜」
 自主練習を終えた主人が、間の抜けた声で帰宅する。
 玄関で床に腰をおろし、土間に足を投げ出してから靴を脱ぐ。
 
「主人さん、おかえりなさい。今日もお疲れ様です」
 背後から、玲泉の明るい声が聞こえた。
 確かに疲れたが、彼女の笑顔をみればそんな疲労も少しは和らぐ。
 主人は目尻を緩めて振り返った。
 
 
「いやー、今日は本当に疲れちゃ……
お? お、おおっ!?」
 玲泉を見て、すっとんきょうな声を上げる。
 
 振り向いた先にいた彼女は、青い耳の付いたカチューシャを装着していた。
 どう付けているのか、後方には同じく青くて長い尾っぽ。
 首には鈴の付いた赤いチョーカーを着用している。
 素材は毛糸だろうか、白い厚手の手袋も付けていた。
 極めつけはその衣装。鮮やかな青を主体として、腹部に白い半円の模様があるセパレートタイプの水着である。
 
 
 思わずごくりと唾を飲み込む主人。
「あ、ああ、天本さん? その格好は、ドラ……」
「いいえ。天本でもドラなんとかでもありません。居候のアマえもんです」
 際どい名前である。
 
「アマえもんって……天本さん、いった……あっ!!」
 突っ込みたい事が山程ある主人であったが、このシチュエーションに一つ思い当たりがあり、突っ込みは全て吹き飛ばされた。
 本棚に隠しておいた秘蔵の一冊の中でも、特にお気に入りの話がある。
 猫型コスプレの少女がお出迎えしてくれ、どたばたのギャグの末、夜にはニャンニャンするあの話。
 彼女の機嫌を伺うかのように、おそるおそる口を開く。
 
「……見ました?」
「見ました」
 最高の笑顔で即答される。
「ごめんなさい」
 とりあえず謝る。
 
「男性ですもの。気になさる事ではないと思います。
 むしろ、言って下さって良いのですよ。主人さんが喜んでくれると思って、私……」
 だが、玲泉は笑顔を絶やさなかった。
 その頬は僅かに染まっている。
 主人公の背筋に電流が走った。
 
 
「それでは、主人さん……」
 続けられる玲泉の言葉に背筋が伸びた。
 彼女の小さな口が、その先を告げる。
 
 
「まずは晩御飯にしましょうか。今日はおもちオンリーです」
 あじゃー、とズッこける主人であった。
 
 
 
 
 
 流石に『目のやり場に困るから』と、玲泉には水着の上にとりあえず制服を着てもらって、リビングで合流した。
 彼女の宣告通り、卓上には本当におもちしか並んでいない。
 黄粉や砂糖醤油に餡子等と、付けるものこそ豊富に用意されており、味も申し分ない。
 
「うまいもんだなあ」
 パクパク食べるには食べたのだが……一抹の物足りなさの残る食事であった。
 
 
 
 そして夕食後。
「あれ。今日は父さん出かけてるんだっけ?」
 ソファに腰掛けてリビングでテレビを眺めながら、ふと、帰宅してから父を見かけていない事に気がついた。
 
「あら、お忘れですか? 今日は本土で医師会の会合があるので、向こうで泊ってくると言われてましたよ。はいどうぞ」
 制服こそ纏ったものの、他のアクセサリーはそのままの玲泉が、熱い玉露とドラ焼きを差しだしながら答えてくれる。
 未だに強烈な違和感こそ感じるものの……可愛い。それだけは否定のしようが無かった。
 
 
 
「そっか……」
 曖昧に頷きながら、お茶受けのドラ焼きをパクつく。
 玲泉も隣に腰掛け、手袋を外している左手でドラ焼きに手を伸ばした。
 
 テレビでは、今年のドラフトで主人を指名したチームの試合が行なわれている。
 玲泉にとっては、将来の旦那(暫定)の先輩が出場しているわけで、
 それなりに興味があるようであり、選手の顔がアップになる度に、その選手の名前や特徴を尋ねられた。
 主人も分かる範囲でその問いに答えるのだが、どこか上の空で力の無い回答であった。
 
 
(そっかあ……今日は父さんは泊りか……)
 
 彼の内心は、野球どころではなかったのである。
 考えてみれば、玲泉が居候として来てから、二人だけで過ごす夜は初めてだ。
 そういう日に、彼女が自らこの格好という事は……
 どきり、と強い緊張感を覚える。
 
 
 
『ここまでハッキリとアピールしてんだから、あとは分かってんだろ、公!』
『駄目です! 彼女は冗談で貴方を和ませようとしているだけ。真心を踏みにじってはなりません!』
『なにおう!?』
『なんですと!?』

 
 脳内で、二頭身の黒主人と白主人がぽかすか喧嘩を始める。
 舞い立つ埃の中、顔をあざだらけにしながら立ちあがったのは……黒主人だった。
 主人に対して『やっちゃえ!』と言わんばかりに、グッと親指を付きたててくる。
 
 
 
 ……が、ふと聞こえてきた玲泉の声が、黒主人をかき消した。
 
 
 
「あら……ドラ焼き、一つ余りましたね」
 明るい声だ。
 卓上を見やれば、その言葉通りにドラ焼きが一つだけ余っていた。
 普段ならドラ焼きの一つ位どうでも良いのだが、夕食が物足りなかった為か、この一つに対して強い食欲を覚える。
 
「……食べたいですねえ」
 玲泉が独り言のように洩らす。
 彼女が居候となった直後こそは、こういう時は『居候の身だから』と遠慮……というよりは距離を取っていたものだが、
 彼女に愛情をもって接する主人公はもちろんの事、彼の父も、実の娘のように接してくれたお陰で、
 三か月が過ぎた現在では、玲泉もそれなりに主人家に溶け込んでおり、おやつの主張位はするようになっていた。
 
「ううん。今日は疲れたし、俺も食べたいなあ」
 おやつの取り合い自体は困ったものだが、同時に、これだけ馴染めている現状を幸せにも感じながら、主人も希望を述べる。
 
 
「そうですか……そうですよね。
 申し訳ありません。居候の身でありながら遠慮が無さ過ぎました。
 日常生活も改め、夜も与えて頂いた部屋ではなく、押し入れで寝る事にします……」
 玲泉がジト目で主人公を見やりながら呟く。
 
「わ、分かったよ、分かったから! じゃあ、じゃんけんでどっちが食べるか決めよう」
 彼女の冗談に苦笑しながら、両手を上げてなだめる。
 
「分かりました。それでいきましょう」
 一方の玲泉は、その言葉を待っていましたと言わんばかりに、まだ手袋を着用している右手を前に差し出した。
 不意に、その手を見た主人公の脳裏に、一筋の閃きが走る。
 
 
 今日の格好。
 おもち。
 押し入れ就寝発言。
 そして、白くて厚手の手袋を付けている為、丸みを帯びて見える手。
 そこまでなりきっているのなら……
 これはもう『あの手』しか考えられない。
 内心ほくそ笑み、主人はパーで勝負する決心を固める。
 
 そして……
 
「「さいしょはグ〜、ジャ〜ンケ〜ンポンっ!」」
「っ!?」
 思わず目を見開く主人。
 玲泉の手は、それ以外の何物でもない位にチョキであった。
 ただし、左手。
 手袋の無い手である。
 
 
「あ、あれ? ええと、天本さん……?」
 ぽかんと口を開けて首を傾げる主人。
「はい。頂きますね」
 一方の玲泉は素早く最後の一つに手を伸ばした。
 一口食べ終えた所で、主人に向かってにっこりと微笑む。
 
「左手なら、普通にじゃんけんできますので」
 
 
 
 
 
 
 時刻は、24時を過ぎた。
 その後は取り立ててのイベントが起こる事もなく、就寝の準備を終えた主人は、自室で身体を深くベッドに預けていた。
 暗い部屋で目を閉じ、今日の玲泉の事を考える。
 
 
 
(結局、天本さんは何であんな事したんだろ。
 ……ただ、こうして就寝しても特に何もないという事は、そういう事を考えていたわけじゃないんだろうなあ)
 目を瞑りながらにして、落胆の表情を浮かべて頭を横に向ける。
 
(そりゃ、まだ高校生だしなあ……いや、もう高校生、か?
 うむう……天本さんはどう思っているんだろうなあ……)
 彼女の真意についてなおも考えるが、悲しい男の性か、無意識のうちに真意をそういう事に結びつけようとしてしまう。
 そうなると、悶々とした妄想が止まらない。
 これはなかなか寝付けそうにないぞ、と思った次の瞬間。
 
 
 きぃ……
 
 
「ん?」
 微かな物音に上半身を起こすと、閉じていたはずの自室の戸が開いている。
 戸の傍には人影が見えた。
 薄暗くて良く見えずに暫し凝視すると……何か青い衣装が見える。
 その人影は、一歩一歩、歩みを確かめるようにして主人のベッドに近づいてきた。
 
 
「あ、天本、さん?」
 少し声が裏返る。
 近づかれて、はっきりと分かった。
 間違いなく玲泉……それも、帰宅時の水着姿の彼女である。
 主人の身体を、何かが競り上がってきた。
 
 
「公さん……」
 
 玲泉は、消えてしまいそうな声で主人の名を呟くと、ベッドの傍まで来た。
 固まってしまった主人をよそに、ベッドの縁に腰掛ける。
 更に、身体を滑らせるようにして、布団越しに主人の上に覆い被さる。
 瞬く間の行動であった。
 
 
「……こういう格好がお好みでしたら、言って下さって良かったのですよ?
 帰ってこられた時にも言ったじゃありませんか。
 貴方がそれで喜んで下さるのなら、私……」
 主人の胸元に顔を預けた玲泉が、主人の顔を覗き込む。
 布団越しに、彼女の身体のラインが伝わってくる。
 柔らかく熱を帯びたそれは、主人の身体にも熱を伝播させてくれた。
 
「玲泉……」
 無意識のうちに、彼女の名前を呼んでしまう。
 主人は両手を彼女の背中に回して、身体を引き寄せた。
 
 
  人の顔の距離が、息遣いを感じ合えるまでに狭まり、そして……
 
 
 
 ジリリリリリリリリリリリリッ!!!!
 
 
 
「ぶあっ!?」
 けたたましいベルの音に反応し、主人は身体を跳ね起こす。
 何事かと周囲を見回すと、卓上に置いていた目覚まし時計が20時を告げていた。
 気が付けば、抱きしめていた玲泉の姿が見当たらず、部屋の電気も点いている。
 これは、そう……
 
 
「………あー。
 ホント? ホントに?
 ホントーにそうなの?」
 
 
 現状を把握し、大いに落胆する主人。
 ぼんやりと、帰宅時の流れを思い出す。
 帰宅した時に出迎えてくれたのは、普段着の玲泉だった。
 疲れていたので夕食の内容も確認せず、少し仮眠をとると告げて、自室で休んでいたのだ。
 つまり、先ほどまでの情景は全て……
 
「夢ですか、これ……」
 愚痴を零すように洩らす。
 
 
「あら。主人さん、起きたのですか。入っても構いませんか?」
 目覚ましの音を聞きつけたのだろう。廊下から玲泉の声が聞こえてきた。
 
「……うん、どうぞ」
 力なく返事を返し、自身は立ち上がる。
 良く考えれば、彼女があのように大胆な行動を取る筈もない。
 無論、惜しい。
 惜しいのだが、仕方あるまい。
 目覚ましのボタンに手を掛けた所で、玲泉が中に入ってきた。
 
 
「いやあ、ゆっくりと休めたよ。今日の夕飯はな……」
 玲泉の姿を一瞥した主人の動きが止まる。
 
 彼の枕元には、コスプレ本が置かれていた。