日の出高校には、一学年にクラスが一つしか存在していない。
 いわずもがな、その最もたる理由は島の少子化である。
 
 二年前の九月に転校してきた主人公も、当初はその構成に面食らったのだが、
 いざ学園生活を送ってみると、特別変わった事はないのに、すぐ気が付いた。
 せいぜいクラス替えがないのが印象的なだけで、授業は普通に受けられるし、
 一クラスの人数自体は結構な数がいるから、掃除で人手不足になる事もない。
 
 ……とある学校行事を除いては、なのだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
「なあなあ、島岡さんや」
「あん? どうかしたかよ」
 
 春の穏やかな気候も過ぎ去り、風にほんの僅かな湿気が籠り始めた五月末。
 島岡が昼食の弁当を食べ終えたのを見計らい、主人が対面の椅子に座りながら声を掛けると、
 島岡は普段どおりのぶっきらぼうな口調で返事をしてくれた。
 
 
「ちょっと聞きたいんだけどさ、来月頭に体育祭があるじゃないか」
「あるな」
「あれ……一学年に一クラスしかないのに、どうやるの? 競い合う相手がいないなー、って思ってさ」
「どうって……お前が転校してきたのは一年の九月だろ? 二年の時に経験したろうが」
「いや、俺昨年は、サボったから知らないんだよ」
「あー……そういや、授業サボって練習ばっかしてた時期があったな。あの時か」
「お、おう」
 思わず顔を背けながら頷く。
 げに恐ろしきは『弱気』である。
 
 
 
「んじゃ、教えてやろう。昨年はお前がいなくて戦力的に厳しかったんだぜ」
「と、言うと?」
「そのまんまの意味だよ。日の出高校の体育祭も、普通に対抗戦だ」
「でも、他にクラスがないじゃないか」
「クラス対抗じゃねえよ。学年毎に対抗するんだ」
 
 島岡はそう言いながら、窓の外を一瞥した。
 釣られて視線を追うと、グラウンドでは一年の大神が自主的にランニングをしているようだった。
 今月頭に入部したばかりの彼は「身体がなまっている」と言って、徹底的にフィジカルを鍛えているのだが、
 その自称なまっている状態でも、殆どの能力は三年部員達を凌駕している。
 
 
 
「……チッ、生意気な奴だよな」
「お前とちょっと似てるけどな」
「うるせぇよ。いいか、主人。うちの高校は一年、二年、三年がそれぞれのチームになって総得点を競うんだ。
 今年の一年は大神がいるから、相当手ごわいぞ。覚悟してかかれ」
「大神はともかく、他は全員普通の下級生だろ? 野球部が多い俺達なら、負けはしないんじゃないかな」
「そうはいかねーんだ。体育の成績を参考に、ひらっちが下級生にハンデを付けるんだよ。
 例えば、100メートル走だったら、下級生は全員90メートル……とかな。
 それが絶妙な付け方なんで、学年が違ってもいい勝負になるんだ」
「なーるほど」
「いいか? だからって負けていい事にゃならねえぞ。
 大神の奴に活躍でもされようものなら、あいつ、ますますデカい顔しやがるからな!
 絶対だ! 絶対一年には、大神には勝つぞ! いいな!!」
 
 島岡の口調には、次第に熱がこもり始める。
 乾いた笑いでそれを適当に流して視線を反らすと、その先では天本玲泉が自分達を見つめていた。
 一体、いつから見られていたのだろうか。微かにはにかみながら、主人は片手を上げてみせた。
 
 
 
 
「……だってさ。こいつ、随分とやる気入ってるよね」
「ふふっ、相変わらずのようですね。主人さんもご苦労様です」
「うるせえぞ。……お前ら、最近なんだか仲が良いな」
 
 
「そうかな?」
「そうかも?」
 二人して、とぼけた回答をする。
 確かに、天本玲泉と一緒に遊ぶ機会は多いのだが、そこまで深い関係ではない……はずである。
 故に、主人の回答は事実を述べたものであり、微かな照れの隠蔽でもあった。
 
 
 
 
 
「……ま。島岡は置いとこう」
「はい」
「それより、天本さんはやっぱり体育祭って憂鬱なの? 体育、あまり好きじゃないよね」
「確かに体育よりも座学の方が好きですけれど、体育祭は楽しみですよ」
「あれ、そうなんだ。意外だな」
「ええ、意外です」
 
 そう言い終える頃には、天本はいつもの落ち着きがある笑みを浮かべていた。
 理由を聞いてみても良かったが、彼女の言葉にどことなく突っぱねられたような気がして、会話はそれで終わる。
 それから、もう一度視線を島岡に戻すと、彼はまたグラウンドの大神を睨みつけていた。
 
 
 
 
 
「体育祭……ねえ」
 
 ぽつりと、ただそれだけを零す。
 素直にテンションが上げられない主人なのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
青春リレー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 体育祭当日は、身体を動かすにはもってこいの碧空だった。
 体操着姿で次々とグラウンドに集う学生は、人数こそ少ないものの、
 いざ体育祭が始まると、皆、他校の学生と見劣りしない熱気を放っていた。
 
 主人が属する野球部男子を主力とした三年チームも、同様に熱く、それでいて笑顔を浮かべた者が多い。
 事前に島岡が提案した『くたばれ一年』というスローガンを全員一致で却下し、
 代わりに、誰からともなく挙がった『レッツ、エンジョイ!』という、無難……それでいて高校生らしいスローガンどおりの姿である。
 
 
 しかし……残念ながら、得点は今一つ伸びなかった。
 体育の成績の分だけハンデを組まれている事もあるが、最大の理由は、一年チームが健闘している為だろう。
 特に活躍したのは案の定大神で、彼は出る種目でことごとく一位を獲得した。
 ハンデは下級生全体の成績を考慮して付けられるので、大神も同様にハンデを得ている。
 とはいえ、運動能力は三年以上なのだから、彼が活躍するのは当然の話であった。
 
 結局、午前の部が終了した時点では、一年のスコアが頭一つ抜けて、三年がそれを追う形となった。
 それを面白く思わないのは……案の定、あの男である。
 
 
 
 
 
 
「おいコラ、主人! ……んぐんぐ……お前やる気は……もぐもぐ……」
「口の中の米、飲み込んでから喋れよ……」
 
 観戦に来ていた父との食事を終え、グラウンド傍の応援席に向かっている途中で、
 島岡が握り飯をほおばりながら声を掛けてきたのである。
 その言動こそ滑稽ではあったが、彼の目には熱いものが宿っているようだった。
 
 
 
「んぐっ! ぷはっ!! ……やる気あるのかよ、お前は!」
「普通にやってるよ」
「普通だから駄目なんだよ! 野球やってる時のような熱気がねえ!
 一年と大神に勝てと言ったのに、なんだよ、午前のザマは!!
 200メートル走もゴール間際で流しやがって、危うく二位になるところだったじゃんか!」
「なんだと言われてもなあ……」
 後頭部を掻きながら、言葉に窮してしまう。
 
「ったく、なんだか今日は頼りねえなあ……。
 とにかく午後の部ではシャンとしろよ。分かったな!!」
 島岡はそう言うと、主人の胸元をグーで突いてから去った。
 嵐のような男がいなくなり、安堵のため息を零している所に、
 今度はそよ風のような女性が近づいてくる。天本玲泉だった。
 
 
 
 
「島岡さんに、また発破を掛けられていたみたいですね」
「あはは……聞こえてた?」
「ええ。主人さんが流しているとかなんとか、言われていましたね。そうなのですか?」
「うん……? ……まあ、そうだね」
「怪我をされているとか?」
 天本が小さく首を傾げながら尋ねてくる。
 言葉自体は自分を心配するものだったが、声色からは純粋な疑問も感じられた。
 
 さて、どうしたものだろうか。
 逡巡する事、数秒。
 ……部外者の彼女ならば、話しても問題はない。
 それが主人の結論だった。
 
 
 
 
「そうじゃないんだ。島岡には言わないで欲しいんだけど……水に油を注ぎたくないんだよね」
「……詳しく聞いても良いですか?」
「もちろん。島岡が、一年の大神って奴とそりが合わないんだよ」
「大神さん……あの、長髪の彼ですか」
「そうそう。大神は最近野球部に入ってくれたんだけどさ、ことある毎に島岡が敵視してるんだ。
 今みたく張り合うレベルなら良いんだけれど、前に一度、エスカレートして喧嘩にまで発展した事があってね」
「なるほど」
「だから、俺や周りが頑張りすぎたら、島岡もそれに乗せられて、また何かやらかさないか、心配なんだよ」
「気を遣われていたんですね。……でしたら、流されるのも仕方ありませんか」
「どうかな。俺の気にしすぎかもしれないけどさ」
 
 ははは、と自虐的な笑いを浮かべながらそう言う。
 だが、天本の瞳が珍しく愁いを帯びているのに気が付くと、笑い声は自然と止まった。
 
 
 
 
 
「……天本さん、体育祭、楽しみって言ってたっけか」
「ええ、言いました」
「もしかして、天本さんも体育祭で勝ちたいの?」
「一応は」
 こくり、と天本が頷く。
 表情はまだ笑顔に戻っていなかった。
 
「だって、皆で一緒に頑張って競い合うの、これが最後じゃありませんか」
「……ふむ」
「文化祭では優劣は決めませんし、高校卒業したら、もうこういう機会はないと思うんです。
 ……私は、きっと、なおさら」
「天本さんが、なおさら?」
「………私は進学せず神社に入りますから、そういう意味ですよ」
 微かに俯きながら言う。
「あ、なるほどね」
「だから、主人さんとも一緒に頑張れたら……そう思ったのですが、そういう事情でしたら無理は言えません」
「ううーん……」
 
 主人は、思わず唸り声を漏らしながら腕を組んだ。
 そりゃ、自分だって体育会系だし、できる事なら思いっきり走り回りたい、と思う。
 皆と一緒に競い合うのが最後、という天本の言葉にも、胸を揺さぶられるものはある。
 
 
 
 
 
「よーし、皆、午後は逆転しようねー!」
 不意に、応援席の方から唯の活気に満ちた檄が聞こえてきた。
 それに呼応する声も、いくつか耳に届く。
 
 
「……やる気なのは、天本さんや島岡だけじゃないんだね」
「そうかもしれませんね」
 
 二人して応援席の仲間達を見つつつ、言葉を交わす。
 天本の言葉には、最後まで明るさは戻っていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 午後の種目に入ると、三年チームと一年チームの差は徐々に埋まり始めた。
 三年チーム躍動の源となったのは、やはり野球部の面々で、各々が得意分野での活躍を見せたのである。
 特に圧巻だったのは森本で、100メートル走では最大15メートルのハンデを負わされながら、
 瞬く間に下級生を抜き去ってしまい、影も踏ませぬ独走状態で一位を獲得した。
 
 かくして、最終種目の男女混合4人リレーを前に、三年チームと一年チームのスコアはついに並んだ。
 リレーを制すれば、そのまま優勝となるだけに、三年チームは皆、リレーに向かう四人に大声援を送っている。
 
 ……しかしながら、好事魔多しとはよくいったものである。
 
 
 
 
 
 
「森本君、ちょっと歩き方、おかしくないでやんすか?」
 
 観客席を発った直後、リレー第二走者の山田が、アンカーの森本に声を掛けた。
 リレー走者に志願した島岡と、女子ながら俊足を誇る神木も立ち止まって森本を見ると、
 森本は口の端を微かに歪めながら「キキィ……」と、気まずそうな声を漏らした。
 
 
 
「……さっきの100メートル走でひねったらしい」
 観客席の小山が不安げな声で翻訳してくれた。
 近くでやりとりを聞いていた主人も、慌てて森本に駆け寄り足元を見つめる。
 そこにあるのは、ソックスの上からでも分かる程の腫れであった。
 
「おい、森本。走れるのか……? 無理はしない方がいいぞ」
「馬鹿ね、走れるわけないじゃない。森本君、医務室行かないと!」
 島岡と神木も、それぞれ森本を案ずる声を掛ける。
 それでも森本は「キキィ」と甲高い声を漏らしたが、今度は小山に訳して貰わずとも皆理解できた。
「駄目だって」「悪化したらどうなる」と説き伏せているうちに、騒動を聞きつけた他の三年生も駆け寄り、
 一同に森本を引き留めるので、流石の森本も、表情に悔しさを滲ませながら、首を縦に振った。
 
 
 
 
「……じゃあ、選手入れ替えでやんすね」
「仕方ねえな。代わりに誰が走る?」
「主人君でいいんじゃない? 森本君の次に速いのは主人君だったはずよ」
 リレーの三名が代わる代わる意見を発し、皆の視線が主人に集まる。
 が、主人は肩を竦めながら、呼吸が荒くならないように小さい声で返事をした。
 
 
「……悪い。多分、俺じゃ戦力にならないよ」
「こんな時に謙遜しなくてもいいじゃない」
「そうじゃないんだ。俺、ついさっき800メートル走を走ったばかりだからさ……」
「あ……そっか。それがあるから、リレーからは外したんだっけ」
 発案者の神木も、それ以上は食い下がらずに肩を落とす。
 彼女のみならず、他の三年も皆似た表情をしているのに気が付いた主人は、気まずそうに側頭部を掻いた。
 
 皆、そこまで入れ込んでいたとは。
 いや、これが普通なのかもしれない。
 野球部への呪いを意識するあまりに気が付かなかったが、
 最後の体育祭とは、こういうものなのかもしれない。
 
『高校卒業したら、もうこういう機会はないと思うんです』
 
 その言葉も、脳裏に浮かんでくる。
 あの天本玲泉でさえも、勝ちたいと思っているのだ。
 皆で、何かを掴みたいと思っているのだ――
 
 
 
『三年生チーム、スタート地点に急いで下さい』
 軽快なBGMを流しているスピーカーから、放送部の催促も飛んでくる。
 仕方がない、と言わんばかりに山田が頭を左右に振り、三年一同を一瞥する。
 その視線は……緊張感の欠けるあくびをしていた村田の所で止まった。
 
 
 
「ふぁーあ……あん? 山田、どうしたよ」
「あくびする余裕があるって事は、まだ体力も余ってるでやんすね」
「お、おい、馬鹿言うなよ! 森本の代打って事は、一年アンカーの大神と競い合うんだろ!?
 どう考えても、俺が戦犯になるかもじゃねえか!!」
「その時はその時でやんす。さあ、さあさあさあ!!」
 山田がズイズイと村田に歩み寄り、島岡と神木もそれに続く。
「お、おい……マジかよ……」
 
 村田の声量は、自身の立場を表すように小さくなってしまう。
 だが、他の三年生も逃げ道を塞ぐかのように、村田を取り囲んでしまった。
 
 ……ある一角を除いて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 最終種目のリレーは、波乱の展開となった。
 一年チームとは40メートルのハンデを付けられてのスタートとなり、第一走者の島岡は、それを20メートル差まで詰める事に成功した。
 しかしながら、第二走者の山田が派手に転んでしまい、再び同程度の差を付けられてしまったのである。
 
 それでも、勝負はまだ分からない。
 第三走者は、規定により全学年女子であったが、神木はコーナーを風のように駆け抜け、二年チームを追い抜いた。
 最後の直線に入る頃には、一年との差を10メートルまで縮めていたが、一年チームはバトンが大神に渡っている。
 
 通常ならば、絶望的な差だった。
 通常ならば。
 
 
 
 
 
「もう、ちょっとぉ、っ……!!」
 懸命に手足を振りながら、神木が目を見開く。
 勝負を諦めていない、力強いフォームで走る。
 疾走する彼女を。
 アンカーとして待ち受ける彼を。
 三年生全員が、総立ちで応援している。
 
 
 
 
「唯さんっ!!」
 
 彼が助走しながら発した声は、神木に最後の気力を与えた。
 神木の脚が最後の伸びを見せ、バトンが前に突き出される。
 
 ぱしん。
 
 プラスチックの棒で手を叩いただけの、乾燥した音。
 それは、歓声の合間を縫うようにして、皆の耳にはっきりと届いた――
 
 
 
 
 
 
「主人君、あとお願いっ!!」
「任せとけええっ!!」
 
 
 
 
 
 
 アンカーの主人が、躍動した。
 ただひたすらに大神の背を見つめて、一心不乱に駆ける。
 タスキが風になびく。
 バトンが激しく振られる。
 
 
「いけぇ、主人ーっ!!」
「主人君!!」
「……主人!!」
「頑張れよ、俺の代打!!」
「キキキーッ!!」
 
 仲間達は、ありったけの声援を投げかけた。
 それで気が付いたのだろうか、最終コーナーに入った大神が後ろをチラと見た。
 もう背後まで迫っていた主人の姿に、大神は微かに頬を歪め、更にペースを上げる。
 
 それでも、主人の脚は大神に喰らい付く。
 鉛のように重たいはずの脚が、前に出る。
 少しずつ、少しずつ、大神との距離を詰める。
 もう、ゴールテープは二人の視界に入っている。
 最後の10メートルで、ついに二人は並んだ。
 
 
 
 
「負けませんよ、主人先輩っ!!」
「んぐぉ……ぉぉぉぉっ!!!」
 
 並んだ直後、大神が半歩前に出た。
 対する主人は、全身が疲労困憊で、ついに顎が上がってしまう。
 大神の勝利を確信した一年チームの応援席が、一気に沸き立った。
 ……だが。
 とある三年の、たった一人の声援が……その沸き立ちを突き破り、はっきりと主人の耳に届いた。
 
 
 
 
 
 
「主人さん、負けないで下さいーっ!!」
「おおおおおおお、おおおおおおおおおっ!!!」
 
 
 
 
 
 
 そして、ゴールテープは風に舞った――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――フォークダンスに、得点はつかない。
 
 全競技を終えた生徒達にとっては、心身を適度に落ち着かせる時間となるのだが、
 年頃の彼らの中には、小さな緊張を持って、この最後の催しに参加している者もいる。
 
 
 牧歌的で軽快な音楽に合わせて、次々と踊る相手を変えていく。
 緊張している者の中には、相手の顔を見る事ができない程にガチガチな者もいたが、
 主人は、そんな緊張はどこ吹く風で、一人一人と簡単に言葉をかわしながら踊っていた。
 
 皆「ナイスラン」とか「野球部の方も頑張ってね」等と好意的な言葉を投げかけてくれるので、気分は悪くない。
 神木唯に至っては、まだテンションが落ち着かないのか、握った主人の手を激しく上下に振りながら、踊ってくれた。
 流石の主人も困惑し、苦笑を零しながら神木と離れて、次の相手の手を握る。
 ……待っていたのは、神木とは対照的な落ち着きを持つ少女だった。
 
 
 
 
 
「よ、天本さん」
「主人さん……リレー、お疲れ様でした」
 挨拶をかわしながら、天本の手を握る。
 赤子のように小さく、柔らかかったが、それは意外にも強い熱気を潜めていた。
 
「いやあ……本当に疲れたよ。もう勘弁だ」
「苦労が報われて何よりでしたね。優勝できて、凄く嬉しいです」 
「そか。それなら良かったや。
 俺も、大神が爽やかに握手を求めてくれた時はホッとしたよ。
 島岡との件は、俺の考え過ぎだったのかもね」
「でも……なんで急に、村田さんの代わりを申し出たんですか?
 疲れていただけでなく、レース前の時点では、他に思いっきり走れない理由があったはずでは……」
「あー、それなんだけどね……」
 
 天本の手を上下に振ってエスコートしながら、言葉を切る。
 もう一度、天本のあの言葉が脳裏に浮かんできた。
 こうも自分を突き動かす事になるとは、思いもしなかった一言だった。
 
 
 
「……感化されたのかもね。確かに、俺にとってもこんな機会はもう滅多にないからさ。
 皆で思い出作りたい、って思ったんだよ」
「そうでしたか。……なんだかんだで、主人さんらしい判断だと思います」
 天本は、落ち着きのある笑みを浮かべた。
「そう思った引き金は、天本さんとの会話だけどね」
「あ……はい」
 天本は、狼狽を含んだ笑みを浮かべた。
 
 やがて、天本との短いダンスの時が終わる。
 目線で「それじゃあ」と挨拶をして彼女の手を離そうとしたが、
 一方の天本は、その一瞬、逆に握る手に力を込めてきた。
 
 
 
 
「……天本さん?」
「主人さん。さっきのリレー、とても素敵でした。格好良かったですよ」
 
 天本が、もう一度笑いながら手を離した。
 先程浮かべた二種類の笑みとは違う、穏やかな微笑み。
 輝かしい夕日の中、それがくっきりと目に焼き付く。
 
 何故だろうか。普段から穏やかな彼女なのに、このような笑みは初めて見た気がした。
 だが、長々と思考を泳がせる暇はない。
 気が付けば、主人は全く同じ笑みを浮かべ、微かに手のひらを掲げていた。
 
 
 
 
「サンキュー。……あ、そうそう。勝てたのは、天本さんの最後の声援のお陰だよ」
「えっ?」
「それじゃあ」
 
 
 それだけのやりとりをかわし、次の相手の元へと向かう。
 フォークダンスを終えた後、自分の後ろで踊っていた山田から、
「天本さん、猿みたいに真っ赤だったでやんす」と聞かされるのは、もう少し後の事であった。