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外から、虫の音色がささやかに聞こえてくる夜だった。
九月も中旬に差しかかったこの頃では、日中は大分過ごしやすい気温となっている。
外を吹く風も適度に涼しく、食後に散歩の一つでもすれば、実に気分の良い時期である。
……が、そんな風流などどこ吹く風。
主人公はこの日も、かれこれ二時間程、モニターの前に腰掛けていた。
「はあ……」
この日の主人の表情は普段と違って曇っていた。
陰鬱というよりは気だるそうな表情。
彼はツナミネットの中にいる己のアバターを操りながら、ちらちらとモニター隅の時計を一瞥していた。
アバターは、カジノエリアの椅子に腰かけていた。
カジノエリアとは言っても、従来の課金によってアイテムを入手できる部屋ではなく、
課金もアイテムの入手も生じない、フリーゲームの部屋である。
彼の周囲では同じように、スター、サイデン、ミーナのアバターが椅子に腰かけており、一つのテーブルを囲んでいる。
画面端には、卓上の拡大画像が表示されており、そこではトランプのカードが数十枚散らばっていた。
「10で」
ミーナがカードを選択すると、パサッと効果音が再生され、卓上にハートの10が現れる。
「じゃあ縛ろう! 13だ」
同じスーツの13をスターが出す。
「うわぁ、縛るのか……パスだな」
と、サイデン。
「危ない危ない。ハートで助かったなあ。はいこれで」
主人のアバターがにやりと笑む。
卓上にはハートの2。勝負手だ。
「残念、パスです」
「うーん、持っていないなあ」
「言わずもがな」
主人公のカードに対し、三人は連続してパスを宣告する。
「あらら、皆パスか。それじゃあ遠慮なく……」
主人がほくそ笑む。
彼の手札には、ダイヤとスペードの3が一枚ずつと、各スートの9が一枚ずつ。
その中から四枚の9が手際良く選択され、提出直前のセット状態となる。
「ふふっ、とっておきのカードで勝負しますよ」
余裕綽々の宣告。
「あら、もしかして……革命ですか?」
左隣に座るミーナが首を傾げた。
「さあ、どうでしょう」
もったいつける主人。
「うう」
「それだめです」
「かくめいしないで欲しいです」
「お願いですぬしびとさん。ね?」
慌ててタイピングしているのか、所々ひらがなになったミーナの発言が四行続けて表示される。
気が付けば、ミーナのアバターの表情が、泣きべそをかいたものに変わった。
モニターの向こうでも同じ表情をしているミーナを連想し、色々と困ってしまう主人であったが、
ここで出さなければ敗戦はほぼ確定である。
「いーえ! 革命っ!」
四枚の9が叩きつけられ、派手なエフェクトと共に『革命』の文字が画面に映る。
「革命返しー!」
ミーナがすかさず6で革命を返した。
「げえええぇっ!?」
主人がリアルにつんのめる。
「主人さん、序盤は随分羽振りが良かったですから、怪しい気しました」
いつの間にか、糸目で嬉々とした表情に変わっていたミーナがそう告げる。
「……演技ですか、さっきの」
「はい、演技ですw」
「おちょくられた……」
がっくりである。
「まあ、そう気を落とさないで。ゲームで勝っても本物の大富豪になれるものでもないですし」
ミーナの何気ない一言。
しかし……
「うぁ……」
主人は現実に唸り声を洩らしてしまう。
その言葉は、今の主人の胸に深く突き刺さるものであった。
パワプロクンポケット12
J.O.B
働けと呼ぶ声が聞こえ
デンノーズがデウエスに勝利して、半月が経ったが、彼らは今もこうして、ツナミネットの中で交流を続けていた。
全員が同時にログインして野球をする事はないものの、仲間とダベりながら過ごす時間は、純粋に心地良いものだからだ。
この日も、たまたま同時刻にログインした四人が、こうしてゲームに興じていた。
しかしながら現実が忙しい為か、あの試合以来、顔を見せなくなったプレイヤーもいる。
そしてそのような事態は、主人にとっても他人事ではなかった。
「俺、今日はそろそろ落ちるよ」
その後、2,3ゲーム大富豪に興じた後で、主人がそう告げた。
「おや、今日は早いんだね? 普段は日付が変わる頃までいるのに」
スターの頭上に『?』のエフェクトが表示される。
それを真似るようにして、サイデンとミーナの頭上にも同じエフェクトが表示された。
「いやあ、それが」
主人が一度リターンキーを押す。
恥を晒すのも考えものだが、今更だよなぁ、と開き直って続きを打ち込む。
「まだ遊んでいたいけれど、アテにしていた日雇いの工事現場が工事終了しちゃって。
で、明日からまた無職状態だから、今日はこの辺にして、せっかくだから正社員の仕事を探そうかと」
「おいおい、先月も同じような事になってなかったか?」
続いて、サイデンが問い尋ねる。
「ああ、ガラスの拭き掃除ね。あっちは八月いっぱいで派遣期間が終了してるんだ」
「そうか。大変だな。力になってやりたいけれど……すまん」
「おいおい、謝るなよ。俺の問題なんだから」
実直なサイデンの発言。
これが田西のなりたかった姿だと思うと、現実とのギャップで、なかなかにやるせないものがある。
「お仕事探しているのですか。なら、また私の仕事手伝いませんか? 今度はちょっと危険な」
「お断りします」
即答。
「じゃあ、僕と一緒にアイドルに」
「お断りします」
即答。
ミーナとスターを立て続けに袖にして、主人のアバターが椅子から立ち上がる。
「じゃ、そんなわけで……リアル落ち付かないうちは暫くこないつもりです。
またインしたら遊んで下さいね」
「もちろんさぁ!」
「早く仕事決まるといいな」
「頑張って下さいね。おやすみですよー」
仲間達の暖かい言葉を確認して、主人はログオフのボタンを押した。
デスクトップ画面に戻る直前に、モニターが一次的に暗転する。
一面黒となったモニターに反射して映っている、冴えない表情の男に見つめられ、主人は思わず目を逸らした。
数週間後、ミルキー通りの喫茶店。
平日の午後という事もあり、店内には客は二名しか見当たらない。
その二名……主人と武内ミーナは、一杯350円のコーヒーが乗った背丈の低いテーブルを挟み、ソファに腰かけていた。
「で……結局お仕事は見つからず、私に相談を持ちかけたわけですか」
顎に手を当てながら、状況を整理するミーナ。
「恥ずかしながら……」
一方の主人は、言葉通り恥ずかしそうに身体を縮めている。
「ううん」
唸るように声を洩らして、主人を一瞥する。
それからソファに背中を預け、視線を宙に移して何やら考え込む。
主人は顔だけを上げ、すがるようにしてミーナを見上げた。
一切の人声が消え、有線の歌声だけが微かに店内に広がる。
そして、緊張の沈黙の後……
「やっぱり私が紹介できるお仕事だと、どれも危険ですねえ」
首を横に倒しながら、ミーナがそう告げる。
「ですよねえ」
再び肩を落とす主人であった。
「ううん、でも何故私に直接聞くんです?
それに、チームメイトなら他にもいるじゃないですか」
ミーナはそう尋ねてから、コーヒーカップに僅かに口を付け、ゆっくりと喉に通す。
「あ……別に迷惑ってわけじゃありませんからね?」
ミーナの気遣いが身に染みる。
主人は頭を掻きながら答える。
「いやいや、そこは申し訳ありません……。
現実の仕事の相談だから、ちゃんと現実で話したいなと思ったんです」
「それじゃ、私を選んだ理由は?」
「チームメイトって言っても、色々とアレじゃないですか」
「アレ?」
「アレです。ちょっと名前挙げてみて下さい」
主人の言葉に、ミーナはこっくりと頷いて口を開く。
「渦木さん」
「遠くに飛ばされて直接相談できません」
「BARUさん」
「定職無し」
「サイデンさんは?」
「ニート」
「スターさんとか」
「俺にアイドルになれと?」
「うう……ごめんなさい、ここまでにしましょう」
良く分かりましたと言わんばかりに、腕を組んで呆れたような声を洩らす。
二人して大きく嘆息するが、ミーナはすぐに顔を上げる。
「でも、私もご期待に沿えなかったのですよね……。
危ない仕事でしたら、いくらでもあるのですけれど」
「お気持ちだけ頂いておきます」
苦笑交じりで答える。
さすがに素人がこれ以上首を突っ込むのは危険だと判断する主人。
ミーナの事は心配ではあるが……。
「ええ、気持ちだけでも受け取って頂けると幸いです。
だって私……」
彼女は主人の瞳を見つめながら、僅かに身体を乗り出す。
「本気で、主人さんと一緒にお仕事したかったですよ?」
「む、むぅ……」
綺麗に笑いながらそう告げるミーナ。
それだけ特別なのだ、と言わんばかりの言動に、主人は言葉にならない声を洩らす。
一瞬本気にしてしまったが、よくよく考えれば彼女に好意を持ってもらえる理由が見当たらない。
「……遠慮なく弾よけとしてこき使う気ですね?」
「あら、良く分かりましたね」
綺麗な笑みが、いたずらっ気を含んだものに変わった。
まあ、こんなものである。
「ごめんなさい主人さん。冗談ですよ、冗談。
これ以上危険な目に遭わせたら、彼女さんに申し訳ないですしね」
「ええ、まったくです」
主人の返答に、ミーナは目を僅かに見開く。
「彼女さん、いるんですか?」
「五年以内には作りますよ」
ミーナは声を立てて笑ってくれた。
「……で、どうしたものかなあ」
支援者との打ち合わせを控えていたミーナと別れ、主人はミルキー通りを歩いていた。
目を凝らせば、正社員募集中の張り紙はいくらでもあるし、主人もその手の広告に応募した事はある。
内定を得ていた会社の倒産という、フリーターである現状が正当化される理由はあるし、
面接で致命的なミスを犯した記憶もそうそうない。
が、間が悪いというか……どうした事か、これまで受けた所は全滅していた。
「こうも窮したら、やっぱり短期アルバイトでもいいから、とにかくどこかに潜り込むかぁ」
そう思い立ち、求人広告がないものかと改めて周囲を見回す。
人ごみの間を縫うようにして、立ち並ぶ店舗の前を一瞥し……
しかしその視線は、求人広告ではなく、店頭を掃除している老年男性の所で止まった。
こういう時に見知った顔を見かけるのも縁なのかもしれない、と主人は思う。
「磯田さん、こんにちは」
「お、君か。こんにちは。何か買いに来てくれたのか?」
主人が見つけた男性……マニアショップ『モビー』の店長、磯田修一はニコニコと笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。
「いや、そういうわけではなく申し訳ないのですが、実は……」
かくかくしかじか。
「ふむ。まるまるうまうま、と。そりゃ大変だ。
しかし残念だが、うちは前にも言った通り、これ以上雇う余裕はないなあ」
「そっか、そうでしたね」
そうそう上手くいくものではない。
主人がペコリと頭を下げて立ち去ろうとすると、磯田はそれを呼び止めた。
「あー、待って待って。
……ううん、他店の事だからあまり言いたくはなかったんだが、裏にも玩具屋があるのは知っているかね?」
主人が、ハッピースタジアムの資料を一万円で購入した店であった。
ふと、あの時の金を開田から徴収していない事を思い出すが、今はとりあえず磯田の問いに答えて頷く。
「あそこは、慢性的に人手が不足しているようだよ。
いや、それだけ儲かっているというわけではなく、応募してくる人が殆どいないようだ。
アルバイトなら、応募すればまず採用だと思うよ」
翌日朝。
新入荷品を我先に手に入れんと今日も賑わうモビー……の裏に位置する、ひとけのなく薄暗いマニアショップ。
そのカウンター内に、主人の姿はあった。
「あの後ここに、求人募集していないか聞きに行ったら、その場で『即採用明日から』だもんなあ。
一昨日まで職がない職がないと嘆いていたのが嘘みたいだ」
一人でにやにやと気味の悪い笑みを浮かべる。
そう、一人だった。
他のアルバイトはおろか、客も一人もこない始末。
主人を採用してくれた店長は、事務室で事務作業か何かを行っているようである。
開店直後という事態を考慮しても、少々寂しい状態だった。
だが、主人一人とは言っても、決して静かな空間ではなかった。
「……ただ、この変なBGMだけはなあ」
ジト目で天井のスピーカーを眺める。
女性の高い声と男性集団の合いの手で、ラブラブだの、ジンジンダーリンだのと、思考能力を奪う歌が流れていた。
だが、今日からアルバイトとして入った主人がどうこう言えるものではない。
忌々しげに首を左右に振り、視線を前に戻した。
三十分後。
「らーぶ、らーぶ、びっぐばーん」
小声で口ずさむ主人がそこにはいた。
げに恐ろしきは慣れである。
更に三十分後。
「お、ちゃんと働いてるじゃんか」
不意に店の入口から声が聞こえてきた。
カウンターを軽く叩いてリズムを取るまでに洗脳されていた主人が我に返ると、そこにはBARU……浅梨順一郎の姿があった。
「やあ、いらっしゃい!」
初めての、そして知った顔の客に、主人はテンションの高い声で浅梨を出迎える。
浅梨もまた、ひらひらと手を泳がせて挨拶しながら、カウンターに近づいてきた。
「おー。昨日メール貰った時はびっくりしたけれどな。お前がマニアショップの店員か……」
「ははは、とりあえず働ければ何でも良かったから」
軽い調子で答える主人。
だが浅梨は、サングラスの上の眉をひそめた。
「ううん……偉そうな事言わせてもらうが、働くからにはオタク知識は身につけた方がいいぞ。
客は、店員もオタクだと見越して専門的な質問してくるし、
答えられない場合、『教えてやる』と言わんばかりに自慢話を聞かされて、仕事の邪魔になる事だってある」
「なるほど。そういうものかもなあ……」
主人は素直に頷く。
「オタクはその傾向が特に強いから気をつけろよ。
俺も昔はこういう店で働いていたから分かるんだ。
なあ、田西もそう思うだ……あれ?」
浅梨はそう言いながら振り返り、そこに誰もいない事に首を傾げた。
それから、すぐに顔を主人に向ける。
「今日は田西も一緒に来ているんだよ。さっきまで一緒だったんだけれど……」
「ふしゅるるぴ〜! サーチ開始、サーチ開始!
一番良いものでレア度5か。ゴミめ……」
突如、店内から早口気味の男性の声が聞こえてくる。
主人と浅梨は顔を見合わせあった後、二人で声のした方へと向かう。
案の定、先ほどの声の主である田西がそこにはいた。
両手でトレーディングカードゲームのパックをこねくり回しては棚に戻し、
また新しいパックを手にとってはこねくり回しを続けている。
「やあ、田西も来ていたのか。それ買ってくれるの?」
何をやっているのかは分からないが、来てくれた事は嬉しく、あっけらかんとした口調で尋ねる主人。
「ふふふ、もちろん買わせて頂くでござるよ。しっかりサーチした上で! ニョホホホホホ!」
「サーチ?」
田西の言葉を鸚鵡返しにする。
「パックの厚みや手応えで中身を事前に知る方法だ。
触るだけじゃ分からないから、折り曲げたりもするな」
浅梨が、特に咎めるでもなく、当たり前の事を語るかのように説明する。
「お、折り……? おいおい、やめてくれよ! なにやってるんだよ!」
主人が慌てて田西からパックをひったくると、そのパックには既に折り目がつけられていた。
良く見れば、棚に戻されたパックも既に幾つか同じ状態となっている。
「ああ、ああ、店長に怒られるよぉ……」
「にゅむ〜、申し訳ないでござる」
ツナミネットでの優しい彼はどこへやら。
反省の色が全く見えない調子で謝罪される。
「それじゃお詫びに、あの商品全て買わせて頂くでござるよ!」
田西が指差した先には、今日から新入荷したと聞かされていたオタクグッズが並んでいた。
その前方には『一人一点まで』の張り紙がある。
「ダメダメ、一人一点って書いてあるじゃないか!」
「むむむ、主人殿ちょっと厳しすぎはせぬかぁー? カッカしすぎると女の子にモテないでござるよ」
「そ、そんな事今はどうだっていいだろう!?」
内心涙が止まらない主人であった。
パシャッ!
言い争う二人の言葉の間で、ふとシャッター音が聞こえる。
声のした方を見やると、浅梨が携帯のカメラで、ショーウィンドウ内の古いオタクグッズを撮影していた。
こちらはこちらで、そばに『撮影禁止』の張り紙がしてある始末である。
「ちょっと! そこは撮影禁止だぞ!?」
今度は慌てて浅梨に詰め寄る主人。
「あん? 別にいいじゃねえか。バレないバレない。
お前が損するならやらないけれど、そういうもんでもないだろ?」
「そういう問題じゃ……」
「ふしゅるるるるる〜〜!」
再び店内から田西の声。
そばにいたはずの田西は、いつの間にか姿を消していた。
「はは、またロクでもない事やってんじゃないの?」
浅梨が自分の事を棚に上げ、苦笑混じりで忠告する。
「うかぁ〜〜〜っ!!」
謎の奇声を上げて、田西を探しに店内を駆け出す主人であった。
翌日早朝。
主人が務める店の開店時間三十分前。
まだひとけの少ないミルキー通りには、トボトボと力ない足取りで出勤する主人の姿があった。
昨日のやり取りを思い出すたびに、強い疲労感を覚える。
彼らが帰った後間もなく、開田が買い物に来てくれたのだが、
その際にも似たような迷惑行為を受けており、出勤二日目にしてやや憂鬱気味であった。
「でも……」
仕方なし、と言わんばかりに声を漏らして、空を見上げる。
「無職生活よりはマシか。これが働くって事なんだろうなあ。きっと」
うんうん、と頷いてそう思い込もうとする。
そうこうしているうちに、マニアショップに到着する。
だが、昨日とは様相が異なっていた。
昨日は事前に出勤していた店長が、入口のシャッターを半分開けてくれていたのだが、この日は完全に締め切られていた。
よくよく見れば、シャッターには張り紙がしてある。
近づいて、声に出して読む。
「ええと……一身上の都合により閉店します。ごめん……ね……?」
いわずもがな、夜逃げである。
主人公の顔から血の気が引く。
つまりは、夜逃げ準備で忙しい為に店番をさせられていたのである。
「また無職生活じゃんかあ〜〜!!!」
主人がツナミネットに戻る事ができるのは、当分先のようである。
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