「……好きです。天本先輩の事が」
「えっ……?」
 
 驚いた。
 more 驚いた。
 most 驚いた。
 
 最近ようやく覚えた中学二年生レベルの英語を頭に浮かべながら、俺は目を白黒させた。
 この日、同じ日直の唯さんと、教室のごみを焼却炉に捨てに行こうと、体育館裏に回り込みかけた所で聞こえてきたその声は、まったく聞きなれないものだった。
 反射的に立ち止まった俺と唯さんは、互いの顔を見合わせあいながらも、ゆっくりと顔だけを体育館裏へ覗かせる。
 そこで目に入ったのは、案の定の光景であった。
 
「……天本さんと」
「男子の方は……見慣れないわね。多分後輩かしら」
 体育館裏で向かい合っている二人を見つめながら、俺達は呟く。
 俺たちの側に顔を向けている男子生徒は、確かに見慣れない顔だった。
 気持ち分幼い顔つきなのを踏まえれば、多分後輩だろう。
 顔は……ハッキリ言って、良い。
 その顔をあからさまに赤らめている事と、先ほど聞こえてきた言葉を踏まえれば、何をしているのかは明白だった。
 
「告白、よね」
「まあ、そうじゃないかな」
 相槌を打つ声は、自分でも驚く程にぶっきらぼうになってしまう。
「あらあら? 主人君、なんだか随分とよそよそしくない? 気にならないのかなー?」
「……別に」
「分かりやすい奴」
 じろり、と唯さんを睨みつけるが、彼女の見透かした笑みの前に、すぐさま反論の言葉が思い浮かばない。
 これまで何度も一緒に遊び出かけていて、天本さんが良い子だって事は分かっている。
 だから、気にならないといえば嘘にはなってしまうだろう。
 だけれども、今は女の子の事を考える余裕なんかなくて、正直言えば、これまでこの感情は流してきた。
 それに、そもそも天本さんが、俺みたいな取柄なしを好きになる理由も思い当たらないし。
 そうして、消極的に答えが出る事を望んでいたのかもしれない。
 しかし、こうも蚊帳の外で結論を出されてしまうとなると……、
 
「あの……貴方は……」
 天本さんの小さな声が、俺を現実に引き戻す。
 俺と唯さんはもう一度顔を見合わせ合い、告白の情景に注目した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 暖かいマフラー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「貴方は確か、図書委員の……」
「ええ。いつも先輩の事は、図書館でお見掛けしていました」
「でも、あまりお話した事、ありませんでしたよね? なんで、私を……?」
 少し声を交わして落ち着いたのか、天本さんの声量が元に戻る。
 声色からも、あまり嫌悪感の類のようなものは感じられなかった。
 
「いつも、図書館で本を見つめる先輩の横顔に……恋をしました」
「……はい」
「なのに、いきなり付き合ってくれ、なんて言われても、戸惑うと思います。
 だから……お付き合いを前提として、まずは友達になってくれませんでしょうか」
「私が、友達……」
「一目ぼれ、してたんです。図書委員は、クラスのくじ引きの結果で、正直言えば嫌々だったんです。
 でも、そんな図書委員の仕事で先輩を見かけて……僕、運命を感じてます」
 
「あっ、今のポイント高いわよ」
 唯さんが小声で囁く。
「むう……今のの、どこが?」
「運命って言葉。女の子は弱かったりするわよ? 臭いって思うかもしれないけど、いざ言われたらキュンと来ちゃうんだから」
「だからって、それを言えばフリーパスってわけでもないじゃん」
「どうかしらねえ。顔立ちはいいし、まずは友達からとハードル下げてるのも大きいわ。それに……」
「それに?」
「主人君と違って、草食系っぽいじゃない。天本さんと気が合いそうじゃない、あの子」
「むむむ」
 
 思わず唸りながら、男子生徒の顔をもう一度見る。
 顔は……まあ、百万歩譲って、彼の方が良いかもしれない。
 でも、野球は間違いなく俺の方ができる。
 あいつにインフィールドフライとフィルダースチョイスの意味が分かるのだろうか。
 赤坂の打席でキャッチャーやったら、空ぶっただけでオシッコ漏らすに決まっている!
 そもそも、甲子園を目指していない男に、天本さんと付き合う資格があってたまるものくわっ!!!
 
 
 
「先輩、どうでしょうか……」
「……その……私は……」
 
 
「あっ、いよいよみたいよ!」
 唯さんが更に身を乗り出しながら声を出す。
 
「ちょっと。そんなに前に出たら見つかるって」
「だって気になるじゃないの。主人君も本当は気になるでしょー?」
「だーかーら、俺は気にならないって!」
「嘘ばっかり!! さっきあんなにウンウン考え込んでたくせに!! このウンダバダー!」
「ウンダバダーって何さ!!!」
 
「そうやって意地張るのやめなさいよねー!!!! 好きなら好きって言っちゃいなさいよ!!!!」
 
「人の気も知らないで!!!!!」
 
「それはこっちのセリフです!!!!!!!」

 
 
 
「「……あの」」
 
 ふと、視線を感じる。
 ぎぎぎ、とブリキ人形のように、二人して顔を向ければ、天本さんと男子生徒が唖然としてこちらを見ていた。
 
「……ごめん。続けて、どうぞ」
「そうそう。俺達静かにしてるから」
 二人して手を差し出しながら言う。
 
「で、できるわけないでしょう〜っ!!」
 
 男子生徒の叫び声は、学校中に響きそうな大音響となった。
 まあ、そうだよね、はい。
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
「なるほど。それで偶然出刃亀ですか」
「……ハイ」
「他人の告白って、気になっちゃうんですねえ」
「……ソレホドデモ、アリマセン」
「出刃亀、楽しかったですか?」
「……メッソウモ、ゴザイマセン」
 
 帰り道。
 神社への分かれ道まで天本さんを送りながら、俺は今日の経緯を尋もn……否、説明していた。
 まるで隅の方から陣地を固めるオセロの如く、冷静な表情でじわじわと会話を進めてくる天本さんに、俺は成す術がない。
 もう勘弁してくれよと、とうとう頭を抱えると、天本さんはようやく苦笑しながら、首を横に振った。
 
 
「ふふっ。ちょっと意地悪しただけですよ。偶然聞く事になったのはよく分かりました」
「……うん。で、さ」
「はい?」
 天本さんが小首を傾げる。
「どうするの? 返事」
「お友達としては構いませんけれど、交際を前提にはしませんよ」
「……そっか」
「ホッとしました?」
 不意に、天本さんが前に躍り出る。
 後ろ歩きで俺の前を行き、顔を覗き込むようにしながらそう尋ねてきた。
 これは……どういうつもりで聞いているのだろうか?
 考え込む事、十数秒。
 そのまま何も言えないでいると、やがて痺れを切らしたのか、天本さんはツンと前に向き直ってしまった。
 
 
 
「……今の質問、もういいです」
「えっ。なんで……?」
「そんな事より主人さん。覗いていた時に、神木さんが叫んだ言葉、覚えてます?」
「え……? ウンダバダー?」
「違います! 『それはこっちのセリフです』って言葉!」
 天本さんが大きな声を出す。
 初めて耳にする、どことなく、怒っているようにも感じられる声だ。
 言葉の意図も、声の調子の意図も分らず、俺が首を傾げている所に、天本さんは更に言葉を続けた。
 
 
「意味は、本気で考えて下さいね。神木さんの言葉も……私の質問も。それじゃあ、私はここで」
「あっ……」
 
 それだけ言うと、天本さんはパタパタと足音を立てて、ちょうど着いた神社への分かれ道へと駆けて行ってしまった。
 
 
 
 
 
「なんなんだよ、もう」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、呟く。
 ただ、得体の知れない嵐の予感だけが、俺の胸中には渦巻いているのであった。