「先輩方三年生って、結構人気なんですよ」
 
 独り言とも、話しかけているとも取れる口調で、大神がそう語り出したのは、
 とある夏の放課後の、野球部ロッカー前での出来事であった。
 
 何の前触れもない突然の発言。
 一体何の話なのか、主人公には全く思い当たりがなかった。
 
 自分が知らない話を誰かとしているのかもしれないと、部室の中を見回す。
 だが、今部室にいるのは主人と大神の二人だけ。
 であれば、自分に話しかけているのだろうか。
 視線を大神に移すと、彼は少しばかり気疲れしたような様子でまた口を開いた。
 
 
 
 
「面倒なもので、たまに同級生から話を持ちかけられるんですよね」
「はあ」
 主人は間の抜けた口調で相槌を打つ。
 
「誰々先輩は付き合ってる相手がいるのか、誰々先輩に取り次いでくれないのか、って」
「あ、ああ。人気って、異性人気って事なの?」
「そういう事です。特に女子は良い人が多いじゃないですか」
「ふむう」
 頷きながら、同級生の顔を思い浮かべてみる。
 
 
 天本冷泉なんかは、顔付きも美人と言って差し支えなく、人気があってもおかしくはない。
 他の女子生徒も、言われてみればレベルは高いのかもしれない。
 
 だが、ここはなんといっても神木唯だろう。
 少女らしさを保ちつつ整っている顔立ちに、明朗快活な性格の女子高生。
 それだけでも人気が出るのは、十分に理解できる。
 
 その上、野球部マネージャーとしても有能で、一つの事に打ち込む熱意も持っている。
 時たま、一緒に遊びに行く事もあるが、その際に稀に垣間見える彼女の芯の強さには、尊敬の念さえ抱く。
 個人的には、彼女に対しては強い好感を抱いていた。
 
 強いて欠点を挙げれば、パニックになった時には強烈な一発を見舞ってくれる事が、珠に傷である。
 いや、珠が真っ二つレベルの欠点かもしれない。
 だが、程度がどうであれ、主人が唯に抱いている好感は、その欠点を含めてのものである。
 
 
 
 
 
「特に神木先輩とか、凄い人気なんですよ」
 主人の心中を知ってか知らずか、大神はそう言葉を続けた。
 主人は思わずつんのめりかけるが、ジト目になって、大神を横目で睨むようにして見る。
 大神は特ににやけた様子もなく、純粋に現状を話しているだけのようであった。
 
「一年にだって恋愛対象はいるだろ。そっち行くように言えよ」
「そうは言っても、日の出高校って一学年の人数が少ないじゃないですか。
 その分、好みの相手とめぐり合える確率も低いわけですから、
 上級生狙いになるのも無理はないと思いますよ」
「むむう」
 それもその通りで、返す言葉がない。
 やはり、唯狙いにはライバルが多いという事になる。
 
 
(いや、待てよ)
 ふと、主人は自身の思考を止める。
 
 どうやら、一年生に唯狙いの男子が多い事は事実のようだ。
 だとしても、彼らは本当にライバルなのだろうか。
 もしかすると、唯は既に、そのうちの誰かと付き合っているという事はないだろうか。
 それ程人気なのなら、既に告白した男子がいても、おかしくはない。
 そして、その男子の素性が分からない以上、唯が告白を受け入れないと断言できる材料はないのだ。
 
 考えてみれば、今日の唯は、用事があるとの事で部活を休んでいる。
 これまでにはなかった事だが、彼氏と密会をしていると考えられない事もない。
 その光景を想像した主人は、小さく頭を横に振ってそのイメージを振り払った。
 
 
 唯の彼氏。
 いても、何もおかしくはないのだ。
 いるとすれば、どんな男なのだろうか。
 そこまで考えて、主人には、もう一つ疑問が浮かび上がってきた。
 
 
 
 
 
「なあ、大神」
「なんでしょうか?」
「ちなみにお前は、誰狙いなの?」
「……誰狙いだと思いますか?」
 
 にたりと口が開かれた。
 怖ええよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
人気の先輩
 
 
 
 
 
 
 
「……で、オイラが付き合わされるわけでやんすか」
 日の出商店街を歩いての下校途中に、大神の話を聞かされた山田は、深く溜息をついた。
 
「友達じゃないか。協力してくれよ」
「その代わり本当に、来週の休みに、一緒に本土にフィギュア買いに行ってくれるでやんすね?」
「おお。それ位は任せてくれよ」
 自身の胸元を力強く叩いてみせる。
 せっかくだから、自分もゲームか何かでも買ってこよう、と思う。
 そうこうしているうちに、商店街の一角にある神木電気店の前まで来た主人らは、店から少し離れた電柱前に陣取った。
 
 
 何の事はない、張り込みである。
 もしも唯の自宅に彼氏が遊びに来ているのなら、帰宅する時にその顔を拝もうという魂胆である。
 自宅以外で遊ぶとしても、遊ぶ所がそれ程ない日の出島なら、商店街やその付近が選ばれる確率は高い。
 そうであれば、唯を自宅まで送る可能性は高いだろう。
 
 
 正直な所、この行為はどうなのだろうか、とは思う。
 
 自分は、唯と付き合ってもいないのに、彼氏気取りで他の男子の気配を探ろうとしているのだ。
 仮に付き合っていたとしても、それはそれで唯を信じていない事になる。
 好ましい行動とは言い難いし、山田が難色を示すのも当然だ。
 おそらく山田は夕方アニメを見逃す為に難色を示したのだろうが、とにかく当然だ。
 
 だが、気になる。
 唯に好感を持っているからこそ、真実が気になる。
 それを確認する以外に、心中にすくったモヤを取り除く方法はない。
 
 自分勝手だとは、重々理解していた。
 唯への好意も、自分の気持ちがそうだというだけで、言い訳にするつもりはない。
 この行いに強い自己嫌悪感を覚えながらも、主人はじっと神木電気店を見つめ続けていた。
 
 
 
 
 
 
 
 ――三十分後。
 
「誰も出てこないでやんすね」
「おう」
 
 
 
 
 
 
 
 ――一時間後。
 
「周囲の視線が気になるでやんすね」
「おう」
 
 
 
 
 
 
 
 ――一時間半後。
 
「さっき出くわした警官が駐在の藤田さんじゃなく、見ず知らずの人だったら、交番で説教コースでやんしたね」
「お、おう……」
 
 
 
 
 
 
 
 そして二時間後。
 
 季節は夏。
 既に陽は暮れているとはいえ、冷房設備のない屋外で二時間も過ごせば、蒸し暑さは相当のものである。
 二人とも、全身に汗がぐっしょりと吹き出し、張り込み当初の集中力は、とうの昔に失せてしまっていた。
 確固たる目的がある主人はともかく、もはや山田に至っては、張り込み自体の目的がハッキリ認識できなくなったようで、
 死んだ魚のような瞳をして、ただ呆然と立ち尽くすのみであった。
 
 周囲を見回せば、シャッターを閉じている店が大分目立ち始めた。
 買い物客も数を減らしていて、撤収ムードがあちこちから漂っている。
 正直な所、腹も大分減っている。
 出直そうか、と山田に声を掛けようかと思ったちょうどその時、先に山田が気だるそうに口を動かした。
 
 
「……おいら、ちょっと考えたのでやんすが」
「何を?」
「仮に彼氏がいたとしても、これ、今日はデートしていないんじゃないでやんすかね」
「むう……」
 
 それは考えられる。
 何はともあれ、高校生なのだ。
 夜になってもがっつりデートというのも考え難い。
 もちろん、彼氏など存在しておらず、単に自室で一人で寛いでいるだけの可能性もある。
 
 
「おいら、ちょっと確かめてくるでやんすよ」
 主人が考え込んでいるうちに、山田はそう言い残すと、ふらふらと神木電気店の方へと歩いていった。
 呼び止めようかとも思ったが、もうこの時刻になれば、直に確認した方が良いのかもしれないと考えを改め、山田を見守る。
 住居権店舗入り口の戸を山田がノックすると、暫し間の後、中から唯の母親が出てきた。
 山田は彼女と一言、二言言葉を交わし、一礼をしてすぐに戻ってくる。
 
 
 
 
「主人君」
 山田の口調は淡々としている。
「うん」
「唯さん、出かけているらしいでやんす」
「……はいっ!?」
 なおも淡々と喋る山田とは対照的に、主人の声は見事に裏返った。
 
 
「で、でかけているって、もう夜だよ?」
「そうでやんすね」
「それってやっぱり、彼氏とデートとか……?」
「誰とどこへ行く、とまでは聞いていないらしいでやんす」
 山田は首を横に振った。
 
「そん、な……」
 主人の足が、よろよろともつれた。
 思わず、近くの電柱に寄りかかってしまう。
 
 やはり。
 やはり、一年生の彼氏は存在するのだろうか。
 
 
 
 
 
「大きいテレビがある家に、アニメでも見に行っているんじゃないんでやんすか?」
 
 山田がさも当然のように、無茶苦茶な事を言う。
 だが、主人はその言葉に反応を示さない。
 山田君じゃあるまいし、という突っ込みを入れる事もできない位、彼は動揺していた。
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 主人の家は、島の南西部に位置している。
 自宅周辺にも民家は多少固まっているのだが、商店街や島最大の住宅街は、北東部に位置していた。
 山田の家も北東部にある為に、主人はその場で山田と別れて、島の沿岸部に伸びている農道を歩いて帰宅した。
 
 
 
「はぁ〜あ……」
 その道中、もう何度零したか分からないため息を、また零す。
 こうなると、どうしても考えは悪い方悪い方へと向かっていた。
 
 
 やはり、一年生彼氏はいるのかもしれない。
 親に目的を告げずに出かけるのだから、その可能性は高いと思う。
 今日は、一体どこで何をしているのだろうか。
 どこぞで仲良くデートなのか。
 好ましくはないが、デートだけならまだマシなのかもしれない。
 それ以上の行為に至っている可能性もあるのではなかろうか。
 羨ましい。
 あ、いや、けしからん。
 次々と湧き上がる男子高校生の妄想は、膨れ上がる一方である。
 
 ……そうして、妄想が膨らみ過ぎたのが原因だろうか。
 このままではいけない。
 主人の思考は、くるりと方向を変えた。
 
 
 
 
 
「うん、埒が明かないや!」
 自身の頬を両手で叩く。
 
 こうしていくら考えても、答えは出ない。
 ならば、行動に移す他はない。
 そうは言っても、もう張り込みをするつもりはなかった。
 
「よし、明日唯さんに直接聞こう。もうそれしかないや」
 頬を叩いた両手を、胸の前で打ち鳴らす。
「そして……」
 それから、彼は、思いつめた表情で天を仰いだ。
 
 
 言おう。
 そして、言ってしまおう。
 答えがどうであれ、自分の好意を彼女にぶつけよう。
 そう決心しただけで、主人の胸は強く鼓動した。
 明日はきっと、今以上のプレッシャーを感じる事だろう。
 でも、言わなければ、始まらない。
 好きだと言わなくては、二人の仲が一線を越える事はないのだ。
 
 
 
 
 
「……私に何を聞くの?」
 
「ぬおおおっ!??」
 
 唐突に、声を掛けられた。
 思わず、野球ボールを入れた籠をひっくり返したような驚きの声を張り上げてしまう。
 声は前方から聞こえたようだが、はっきりと見えない。
 夜の農道には、街灯の類は殆どないのだ。
 か細い月明かりを頼りに、二、三歩前に進みながら目を凝らすと……そこにいたのは、当人であった。
 すなわち、神木唯。
 いつの間にそこにいたのか、制服姿の彼女は、不思議そうに首を傾げていた。
 
 
 
「ゆ、ゆゆゆ、唯さん、いつからそこに?」
「さっき。向かいから主人君が歩いてくるのが見えたから、声を掛けようと思ったら、先に私の名前呼ばれちゃって、びっくりしたわ」
「む、むう」
 余計な事まで言わなくて良かった。
 いや、言った方が良かったのだろうか。
 少し考えて、どちらでも良い事に気がつく。
 何にしても、言うものは言うと決めたのだ。
 
 
 
「と、ところで、唯さん」
「何かしら?」
「……ええと……その。
 聞きたいのは、唯さんの事なんだ」
 声がどもりかけるのを、必死に堪える。
 心臓が暴れるのを自覚しながら、それでも唯をまっすぐに見据えて言葉を続ける。
 
「今日は部活を休んで、こんな遅くまで、どこで何してたの?」
「え、ええっ?」
 唯からは、狼狽の声が漏れる。
 顔には、暗闇でも分かるくらい、はっきりと赤味が差した。
 
 ああ。
 やはり、そうなのか。
 でも、引き下がるつもりはない。
 何があろうと、自分の気持ちはきっちりと伝えるのだ。
 
 
 
 
 
「「あの……」」
 二人の声が重なった。
 意を決した所で、見事にタイミングを外されてしまう。
 お互いに、どうぞどうぞと譲り合うようなジェスチャーを見せたが、先にそれを止めたのは唯だった。
 
「あの……」
 唯が、もう一度呟くように言う。
 霞のような声。
 元気が旗印の彼女にしては珍しい、小さな小さな声だ。
 
 さてさて。
 何と言うつもりなのだろうか。
 そして、彼氏の名前は、一体……。
 
 
 
 
「大神君」
 
「大神ぃっ!??」
 
 また主人の声がひっくり返る。
 
 
「あ、うん。大神君から聞いたの……」
「……あら?」
 続けられた言葉に、テンションはすぐに落ち着いた。
 大神君『と』どうのこうの、ではなかった。
 
 
 
「大神から聞いたって、何を?」
「ええとね。その……」
 唯は、恥ずかしそうに俯いた。
 顔の向きはそのままで、ちらりと上目遣いをするような視線を、主人に向けてくる。
 
 
「その……三年生って、結構人気だって」
 
 
「……はい?」
 どこかで聞いた事があるセリフ。
 もしかして。
 もしかすると……
 
「特に主人君とか、凄く人気だって。
 それで……その……気になって、主人君の、家に……」
 唯の声が途切れ途切れになる。
 両手を後ろで組んで、もじもじと言葉を捻り出す。
 つまり、彼女は自分と同じような事をしていたのだろうか。
 奇遇な行動に苦笑が零れそうになったが、それよりも気になる事がある。
 
 主人が人気、と唯は言った。
 まさか、自分に限ってそんな事はない。
 他人の事ならまだしも、見ず知らずの一年生女子が自分に熱視線を向けていれば、流石に気がつく。
 だが、そんな一年生はいない。
 すなわち、これは……。
 
 
 
(大神に、一杯食わされたか……)
 
 ぽりぽりと側頭部を掻きながら、嘆息する。
 大神は、発破を掛けたのだ。
 煮え切らない自分と、そしておそらくは、似た感情を抱いている唯に。
 
 明日は見てろよ、と思う。
 ノックの嵐で、絶対にグラウンドの土を舐めさせてやる、と思う。
 だが、嘘を付かれたとはいえ、別の一面では感謝しなくてはならない嘘だ。
 なにせ、大神の思惑通りに、決心が付いたのだから。
 
 
 
 
 
「あのさ、唯さん」
 主人は、なおも恥ずかしがる唯に声をかけた。
 自分が、今日、何をしたのか。
 そしてこれから、何をしたいのか。
 それを告げる為に、声をかけた。
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 翌日。
 登校中の大神を見つけた主人は、早速駆け寄って声を掛けた。
 
「よお、大神」
「おはようございます。先輩」
「お前、昨日はやってくれたな?」
 苦笑交じりでそう告げながら、大神の隣を歩く。
 こうして、唯以外の知り合いと出くわせたのは幸運だった。
 もちろん、できる事なら唯と話したいのだが、流石に今は恥ずかしい。
 とりあえず、今日は唯と目を合わせる事もできないんじゃないのか、と思う。
 それだけの反動が出るくらい、昨晩は嬉しい時間を過ごせた。
 
「昨日? 何の事です?」
「唯さんにも「主人先輩が人気」とか嘘ついたらしいじゃないか。
 あれは、その……あれだろ? 発破を掛けてくれようとしたんだろ?」
「発破……? 何の事か良く分かりませんが、昨日話した事は事実ですよ。
 神木先輩に話した事も、もちろん事実です。主人先輩だって人気あるんですから」
 
 大神は動揺する様子もなく、さも当然のようにそう言ってのける。
 なるほど、どうやらとぼけるつもりなのだ。
 やはり、これはグラウンドで凹ませてやるしかない。
 
 
「そうですね。ええと……」
 大神が言葉を続けた。
 まだ言い訳を続けるつもりなのだろうか。
 黙って、彼の言葉に耳を澄ます。
 
 
 
 
 
『男っぽくて惚れ惚れする』と絶賛している同級生男子が、三人くらい」
「なにそれこわい」
 
 嘘なんか、なかった。