天本玲泉の事が気になりだしたのは、最近の事である。
 
 
 考えてみれば、主人には天本に好意を持つに至る理由が幾つもある。
 まずは、神隠しの事で相談に乗ってくれた事。
 神だなんて、とんでもない。
 人を消してしまうだなんて、姿の見えない死神だ。
 それに対する恐怖たるや相当のものだったからこそ、神隠しの事を唯一理解してくれる天本には助けられた。
 
 次に、天本とは何度か島で遊んだ事がある。
 遊ぶ、という言葉に語弊はない。
 デートといえるような代物ではなく、町の喫茶店で雑談を交わす程度の、かわいい交流である。
 その交流において主人は、天本とは相性が良いと感じていた。
 性格こそ真反対だが、互いをフォローしあえる性質のものだ。
 それに、思い込んだ事には夢中になるという点の一致もある。
 
 他には、彼女の聡明な所にも好感が持てる。
 あと、単純に彼女が欲しい。
 年頃の男の子なのだから仕方がない。
 
 
 
 と、これだけの理由が揃いながら、高校二年の夏になるまで、その好意を意識しなかった事にも、これまた理由がある。
 天本は、何かを隠している気がするのである。
 天本が笑った時に、その笑顔には何かを覆うような違和感を感じているのである。
 穏やかな笑顔で、一見すると作り笑いのようには感じられない。
 だから、どこにその違和感が潜んでいるのか、また何を隠しているのか、主人にはどちらも説明がつかない。
 ただし、違和感を感じているのは事実であって……その為に、天本の前には壁があるような気がした。
 
 
 
 天秤に掛かった、その好意と違和感のバランスが崩れたのが今年の夏。
 夏休みに入って、長く天本の顔を見ていないと、なにかしら寂しいものを感じるようになり始めた。
 あの、もの静かな語りを聞いていたいと思う。
 あの、優しい人柄に触れていたいと思う。
 それは間違いなく、好意と呼べる感情である。
 だから、夏の大会で敗退した後の神木唯の提案には、心が躍った。
 
 
「クラスの皆も誘って、肝試ししようよ!」
 
 
 天本も参加すれば、彼女の顔を見る事ができる。
 そうでなくとも普通に面白そうだという事で、主人は肝試しに参加する事とした。
 
 そして……これは、縁と言っても良いのか、或いはただの偶然か。
 肝試しのペアを決めるくじの結果……主人の相手は、同じく参加を表明した天本であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
肝試し
 
 
 
 
 
 
 
 肝試しの会場は、意外にも黒野博士の屋敷が選ばれた。
 唯が冗談半分で、黒野三兄弟を経由して提案した所、博士が快諾してくれたそうである。
 人の家で肝試しというのもどうかとは思ったが、確かにあの屋敷には得体の知れない所がある。
 かくして開催日の夜、黒野博士の屋敷の大広間に、日の出高校の学生が十数名押し寄せる事となった。
 
 
「それでさ、姉ちゃんがさ……」
「うん……へえ」
 対面の島岡の話に、適当な相槌を打つ主人。
 彼の視界の端には、天本が映っていた。
 
 当然ながら私服姿で、紫と紺の中間の色のワンピースに、クリーム色のブラウスを羽織っている。
 壁際にただ立っているだけで、誰かから話し掛けられれば、受動的に会話をかわしている。
 不思議なもので、好意を意識すると、そんな天本に声を掛けに行く勇気が湧かなかった。
 その為に、その好意を隠すかのように、島岡と雑談をしている始末である。
 
 
 
「……おい、主人」
 不意に、島岡がジト目になる。
「あ、うん?」
「天本の事気になっているなら、声掛けに行ったらどうだ?」
「へ、へっ!?」
 思わず声が裏返りかける。
 一方の島岡の声は、主人にしか聞こえない程度だったのは幸いである。
 
「お前、さっきからチラチラ天本の方見てるだろ」
「いや、別に……」
 見ている。
 
 
「しかし、天本ねえ。どこが良いんだ?」
 島岡は、主人の嘘を無視して尋ねる。
 食い下がろうかとも思ったが、好意を誰かに聞いて欲しい気持ちがそれに勝った。
 島岡なら、まあ、その相手としては悪くはない。
 
「……色々あるけど、優しい所かな」
 もう一度、ちらと天本を一瞥し、こめかみを?きながら呟く。
「そんなもんかね」
「そうじゃないの?」
「俺はお前より付き合いが長いからかな。よく分からん」
「そっか。……で、さ」
 主人は声を一層小さくする。
 
「……なんて声かけれれば良いかな」
「なんて……って、これまで普通に話してたろ?」
 島岡はいぶかしむように片方の眉を下げる。
「そうなんだけれど、気になりだしたら、声掛けにくくてさ」
「中学生かよ」
 言い返したい所である。
 が、確かにその通りで、自分でも子供じみた質問だとは思う。
「う、うるさいな。じゃあお前なら、なんて言うのさ」
「なんだっていいだろ。例えば、肝試しでペアなんだから、その話題でもさ」
「ふむ……」
 
 確かに、その辺りが無難かもしれない。
 意を決して、主人は島岡の前を一歩離れる。
 大広間に黒野博士がやってきたのは、まさしくその瞬間であった。
 
 
 
「待たせたな、少年少女達! 肝試しの準備は完了した!
 恐怖に対する感情のデータ、しかと収集させて貰うぞ!!」
 
 なんとも、間が悪いものである。
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
「お久しぶりですね」
「うん、久しぶり」
 そんな、気の利かない返事をしながら、主人は天本と一緒に黒野屋敷の廊下を歩いた。
 
 黒野博士の屋敷は、主人も何度か来た事がある。
 確かに雰囲気がある所ではあるが、自分にとっては今更怖がるものではないと思っていた。
 だが、壁に掛かっているランプの灯かりしかない黒野屋敷は、昼とは違う雰囲気を醸し出している。
 暗闇ではっきりとしない視界には、適度な恐怖感を感じる事ができて、良い意味で期待を裏切られている。
 事前に受けた説明では、屋敷の廊下を一周するだけのコースだそうだが、それでも十分に面白そうだ。
 
 隣を歩きながら、時折天本の横顔を盗み見る。
 彼女の表情は、いつも通りの緩やかなもの。
 そこには、恐怖による変化は感じられなかった。
 
 
「天本さんは、こういうの平気なの?」
 思い切って聞いてみる。
「ええ。参加していながらごめんなさい。実は怖くないんです」
 天本は申し訳なさそうに肩を竦める。
 確かに『きゃー怖いー!』と悲鳴を上げるようなタイプではない。
 それは分かっている。
 ちょっとだけ期待したが。
 だが、ここまでキッパリと『怖くない』と言うとまでは思っていなかった。
 
「もちろん、突然何かが出てきたら驚くとは思いますよ」
 天本が言葉を続けた。
「でも、驚くだけで怖くはありません。結局は人が作るものですから。
 本当に幽霊が……つまり、人知の及ばない存在が出るのであれば、怖いですけれども」
「なるほど。天本さん強いんだなあ」
「強いというようなものはありませんが……あ、そうです」
 主人の言葉に照れたのか、小さく首を左右に振って、彼女は言葉を続ける。
 
「肝試しといえば、昔は武家の子もよくやっていたとご存知ですか?」
「いや、知らないな。そうなの?」
「ええ。武士道という観念に基づく行動です。
 武士道はいくつかの概念によって成り立ちますが、
 その中の『勇気』を作り上げるべく、肝を練っていたとか」
「全然知らなかったや。詳しいね」
「本で読んだだけですから」
 天本は苦笑しながら、また首を振った。
 
 
 
 
 
 
 
 そうして、とりとめもない雑談を交わしながら、折り返し地点に差し掛かる。
 これはこれで、とても楽しい。
 しかし、このままというわけにもいかない。
 好意を自覚したからには、これを機にもう一歩関係を深めたいと思う。
 夏の夜に二人きりだなんてシチュエーション、多分、もうこれっきりだ。
 
 そこの所、天本はどう思っているのだろうと、彼女の感情の変化を意識しながら雑談に興じていた。
 だが、天本には、この状況に感情を昂ぶらせている気配は感じられない。
 つまりは、脈なしのようなのである。
 
 
(さて、どうしたものかな……)
 
 
 確かに主人も、踏み込んだ発言はしていない。
 どう攻めたものかと顔を伏せながら考え込み、歩調は緩くなる。
 ……彼がトラップに掛からなかったのは、その歩調のお陰だろう。
 
 
 
 がこんっ!!
 
「きゃあっ!??」
 
 
 
 唐突に間の抜けた音と、天本の短い悲鳴が聞こえた。
 それらに反応して顔を上げると、天本の姿が見当たらない。
 その代わりに、目の前の床板が開いていた。
 どうやら、間だけでなく床も抜けてしまったようである。
 
「天本さん!?」
 抜けた床板を覗き込みながら声をかける。
 床の下は空洞になっていて、そのまま地下の部屋に繋がっているようだった。
 コンクリートの壁に囲まれた八畳ほどの部屋で、床板の真下には大きめのトランポリンと天本の姿。
 どうやら、廊下が壊れたのではなく、そういう仕掛けのようである。
 
「天本さん、大丈夫!?」
 もう一度大きく声をかける。
 
「あ……はい」
 天本は呆然とした様子ではあるが、やっと声に反応して顔を上げてくれた。
「良かった……そこから出られそう?」
「えっと……いえ、扉がないようです」
「扉、ないの?」
「はい」
 トランポリンの上から動かずに、天本が返事をする。
 他人事のような、今ひとつ生気を感じられない声だった。
 高低差は3メートルで、よじ登れる距離でもない。
 もしかすると、これは肝試し用ではないものが、想定外の起動を見せたのかもしれない。
 
 
 
「分かった。事故かもしれないから博士を呼んでくる。そこで待ってて!」
 天本にそう告げて、地下から顔を離そうとする。
「あっ!」
 だが、天本の息を呑むような声が、彼を止めた。
 気がつけば、主人を見上げる目が、大きく見開かれている。
「ん? 天本さん、どうかしたの?」
「あ……えっと……その……」
 天本は主人を見上げたままで、言葉を濁す。
 何かに気がついたというわけではなさそうである。
 
「……かも……ません」
 天本が顔を伏せながら、なおも喋る。
「うん? よく聞こえないよ」
「その……」
「その……?」
「その……怖い、かも……しれません……」
 
 いっそう小さな声。
 怖くないのではなかったのだろうか。
 だが、その言葉を無視するという選択肢はない。
 
 
 
 
 
「……天本さん、ちょっと隅に寄ってくれるかな?」
「はい?」
「よいしょ、っと」
「あ……」
 言われるがまま、天本がトランポリンの隅に寄った所で、主人は空いたスペースに飛び降りた。
 トランポリンはバネがよく効いていて、体が一度大きく跳ねる。
 それが落ち着いた所で、隅に寄った天本を見る。
 主人の行動が理解できないのか、彼女はきょとんとした様子だった。
 
「5分くらいで次の組がくるよ。そしたら助けて貰おう」
 にこり、と笑いかける。
 天本を安心させようという意図の篭った笑みである。
「……はい」
 それが伝わったのか、天本は顔を赤らめながら頷いた。
 その赤さが、自分に対する好意だと思える程、主人は自惚れていない。
 どうにも、恥ずかしさの成分が強く感じられる表情だった。
 これは、あえて聞いた方が良いのかもしれない、と主人は思う。
 
 
 
「天本さん、怖くないんじゃなかったの?」
 苦笑交じりの冗談めいた語り。
 天本のプライドを傷つけないよう、ソフトな切り口で尋ねる。
「そのつもりでした」
 天本は足を八の字にして、衣服を押さえながら喋る。
「でも、いざ想定外の状態になると、そんな事はありませんでした」
「………」
「これから何が出てくるのか、それに一人で耐えられるのか。
 そう考えると、胸が苦しくなって、凄く怖くなりまして……」
 天本は更に顔を赤らめながら言う。
 
 恥ずかしがる彼女は……無茶苦茶可愛かった。
 
 ぐっと抱き寄せたい衝動に駆られる。
 だが、その衝動はダウトである。
 
 
 
「恥ずかしがる事じゃないと思うよ。それが普通だよ」
 主人は心音が高鳴るのを自覚しながら、勤めて優しい声を出した。
「ありがとうございます。……でも、ごめんなさい。
 そうだとしても、迷惑は間違いなく掛けてしまいました」
「いやいや、大丈夫だよ。
 むしろ、天本さんも知らなかった内面を見れて、面白いかも」
 冗談めいた口調で言う。
 それが効いたのか、天本はハッと顔を上げると、かすかに眉をひそめてみせた。
 
 
「……意地悪」
「?」
 今、彼女は言葉を崩したのだろうか?
 
 
「ありがとうございます。次の組、早く来ると良いですね」
 だが、天本の続く言葉に、先程の発言について尋ねる機会を奪われてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 ◇
 
 
 
 
 
 
 
 助けは、きっちり5分後にやってきた。
 それを待つ間の交流で、天本との距離は縮まった、と主人は思う。
 だが、それを手放しには喜べない事情があった。
 落ちた直後に自覚は無かったのだが、引き上げられた後で、天本が足首の軽い痛みを訴えたのである。
 
 唯が応急処置と診断を下した所、足をくじいたようだった。
 一晩で治りそうな軽微なものではあるが、肝試しの後に一人で帰らせるには不安がある。
 
 結論。
 主人は、天本を自宅まで送る事。
 
 それを提案したのは島岡である。
 戸惑う主人と天本を他所に、外野は皆その提案に同意した。
 
 
 
 
 
 きーこ、きーこ。
 
 そんな、自転車の走る音が闇夜に響く。
 この音はどこから鳴っているのだろうか。
 ペダルか。
 それともチェーンか。
 もしくは別の部位なのか。
 
 そんなどうでも良い事を考えながら、主人はペダルを踏み続ける。
 気を紛らわせたい一心の思考である。
 自転車の荷台には、天本が腰掛けていた。
 怪我をした状態で万が一転げるわけにもいかず、主人の腰には天本の腕が巻きついていた。
 ある意味、肝試し延長戦と言えなくもない時間である。
 
 
 
「主人さん」
 真後ろから、ほんのすぐ傍から天本の声がする。
「うん?」
「今日は本当にごめんなさい」
 もう何度聞いたかも分からない謝罪である。
 
「いいの、いいの」
 主人は笑いながら返事をする。
「そう言って頂けると助かります。でも、私の気がすみません」
「ふむ」
「ですから」
「ふむ?」
 
 
 天本は、何か提案しようとしたようだった。
 だが、続きの言葉が聞こえてこない。
 巻きついている彼女の腕に、少し力が加わったのは気のせいだろうか。
 
 
 
 
「ですから……今度、本土にでも遊びに行きませんか?」
「え……?」
 一瞬、彼女の発言の意図が理解できなかった。
「いえ、その、ええと……
 主人さん、一度遊園地に行ってみたい、とか言われていましたよね。
 ですので、ええと、そのお金を私が出そうか、と……」
 
 天本の言葉はしどろもどろだ。
 ようやく彼女が言いたい事が分かった。
 それは、これまでのような『遊び』ではなく、まごう事なき『デート』である。
 
 一方で、主人に好意を意識させなかった、天本が隠している何かについては未だに分からない。
 だが、それで良いではないか。
 少なくとも、悪くは思われていないのだ。
 そして、一歩前進できたようなのだ。
 主人はようやく、彼女を荷台に座らせて良かった、と思う。
 口の端が緩むのが止められず、隣り合って歩こうものなら、その表情の変化を見られている所だった。
 
 
 
「いいね。でも、お金は割り勘でね」
 主人が返事をする。
「で、でも……」
「その代わり、お化け屋敷にでも入ろうか」
「ぬ、主人さんっ!」
 
 照れで構成された怒鳴り声が響く。
 主人は嬉しそうに笑いながら、強くペダルを踏んだ。