季節は、巡る。
 四季は、日本のどこにも、誰にでも、均等に巡り来る。
 当然、日の出島にもそれは訪れる。
 
 
 
 
 
 芽生えと転機の春。
 
 情熱と挑戦の夏。
 
 黄昏と実りの秋。
 
 そして、哀愁と眠りの冬。
 
 
 
 
 
 藍色の夜空の下、町の照明が早々と消えるこの島の夜は、いつも静寂に包まれている。
 しかし、幾日かの例外があった。
 若者は当然の事、日頃なら早々と床に就く老人達も、遅くまであかりを灯して夜を過ごす日。
 それが、この大晦日の夜である。
 
 
 
 日の出島野球部の三年生達は、一年間の最後の日を野球部の部室で過ごしていた。
 ひんやりとした風が流れている外とは裏腹に、部室は、呼吸するように音を立てているストーブのお陰で暖かい。
 もう爆発する事のないストーブの上では、ヤカンも暖められている。
 部員達はそのヤカンで温かい飲み物を作り、持ち寄った菓子を頬張りながら、テーブルを囲んでいた。
 
 
「あ、子供できた」
 主人がぼそりと呟く。
 声の小ささの割に、インパクトのある一言である。
 
「げえっ、お前何人目だよ!」
「キーッ!??」
「これで三人目だな。とりあえずご祝儀くれよ」
 隣で目を丸くする山本と森本に返事をし、皆に手を差し出して催促する。
 
「まあ、ご祝儀はご祝儀で出しますが」
 向かいに座っていた堤がメガネに手を当てる。
「しかし主人君。天本さんにどれだけ頑張らせるのですか……」
「ぶふっ!!」
 堤の不意打ちに噴出してしまう。
 
 
「いや、別に天本さんとかじゃ……」
「じゃなかったら、お前の車に乗っているピンクの棒は誰なんだよ」
 島岡がニヤニヤと笑いながら突っ込んだ。
 主人の反応を明らかに楽しんでいる。
 気がつけば、島岡だけでなく、山本に森本に堤、更にその他の野球部三年生全員が皆主人を見てニヤついていた。
 
 
 夏以降、恋人の天本との関係についてよく弄られてはいた。
 だが、こんな時まで弄られるとは思わなかった。
 弄られるのは嫌ではないが、恥ずかしい。
 今日の弄りの根源である、目の前のテーブル上に広げられたボードが、なんだか憎たらしく思えてくる。
 
 
 
 
「そんな事より島岡、お前が持ってきたこの人生ゲーム、どれだけ古いんだよ。
 これ、かなり昔に出た奴じゃないのか?」
 強引に話題を変える。
 ボードを収納していた白い箱はもうボロボロだ。
 自分のコマが止まっているマスの文字も擦り切れていて、少し読み難かった。
 
「うん……古い。ルーレットが簡単に壊れるな……」
 前回のゲームをプレイしていた小山が同調してくれる。
「いや、ルーレットが壊れたのは、お前が力いっぱい回したからだ」
「………」
 島岡のジト目の突っ込みに、小山は黙って頭をかく他ない。
 
 
「よし、人生最大の賭けだ。一勝負いくぜ」
 次の番の村田が大いに意気込みながらルーレットを回す。
 ダントツで先頭を走りながら、彼は約束手形にまみれていた。
「まあ、結果は見えているでやんすね」
「言ったな山田。見てろ……それっ!」
 ゲームを覗き込んでいる山田を睨みつけ、幾度となく出した10にピンを立ててルーレットを回す。
 ルーレットは勢い良く回り、そして徐々に減速する。
 運命の針は最後には宣言通り、10に止まり……かけて、僅かに勢い余って1に止まった。
 
「わはは! 村田〜!」
「お前こんなのばっかりだな! ははははっ!」
「う、うるせえーっ!!」
 部室内にドッと笑い声が溢れる。
 主人も、腹を抱えて大いに笑った。
 
 ご祝儀の事は、自分でも忘れてしまっているようである。
 
 
 
 
 
 
 
 
終わりの季節
 
 
 
 
 
 
 
 主人公は、四季についてあまり考えた事がなかった。
 暑い寒い位の事は思う。
 だが、四季の移ろいに思いを馳せるような事がなかったのである。
 
 
(だけどなあ……)
 ふと、仲間と談笑しつつ、感情を泳がせる。
 
 最近では、冬の哀愁に嘆息を零す事が稀にある。
 溜息の理由は、自分でも分かっている。
 それは――
 
 
 
 
「おい、そろそろ日の出神社に行こうぜ。
 あんまりノンビリしてると年が明けちまうぞ」
 島岡の言葉が思考を断ち切った。
 この日、三年生野球部員達が部室に集まったのは、他でもない初詣の為である。
 誰が言い出したのか、年明けちょうどに、日の出神社に一番乗りをしようという事になっている。
 
 
 そうする事に何の意味があるのかと言われれば、何もない。
 だが、それで良いのだと主人は思う。
 何もなくとも、こうして皆で同じ事をしたかったのだ。
 
「おお、それじゃあそろそろ行くかあ」
 少しばかり高揚した口調で主人は返事をした。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
 大晦日の夜は寒い。
 それは当然として……しかし、心中にはどこか暖かいものがあった。
 それはおそらく、年の瀬独特の気分の高揚のせいだろう。
 どこか気持ちの良い寒さだった。
 
 外を歩いている者は殆ど見かけなかった。
 本格的な初詣は年が明けてからと考える者が多いからだろう。
 だが、誰ともすれ違わなかったわけではない。
 
 
 
 
 
「あれ、先輩方じゃないですか」
 道の先から知った声が聞こえてきた。
 四人ほどの男子学生が歩いてくる。
 先頭にいたのは、よさげな生地のコートを纏った大神だった。
 寒さからか、彼は少々猫背気味に歩いていた。
 他の三人も面識はないが見覚えはあった。大神の同級生のはずである。
 
 
 
「よう大神。どこに行くんだ?」
 主人が返事をする。
「今からカラオケですよ」
 そう言われれば商店街の隅に、相当昔に立てたであろう、プレハブ小屋のような貧弱なカラオケ屋があった事を思い出す。
 
 
 
「へえ、カラオケでやんすか。何歌うのでやんす?」
 山田が尋ねる。
「なにって、そりゃ、ええと……」
 答えに窮する大神。
 
「照れてるな」
「照れてるでやんす」
「……照れてる……」
「キーッ!」
「い、いいでしょう!? ほっといてください!!」
 
 
「はは。こいつこう見えてもマイクを持つと人が変わるんですよ。この前行った時も……」
「おい、余計な事言うなよ!」
 笑いながら何かを暴露しようとする大神の同級生を、大神がいさめる。
 
 
「と、とにかく俺達はこれで!」
「はいはい。じゃあな、良いお年を」
「あ、はい。良いお年を」
 それぞれが軽く会釈をして、大神達と別れる。
 
 
 
 
 
「カラオケですか。羨ましいですね」
 歩き出してすぐに、堤が呟いた。
「あれ、お前カラオケ好きだったっけ?」
 山本が尋ねる。
「いえ、特別好きというわけではありませんよ。
 正しくは、この時期に何度も遊べるのが羨ましい、というべきでしょうか。
 年末年始はともかく、それ以外の日は受験勉強で忙しいですから」
 
 
「ああ、堤みたいに良いとこ受けるわけじゃないけど、俺もだなあ」
 島岡が同調する。
「勉強はないけど、俺もプロ入りの為の自主トレ、楽じゃないなあ」
「……家業の新しい仕事を覚えるの、大変……」
 主人と小山もそれに続いた。
 他の者も、皆それぞれ卒業に向けての忙しさがあるようで、小さく頷いている。
 
 
 
 
 
 そうなのだ、と思う。
 卒業するのだ、と思う。
 この所、主人に溜息をつかせている理由は、それだった。
 
 
 この冬が終わったら、制服を脱ぐ。
 大神達みたく『高校生』として、何かに打ち込んだり、はしゃいだりできる日々終わるのである。
 親しい者達とは離れて暮らす事になるが、会えないわけではない。
 野球に打ち込む事も変わらないし、自分の内面が変わるわけでもない。
 
 それでも、何か寂しい気持ちを覚えてしまう。
 特に、先程の様に楽しそうな後輩を見た時には、その気持ちが強くなる。
 高校生活とは、こうも輝かしい日々だったのだと、今更になって気がついたからである。
 
 
「は〜あ」
 苦笑交じりで主人は嘆息した。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
 神社に通じる石段は、バッテリーで灯された照明で明るくなっていた。
 天本玲泉に頼まれ、先日、主人公が設置を手伝ったものである。
 腕時計を見れば、年が明けるにはまだ15分程かかる。
 だが、その瞬間を神社で過ごせば良しという事にして、一行は構わずに日の出神社の鳥居を潜った。
 
 
 
 
 
「あら、皆お揃いですね」
 境内には巫女服の天本玲泉がいた。
 主人らの姿を確認すると、にこにこと微笑みながら近づいてくる。
 やはり人が増えるのは年が明けてからなのだろう。神社には他の参拝客はまだいない。
 
「じゃ、俺達おみくじでも引いてるわ」
「あ、島岡……?」
 島岡がそう告げて主人から離れる。
 他の者達もそれに続いた。
 気を利かせたのは明らかである。
 そんな必要は無いと呼び止めようかとも思ったが、それはそれで、また弄られそうなのでやめておいた。
 
「あ、あら……」
「はは……」
 残された二人は、少し顔を赤らめて苦笑する。
 
 
 
 
「ま、まあ、それはそれとして……
 一人で大変じゃない? 何か手伝おうか?」
「いえ、大丈夫ですよ。日中に絵馬等を買いにくる方が多いだけで、私一人でも問題なく対応できますから」
「そっか。何かあったらいつでも言ってくれて良いからね」
「はい。いつもありがとうございます」
 巫女服の袖を揺らしながら頭を下げる。
 
(む、むう)
 不覚にも見惚れてしまい、心中で唸った。
 意外と見る機会の少ない彼女の巫女服は反則だ、と思う。
 
 
 
 
「ま、まあ……今年も一年間、お疲れ様。
 天本さんは新年早々忙しいだろうけれど、来年も頑張ろうね」
「ええ、そうですね。
 主人さんもプロ入りで、大変な新生活の年になりそうですね」
「ん? ああ、うん……」
 天本の言葉に、また高校生活が終わるという事を意識してしまう。
 返事は釈然としないものになった。
 
 
 
「どうかしましたか?」
 天本が首を傾げる。
「いや……最近思うんだ。
 楽しい高校生活が終わるのが寂しいな、って」
「……ふむ」
「もちろん新生活は新生活で楽しみだけれどさ」
「そうですか……ええ、そうかもしれませんね」
 天本は視線を一度宙に向ける。
 その視線を主人に戻してから頷く。
 
 
 
 
「せめて、忘れないようにしなきゃいけませんね」
「忘れないように、か……」
「はい。……色々とご迷惑をおかけした三年間でしたけれども……」
 天本が少し声のトーンを落とす。
 だが、すぐに元に戻して言葉は続けられた。
 
「でも、楽しい高校生活でしたのなら、その日々はアルバムに収めて忘れないようにしましょう」
 彼女はそういって自分の胸元を両手で抑える。
「天本さん……」
「そして、新生活も、同じように忘れないように過ごしませんか?
 きっと、笑顔になれる日々が待っていると思うんです」
 
 それは、主人も考えた事がある。
 だが、記憶はいずれ薄れゆくものだ。
 この楽しかった日々も、思い出せなくなる日がくるのかもしれない。
 
 それでも……
 
 
 
 
「……天本さんと一緒にね」
「私と、ですか?」
「うん。二人で収めれば、アルバムも簡単には色あせないだろうからさ」
「あ。……その……はい」
 自分でそう言いながら、猛烈な気恥ずかしさを感じる。
 天本も同じ気持ちなのだろう、顔を伏せてはいるが、僅かに覗かせている肌は赤く染まっている。
 
 
 
 
「天本さんと一緒にでやんす」
「私と、ですか?」
 こっぱずかし空間に、男どもの声が割って入ってきた。
 声の主は、狛犬の傍にいた山田と山本だった。
 他の面々もいる。
 ……出歯亀である。
 
 
 
「え、え……ええっ?」
 天本の顔はいよいよ茹で上がった。
「お前ら、おみくじは?」
 一方の主人はジト目で突っ込む。
「そんなのさっさと引き終えたでやんす」
「で、ずっとお前達鑑賞してたんだ」
「お前ら……」
 ふるふると頭を左右に振る。
 
 だが、主人は苦笑した。
 彼らとのこんなやり取りも、アルバムの一ページだ。
 そして、彼らとも同じアルバムを持つのだ。
 
 
 
 
 
「……そんな事より、そろそろ年が明けるみたいだぞ」
 時計を見ながらそう言う。
 長針と短針が揃うまで、残り十秒を切っていた。
「お」
「本当だ」
「もうそんな時間ですね」
 それぞれが時間を確認して頷く。
 そして……年が明けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「あけましておめでとう〜!」
 皆の明るい声は、日の出神社に大いにこだました。