二階堂真琴SS 華よ、華よ!
 
 
 
 
「まだ三が日が明けたばかりなのに、随分熱心だよなあ……」

 主人公がそう呟くのと共に、白い吐息が口から漏れる。
 もう時刻は正午を過ぎていたが、この日は悪天候で太陽は雲に覆われており、朝から一向に暖かくなる気配がない。
 冷たい風から身を守るように、コートの襟を掴んで首に密着させ、主人は開拓分校裏にある山の小道を歩いていた。
 
 
 
 主人と二階堂真琴が交際を始めてから、この一月でちょうど半年になる。
 彼女の事を考えるたびに、縁とは分からないものだと主人は思っていた。
 
 
 
 中学、高校とひたすら野球に打ち込んできた主人に、女の子と知り合う機会はそうそうあるものではなかった。
 主人にとって、今、最も情熱を注げるものは野球である。
 だから、彼女が出来なくとも、それは別に構わない。
 構わないのだが……やはり、出来る事なら彼女は欲しいわけである。
 
 そこで問題となっていたのが、女の子との接点だった。
 
 狭い付き合いをしている自分が、女の子と親密になれるとすれば、
 彼女らに気があるわけではないが、マネージャーの冴花やら、自分の練習を見に来ていたファンと思わしき女の子やら、
 何かしら野球に接点のある女性との付き合いなのだろうな、という気持ちが主人にはあった。
 
 そして、その予想は半分当たる事となる。
 
 
 
「それが、野球だけじゃなく、剣道も縁で付き合う事になるんだもんなあ……」
 主人は感慨深げに遠くを眺め、真琴と出会った日……野球ボールを竹刀で真っ二つにされた日の事を思い出す。
 
 
 野球と剣道の交流という、奇妙な縁で始まった真琴との付き合い。
 そんな日々の中で、真琴の素直な所や剣道に直向きな所に、いつしか主人は惹かれていた。
 交際してから分かった事だったが彼女も、自分の、熱心に取り組む所に好感を持ってくれたという。
 そういった内面は、野球と剣道の練習が無ければ、互いに気がつくことはなかっただろう。
 
 
 そんな思いもよらない縁に、主人は感謝している。
 だから、真琴の剣道の練習には、どのような時であっても付き合いたいと思っている。
 その為に、三が日が明けて間もない、まだ新春気分にまどろんでいたいこの日も、真琴から『練習をする』と聞いていた為に、山中の練習場へと様子を見に来ていた。
 もっとも、その様な縁がなくとも、今真琴が置かれている境遇を考えれば同じように様子を見に来たであろう、とは思う。
 
 
 
 
 
「お……」
 ふと、視界に白いものが混じった事に気が付く。
 空を見上げると、雪が降り始めていた。
 一つ一つは小さな粒だが、量が多い。
 数時間経てば積もりそうな気配があった。
 
「……急ぐか」
 主人は僅かに嘆息し、歩幅を広げた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この日練習に用いると聞かされていた場所は、山中の滝であった。
 山頂へ上る道から脇に逸れた所ではあったが、標識もあった為に、主人は迷わず辿り着いた。

「ああ、こういう所か……」
 その場所を初めて目にして、主人は落ち着いた言葉を漏らした。
 
 滝と言っても、轟音が音を掻き消すような荒々しいものではなく、5メートル程の高さから川の水が流れ落ちるものであった。
 とはいえ、離れた位置からでも流れ落ちた水が飛び散る音が聞こえ、水しぶきも見えるそれは、間違いなく滝ではある。
 
 二階堂真琴は、白の稽古着を上下にまとい、広い足幅を取って滝の麓にある岩の上にいた。
 滝に向かって、普段の大竹刀とは違う木刀を用いて素振りを繰り返している。
 鬼気迫る集中力が、遠く離れていても伝わってきていた。
 
 
 
 主人は声を掛けることなく、遠くからその様子を見守る。
 
 滝の音を裂くようにして、真琴が数を数える声が聞こえてくる。
 彼女の振りは非常に力強く、一振り毎に滝に切れ目が出来ていた。
 だが、普段地上で行っている彼女のそれとは、どこか勢いに欠ける印象を受けた。
 
 それも致し方ない事ではある。
 と言うのも、すり足もできず、適切な体勢を取る事も難しい岩の上の素振りである。
 どうしても勢いは衰える。
 
 この練習に何か意味があるのだろうか、とは思ったが、その疑問は口にしない。
 彼女が剣道について行う事である。最近彼女が打ち込んでいる野球の練習同様に、間違いがあるはずはない。
 数日後に行われる、彼女の親を倒して道場を破ったマダラとの勝負には欠かせない何か……おそらく、メンタル面に関する練習なのだろう。
 
 
 
 
 主人が来てから十五分程した所で、真琴は素振りを止めた。
 滝を見上げてから振り返り、そこで主人を視認した彼女は、目を大きく見開いて驚いた様子を見せた。
 主人は手を掲げて挨拶しながら、真琴のいた滝に近づく。
 彼女も岩と岩の間を器用に飛び越え、陸地へと戻ってきた。
 
 
「なんだ主人、来てくれていたのか。声を掛けてくれれば良かったのに」
 真琴がやや高揚した声を掛けてくる。
「いや……練習に集中していたみたいだからね。
 まだ練習するつもりなら、俺に構わずに続けてよ。練習相手が必要なら付き合うしさ」
「その為に来てくれたのか。ありがとう。
 だが、大丈夫だ。今日はこの辺りで終わろうと思っていたのだ」
 真琴は目を細めて返事をすると、傍に置いていたスポーツバッグの中からフードの付いた白のベルベッドコートを取り出す。
 
 
「雪も本降りになってきたし、決戦を前に風邪を引くわけにもいかないからな」
 コートを身に纏ってフードを被りながら、真琴は言葉を続けた。
 
「……なあ、主人よ」
 彼女が眉を顰め、表情を練習中と同様に真剣なものへと変える。
 主人の目を真っ直ぐに見つめてきた。
 無意識のうちに、主人の背筋が伸びる。
「剣道は、私の人生なのだ。
 幼き頃から剣の道だけに生きてきた私にとって、マダラとの決着に敗れるという事は、自身の人生を否定される事になる」
 
「……分かる気がするよ。俺も同じように野球一筋の人生を送ってきたからさ」
 こっくりと頷いて返事をする。
「ありがとう」
 真琴は律儀に一礼した。
 それから、視線を、先程まで素振りを続けていた滝に向ける。
「……だから、私は道場や親の事に限らず、自分自身の為にも負けられない」
 マダラ……必ず奴に勝利してみせる」
 
 真琴はそう宣言するとそのまま滝の方を見続けた。
 強い視線の先に、マダラの姿を思い描いているようであった。
 
 
 
 
 主人は暫し、決意を胸に秘める彼女を眺めた。
 
 白の稽古着とベルベッドコートは、練習の熱気で紅潮した頬や滑らかな黒髪と対比して、映えていた。
 しんしんと降り注ぐ雪がフードに積もり、その対比を更に強調している。
 
 少し強くなってきた風で、真琴の黒髪がさらりと流れる。
 風から身を守るように、彼女が片手をフードに充てがうと、その雪は落ちながら消えゆく。
 
 付近では、白の山茶花がぽつぽつと咲いていた。
 艶やかさの無い控えめなそれは、風景として真琴を際立たせるように咲いている。
 
 奥では、寒さを連想させる水色の水流の滝が、水飛沫を上げて流れ落ちていた。
 白を中心とした出で立ちの真琴と相まって、その光景からは、身体の芯を冷やすような冷たさを感じる。
 
 だが……
 
 
 
 
(……うわあ)
 
 主人はほっと息を漏らす。
 美しい、と思う。
 それ以外の言葉で形容する事ができなかった。
 
 
 ふと、昨年のクリスマスに、真琴が口にした言葉を思い出した。
 
 彼女は、同じ剣道を志す者からも『鬼サムライ』というあだ名を付けられ、敬遠されてきたという。
 思い返せば詰井も、彼女の剣道一筋である所を煙たがっていた。
 最近の真琴は、剣道以外の事にも興味を持った事で精神にメリハリが生まれ、張り詰めていた弦が適度に緩んでいるが、
 それは剣道を洗練する為のものでもあり、竹刀を持っている時の真琴の鋭さはむしろ磨きが掛かっている。
 
 だが、真琴を辛辣な女性だと感じる者は、彼女の武に対する側面しか見ていないのだろう、と主人は思う。
 真琴の心情を重ねて見ると、それは彼女のひたむきな所からくるものであると分かる。
 
 凛とした彼女の風貌と、その強く気高き精神に、主人は見惚れていた。
 
 
 
 
「……どうしたのだ、主人。惚けた顔をして」
 いつの間にか視線を主人に戻していた彼女の一言で、気を取り直した。
 
「ん……ああ。ええとさ……」
 その美しさを口にしようとして、主人は言葉を切らした。
 今、マダラに対する……自身の剣道に対する気持ちで精神を研ぎ澄ませている彼女に掛けるべき言葉ではないと判断する。
「……いや。なんでもない。
 マダラに勝ってから話すよ」
 
「変な奴だな」
 真琴は肩を竦める。
「当日は、お前も応援してくれよ。それが、私の力となるのだ」
「ああ、任せてくれよ」
 主人は笑みと共に力強く返事を返す。
 
 返事に気を良くした真琴は、僅かに顔を傾ける。
 外と内に二つの華を持つ彼女は、主人と同じように笑みを浮かべ、外の華を咲き誇らせた。