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「いつ来ても辛気臭くてかなわんなあ、ここは」 イルが呟く。 彼女は、気だるそうに周囲を見渡しながら建物の中を歩いていた。 彼女がいる木造五階建ての建物は、築百年を超える代物だ。 古さが逆にモダンな雰囲気を醸し出しており、到る所に並べられた本棚と書籍が、その雰囲気を作り出すのに一役買っている。 しかし、彼女はその空間をそれ程気にいっていない。 それよりは、煌びやかな空間の方が好みであったが、このような場所が煌びやかである例を、彼女は知らなかった。 「ま、しょうがないなあ。図書館ってこんな所やし……」 なおもぶつぶつと呟きながら、目的の書籍が納まっている本棚を探す。 フロアは奥まで見渡せない程に広く、案内板で大方の場所は把握していたものの、見つけるには少々手間がかかりそうだった。 さすがは王立の貯蔵量と、彼女は内心舌を巻いた。 王立図書館である。 イルはこの日、仕事で必要になった特殊な魔術が記載されている書籍を探しに、この大層な肩書きの図書館を訪れていた。 その貯蔵量は国内は当然の事、近隣の国と比較しても随一である。 国内で販売されている書籍は無論完備。 史書や魔導書といった物珍しいものも大抵は取り揃えており、国宝級の考古資料や古文書の写しも数多く取り揃えている。 それほどの図書館であれば、多少は物々しくもなるものであった。 書籍を借りるのは当然の事、入館自体にも利用者登録が必要となっている。 更に、フロア内の到る所に、ギルドから派遣されたガイド兼監視員が配備されていた。 その上、今回イルが欲している貴重な書籍等には、魔法でロックが掛かっている。 監視員から解除魔法を掛けてもらわなければ解く事は出来ない。 今回イルは、偽造登録ではあったがその手続きを踏んで、書籍を探していた。 彼女であれば、強引に入館して書籍を強奪するのも不可能ではない。 ロックの解除も、時間をかければおそらく可能だろうという自信もある。 だが、その後を考えればデメリットが大きすぎた。 それほどの図書館で狼藉を働く事は、国家はもちろんの事、国に属さない同業者や魔術師にも迷惑をかける事になる。 それら全てを敵に回すよりは、面倒でも大人しく正規の手順で利用する方がまだマシだった。 「さっと読んで、久しぶりに街で遊んでこかな。 さて、確かこの辺りやねんけど……」 足を止めて、すぐ傍の本棚に掛かっているプレートを見る。 当たりを付けていた通り、プレートには『魔導書』の文字が記されていた。 だが『No.1』の文字が続いている。 更に奥を見渡せば、とりあえず視界の範疇全てが『魔導書』の本棚だった。 この中から目的の書籍を探さなくてはならないと思うと辟易する。 「むう」 思わず唸り声を洩らす。 「この中から探すのはしんどいなぁ……」 忌々しげに本棚の海を睨みつける。 その視界にふと人影が入ってきた。 本棚の影から、ローブを纏った女性と眼鏡をかけた男性が現れたのである。 二人は胸にバッジを付けていた。 バッジはガイド兼監視員の証であった。 「……あ、そや。うちは探さなくてもええんや。 探してくれる人ガイドさんがいるんやからなあ」 イルはニヤリと笑みを浮かべ、小走りでその二人に駆け寄る。 「すんまへん〜、本を探しとるんやけど……」 近づきながら気さくに声をかける。 先にイルに反応を示したのはローブの女性だった。 「はい。どのような本でしょうか?」 穏やかな声。 だが、イルは首をかしげる。 聞いた事がある声でもあった。 フードの中に隠れている女性の顔を覗き込む。 一方の女性も、フードから顔をせり出すようにしてイルを凝視していた。 「「……あ〜っ!!!」」 驚きの声を漏らしたのは同時だった。 「あんた、主人のパーティーの魔女!!」 眉をひそめながら、フードの女性……ユイを指差す。 彼女とは面識があった。 先日の野球人形騒動で関わった、主人公という男のパーティーの一員で、自分の監視を見抜いた忌々しい魔女だった。 ただ、それだけれあれば厄介という言葉が適切である。 ユイに対しては、もう一つ思う所があった。 「そういう貴方こそ、旅の邪魔をしてきたイリス……いえ、イルじゃないの!」 ユイも、なおも声を張り上げる。 彼女もイルと同じような表情を浮かべていた。 どうやら、相手の事が気にくわないのはお互い様のようである。 瞬く間に、図書館の片隅に、静けさとは異なる緊張感が生まれる。 「あの……」 その緊張した空間に割って入ってきたのは、ユイの後ろにいた眼鏡の男だった。 「二人とも、図書館で大声出しちゃダメでやんす」
眼鏡の男ヤマダは、一応はそう忠告したものの、完全に二人に気圧されていた。
王立図書館の攻防
「……はい、ロック解除」
「……どうも」
ユイからぶっきらぼうに本を渡され、一応礼を述べながらそれを受け取る。
礼は、ロックを解いてくれた事だけに対するものではなかった。
本は、ある程度の場所を把握しているユイでもなかなか見つける事が出来なかった。
それもそのはず、探し出してから十数分が経った後で、正規の場所とは異なる本棚に収まっているのを、ユイが偶然見つけくれたのであった。
試しにその場でページをめくってみると、何の問題もなく開く事が出来る。
最初に手にした時は、ノリでもつけられたかのようにページ間が張り付いていた。
どのような仕組みの魔法なのか気になったが、それよりも今は本の中身である。
「それじゃ、早速読ませてもらおか」
本を片手に読書室に向かう。
「ちょっと待ってよ。なんで借りていかないの?」
それを追いかけるユイが尋ねてきた。
更に後ろからはヤマダも付いてきている。
「なんでって……返しに来るの面倒やん。
必要な所だけここで読んでしまった方がええやろ?」
「よくないわよ。またロックして元に戻すの面倒くさいじゃないの」
「へえ。ロックを元に戻すのもあんたの仕事なん?」
イルが軽い口調で言う。
「そうよ。今日はロック魔法が使える魔法使いが不足していて、
一階の当日返却本は全部私が対応しなくちゃいけないの」
「ふうん、そうやったんか」
イルが首だけ振り返える。
だが、その表情には悪戯っ気の籠った笑みが浮かんでいた。
「なら、遠慮せず読ませてもらおか」
そう言いながら、今度は全身で振り返る。
「ちょっと、人の話……!」
「ユイさん、ダメでやんす……」
再度声を張り上げようとしたユイをヤマダが諌める。
「ところで、今日はあんたら二人だけなん? 主人は?」
「主人さんに何か用でもあるの?」
ユイが眉をひそめる。
思いもよらない名前に動揺しているようにも見受けられた。
「まあ……用があっても会わせないけれど」
「……突っかかってくれるやないの」
「まあまあ、まあまあまあ……」
ヤマダが必死に二人の間に割って入って仲裁する。
「主人君は、先日魔物と戦った時に怪我をして、今は入院しているのでやんす」
「入院?」
予想外の言葉だった。
イルは平穏を装って言葉を返すが、少し語尾が上ずってしまう。
「まあ、暫く安静にすれば大丈夫でやんすよ。
ただ、運悪く治療費が無い時期でやんしたから、他のメンバーでギルドの依頼で治療費稼ぎしているのでやんす。
そういうわけで、ユイさんとオイラも、ギルドに届いた王立図書館の仕事の最中なのでやんす」
「なるほど。道理で珍しい組み合わせなはずやね」
「まあ、オイラは完全に人数合わせ要員でやんすが。
なにかあったら、ユイさん、頑張ってくれでやんす」
ヤマダが申し訳なさそうに頭をかく。
「なにかあったら、ってどういう事や。泥棒とか?」
ヤマダの言葉が気にかかったイルは更に尋ねる。
その問いに答えたのはユイの方だった。
「それも無いとは言わないけれども、それよりも厄介なのがモンスターね。
ほら、ここって古い本も多いじゃない。中には魔力が籠っているものもあるのよ。
で、その魔力に引かれて、たまにモンスターが図書館を襲撃する事があるのよ。
その撃退も私達の仕事ってわけなの」
「ふぅん。なるほどなあ」
イルが頷く。
「まあ、そうは言ってもたまの話なんやろ?
そう都合悪く、当番の時に襲撃される事なんか……」
どぉぉぉんんんんっ!!
イルの言葉は、不意の凄まじい震動と衝撃音で断ち切られた。
あまりの震動にヤマダは転んでしまうが、イルとユイは本棚に手を掛けて何とか堪える。
「な、なによ今の!?」
いちはやく反応したのはユイだった。
揺れも完全に収まっていない中、音のした方角を向く。
遅れてイルも同じ方向を見れば、遠くの壁が崩れているのが見えた。
それを視認するのと同時に、人の叫び声が耳に入ってくる。
何が起こったのかを察するのは、そう難しい事ではなかった。
「ちょっとちょっと!
このタイミングでモンスターの襲撃なんて、聞いてないわよー!」
ユイが大いに嘆く。
「うう……い、いや、聞いているでやんす……さっき強烈なフラグかまされたでやんす……」
ヤマダがふらふらと立ちあがりながら突っ込みを入れた。
その言葉を受けて、ユイはキッと強い視線をイルに向ける。
その視線が、単に自分の立てたフラグに向けられたものではないという事は、イルにも察しがついた。
「なんや、ガンつけてくれおってからに。何か言いたそうやなあ?」
悪党と呼ばれる事に抵抗はない。
冤罪をふっかけられるのも、まあ今さら怒るものでもない。
だが、彼女に敵意を向けられるという事自体が、どうにも気に入らなかった。
「あら、貴方の手引だというのは、私の考え過ぎかしら?
これまでされてきた事を考えれば、疑うのも当然だと思うんだけれど」
ユイも引き下がらない。
眉を吊り上げ、じわりとイルに近づく。
「い、今はそれどころじゃないでやんすよ!
ユイさん、お仕事でやんす! 早くやっつけにいくでやんす!」
ヤマダが立ち上がりながらそう叫んだ。
そう言われてもなおユイはイルを睨んでいたが、すぐに首を左右に振ると、ヤマダと共に悲鳴の聞こえる方へと駆けていった。
「……ふん。いい気味や」
二人の背中を見つめながら、イルはつまらなそうに呟いた。
………
……
…
案の定、崩れた壁の付近にはモンスターが襲来していた。
二人が到着した頃には、十数匹のレギスが跋扈しており、瓦礫の下には幾人かの人影も見えている。
助けを求める声と、逃げる人々の叫び声が入り混じっている。
非常に危うい状況であった。
「ビュービューっ!!」
ユイがすかさず全体攻撃魔法を唱える。
数こそ多いものの、レギスは取り立てて強いモンスターではない。
主人との旅を経て実力を付けているユイの敵ではなく、その一撃でレギス達は壁の外へと吹き飛ばされていった。
「今のうちに!」
「任せるでやんす!!」
ヤマダが力強く返事をして、下敷きになった人の救出にかかる。
ユイも同様に瓦礫に手を掛けようとしたが、その動きはすぐに止まった。
彼女の視界の端には、壁の外から、なおも襲来する無数のレギスが映っていた。
「ああ、もう、キリがないっ!!」
人を潰していない瓦礫の上に仁王立ちしてユイが叫ぶ。
だが、愚痴を零すのはそれまでだった。
騒然とした状況にも関わらず、目を瞑って精神を集中させる。
そうしている間にも、レギスの群れはいよいよ距離を詰めてくる。
ユイの目が開かれたのは、半径100メートル程まで迫られた時だった。
「ボーボーっ!!!」
彼女の得意魔法が、レギスの群れに穴を開けた。
単発ではない。
間髪入れずに、更に数発ボーボーを放ち、纏めて葬り去る。
時間を掛けて魔力を高めた分、普段では不可能なボーボーの連発は、効果的であった。
「ギャーーーッ!!」
大気をつんざくような悲鳴を上げて、幾つものレギスの群れがボトボトと地上に落下する。
だが、残ったレギスには、脱落した者を気に留める様子はなかった。
相当な数のレギスを撃ち落としても、まだなお多数のレギスが押し寄せてくる。
「ボーボー! ボーボー!! ボーボーっ!
はあっ、はあ……はぁ……ち、ちょっと、これ、マズくなってきたわね……」
ユイの呼吸が切れはじめる。
脂汗が額に滲み始める。
間近に迫ったレギスを撃ち落として呼吸を整えるが、整いきる前に次の群が迫ってくる。
構え直す前にちらと背後を一瞥すれば、まだヤマダの負傷者救出は続いていた。
(これじゃ逃げ出すわけにもいかないし……どうしようかしら……)
ユイが前を向いて構えなおす。
重い身体の動きには悲愴感が漂っていた。
考えても、どうなるものでもない。
覚悟を決めてもう一度、詠唱しようとした……その時であった。
「ボーボーっ!!」
巨大な火球が、一番近いレギスの群れを焼き落とす。
その火球は、ユイの手から発せられたものではなかった。
「あなた……!」
「まったく、見とられんわホンマ」
ヤマダの更に後ろに、その魔法の使い手がいた。
その使い手……イルは、小走りでユイの隣に足を進める。
「ほれ」
イルが小瓶を投げる。
ユイがそれを掴むと、市販の魔力回復薬であった。
何か仕込んでいるという事はないのであろうが、もうユイにはそこを追及する気力もない。
本能のままに魔力回復薬をあおる。
即効性のある薬は若干の魔力と気力となり、瞬く間にユイの全身を駆け廻った。
「……ありがと」
「勘違いしなさんなや? うちはあんたの味方やないで」
イルがジト目でそう告げる。
「だけど……主人は面白い男やからな。
あんたの仕事を成功させて、怪我している主人に恩を売ろうと思っただけや。
あんた自体はむしろ虫が好かん。よう覚えとき」
「はあっ……なんでもいいわ、この際」
ユイが荒く返事をする。
無駄なお喋りをしている暇が無いのは事実であった。
イルも視線を前方に向けると、未だ残る魔物の群れを強く睨みつける。
「しょっぱいのを撃ち続けてもキリがあらへん。
ええか? 残った魔力を全部振り絞って、ボーボーを使うんや。
うちのゴロゴロと合わせて、合体魔法で全部いてもうたろやないか」
「了解……!!」
ユイが力強く頷く。
二人が詠唱を始めた。
赤と黄の魔力が大気となって溢れ出す。
僅かに地鳴りが起こり、崩れかけの壁がいくつかパラパラと落ちる。
異様な集中力の高まりに、ヤマダも無意識にその手を止め、二人に見入ってしまう。
二人の魔力は限界まで高められ、そして……
「ボーボーーォォォッ!!!」
「ゴロゴロォォォォッ!!!」
特大の炎と雷は、絡み合いながらレギスの群れへと放たれた。
………
……
…
カァ〜
カァ〜
夕焼け空の中、カラスが気の抜ける鳴き声を発しながら飛んでいる。
その下に広がる街の歩道を、ユイとヤマダ、そしてイルは力なくとぼとぼと歩いていた。
「いやはや、モンスターを撃退できたのは良かったでやんすが……」
ヤマダがそう呟いて嘆息する。
「……そうね」
「……そやな」
一方のユイとイルは歯切れが悪い。
二人とも、視線は虚空をさまよっていた。
ヤマダはがっくりと肩を落として、言葉を続ける。
「魔法の威力が強すぎて、保険の範疇を超える位に図書館をぶっ壊して、
報酬と差し引きゼロとは、とんだタダ働きでやんしたね?」
「それはこの人が!」
「それはこいつが!」
二人の声が重なる。
実に息の合った言い訳をした二人は、ヤマダを無視して睨みあった。
「魔力が全快じゃなかった私はともかく、あなたまで全力を出す事なかったじゃない!
あれはあなたのゴロゴロの威力が強すぎたのが悪いのよ!」
「なっ……! そもそもこれは、ウチには関係ない仕事やで!?
そこまで言われるいわれはないで!!」
「あら、主人さんに恩を売りたかったんじゃなかったの?
それじゃあ、今回曲りなりに助けてくれた事は言わなくても良いのかしら?」
「そ、それはやなあ!!」
ギャースカギャースカ。
周囲の視線も気にしない二人の口喧嘩はエスカレートする。
そんな二人を一瞥したヤマダは、もう一度重く嘆息し、二人を放って歩き出した。
「まったく……この二人、意外と息が合うんじゃないでやんすかね……」
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