「しかし、貴方がプロ野球選手に詳しくて助かりました。ありがとうございますね」
 その日の仕事を無事に終えた武内ミーナは、
 仕事をアシストした主人公にそう告げると、にっこりと笑って頭を下げた。
 
「いやいや、お役に立てたのなら……」
 主人もつられて頭を下げる。
 考えてみれば、ストレートに褒められたり礼を言われる事は、この所ないものだ。
 彼女の言葉が嬉しくて、照れ隠しに注文していたコーヒーを口に含む。
 
 
 
 
 この夏、主人は二つの大きな問題を抱えていた。
 一つは、ルームメイトの開田具智らを取り込んでしまった呪いのゲーム『ハッピースタジアム』の野球ゲームの攻略。
 そしてもう一つが、何の事はない、金である。
 
 ハッピースタジアムの問題は、黒幕である電子生命体デウエスを打ち破る事で解決し、取り込まれた人々らは無事に帰ってきた。
 開田も帰ってきた為に、家賃は再び折半となり、金の問題も多少は緩和できた。
 
 
 だが、金はまだ根本的な解決には至っていない。
 主人は未だ無職である。
 ことごとく面接で落とされる日々が続いているのだが、その間も生活費は必要である。
 そこで彼は、デンノーズのチームメイトであった武内ミーナが持ちかけてくる、
 いわゆる『裏の仕事』を手伝う事で、その日その日を凌いでいた。
 
 
 
 
(今回は比較的安全な仕事で良かったなあ。
 むしろ選手と話すことが出来て楽しかったし)
 コーヒーをもう一度あおりながら、今日の仕事を思い出す。
 
 ツナミの調査の一環で、記者を装って球場内を調べるのが今回の仕事であった。
 しかし、ミーナは完全に顔が割れている。
 そこで主人がおとりとなって決められた相手にインタビューを行い、その間にミーナが隠密調査を実行した。
 
 
 仕事は三十分程で終了し、彼らは球場から大分離れた喫茶店で休息をとっている。
 席に着くのと同時に手渡されたバイト代の一万円は、主人の財布をこの上なく暖めてくれた。
 しかし、この所その一万円は『ついで』になっているようだと、主人は自覚している。
 
 
 
 
「あ、このケーキ美味しいですね」
 注文していたショートケーキを口にしたミーナが、片手を頬に当てて顔をほころばせる。
 彼女の年齢が幾つになるのかは、分からない。
 分からないのだが……幾つであろうと、その笑顔は『愛らしい』という表現がぴったりと当てはまる。
 
 
 ミーナの仕事を手伝う最大の理由は、そんな彼女との交流であった。
 その日凌ぎの仕事ならいくらでもある。
 それも、当然といえば当然であるが、命の危険を伴わないものばかりだ。
 それでも彼女の仕事を手伝うのは、額や義理に加え、少々の下心があったからに他ならない。
 
 
 
「今日がデイゲームで良かったです。
 このお店、評判は良いんですけれど、夜には閉まっちゃうんで」
「評判のお店なんですね。納得です。
 んん〜♪」
 幸せそうにまたケーキを頬張る彼女を一瞥する。
 
 今日の彼女のいでたちは、白のワイシャツに、橙色を基調としたやや長めのスカート。
 それと、申し訳程度の装飾のネックレスに、彼女のトレードマークである大き目の茶色い帽子である。
 一つ一つを取ってみれば、地味なものと言って差し支えない。
 しかしそれは、地味というよりは淑やかというべきであろう、と主人は思う。
 彼女が身に纏う事で、知性を感じさせる落ち着きが生じていた。
 
 
 
 
 
「いつか遊びで観たいなあ」
 唐突のミーナの言葉。
「えっ?」
「あ、野球の事です。あまり詳しくないですけど、皆熱狂的で楽しそうですね。
 いつか仕事抜きで観に行ってみたいです」
「ああ……でもミーナさん、ツナミから狙われているんですよね?
 野球観戦って、結構危なくないです?」
「そうですね。でもダイジョーブ! 私負けません」
 彼女が眼前で軽く握りこぶしを作る。
 茶目っ気の篭った動作だった。
 
 
(……やっぱり可愛いなあ)
 そんな彼女の振る舞いに、主人は小さく嘆息を零す。
 彼女は単に淑やかな女性ではない。
 むしろ本質は熱意や愛嬌で溢れている。
 全身に駆け巡るそんな明るさが、淑やかさにコーティングされている。
 そのバランスに、主人は惹かれていた。
 
 
 実の所、一度遠回しにモーションをかけた事はあるのだ。
 ツナミネットのチャットで、何かの拍子で恋人の有無の話になった時に、
 冗談めいて、独り身の彼女に自分を売り込んでみた事がある。
 
 だが彼女は『今は仕事がしたいので』という旨の返答を返してきた。
 彼女の仕事を手伝っていたからこそ、それは本音だと分かる。
 しかし、それを口実に綺麗にかわされた感も否めない。
 
 
 
(何なんだろうな。手が届きそうで届かないというか、
 ガラスで区切られているというか……
 攻略非対象ヒロインというか……むう……)
 脳内でぶつぶつと呟きながらコーヒーを飲み干す。
 
 
「ところで」
 そこで、不意にミーナが話を切り出した。
 コーヒーカップを卓上に戻してミーナを直視すると、彼女は言葉を続ける。
 
「バイトは、今回で終わりにしたいと思うです」
「えっ? な、なんで……」
「うーん、いつまでも無事でいられる保障ありませんし。
 それに主人さん、ちゃんとした仕事探さなきゃいけませんよね?」
「む、むう……」
 
 そこを突かれると、言葉の返し様がない主人であった。
 
 
 
 
 
 
 

あつくつよいかぜ
 
 
 
 
 
 
 
 チームはいつまで続くのだろうか、という話をチャットに持ち込んできたのは、
 仕事柄、ミーナと並んでツナミネットの情報に長けているウズキだった。
 
『サイデン:いつまでって……もしかして、ツナミから目を付けられてチームが消されるって事?』
 この日チャットに参加していたチームメイトの一人、サイデンがそう尋ねる。
 
『ウズキ:なかなか良い所を突いていますね。
 ただ、チームというよりはハッピースタジアムが、というべきなんです』
 ウズキがそう返す。
 やや間が出来るが、誰も発言しない。皆ウズキの言葉の続きを待っていた。
 
 
『ウズキ:デウエスに飲み込まれた人々は前後の記憶が曖昧になっていますが、何かの拍子で記憶を取り戻すかもしれません。
     その拍子を取り除く為に、ハッピースタジアムのサービスを終了させようという動きがツナミ内に出来ているみたいですよ』
『BARU:ちょ、ちょっと待ってほしいのニャ! それが原因なら、記憶があるあたし達も危なくないかニャ?』
『ウズキ:それは大丈夫。デウエス戦後に目立った動きを自制しましたから、今の所は危険度無しと判断されているようです』
『BARU:そっか、安心ニャ……』
『サイデン:でも、ゲーム……チームは無くなるかもしれないんだな』
『ウズキ:ええ。でも、元よりいつまでも続くものじゃありませんから』
 
 
 
 
 
「いつまでも続くものじゃない……」
 ウズキの発言を、主人は直接言葉にして漏らす。
 
 では皆で別のゲームで遊ぼう、と提案しようとも思った。
 しかし、そこにあるのはもうデンノーズではないのだろう。
 
 
 
 元々は、それぞれがそれぞれの目的を持って集まったメンバーだ。
 今はこうして余韻に浸るかのようにツナミネットでダベっているが、
 目標が無い今後、別のゲームで遊ぼうとしても、どれだけの者が集まるだろうか。
 既に、デウエス戦後に顔を出さなくなったメンバーだっている。
 
 
 思い返してみれば、これまでの人間関係もそうだ。
 小学校、中学校、高校、大学。
 その時代その時代で多数の友人がいた。
 しかし環境が変わる毎に、そぎ落とされるかのようにそれらの友人とは疎遠になっている。
 無論、今でも交流のある友人もいるのだが、減っては増えを繰り返している事には違いない。
 
 
 時代が変われば、人も変わる。
 それは仕方のない事である。
 一つの熱い風は吹き抜け、また新しい風が吹くのだ。
 デンノーズの皆も、時代と共に吹き抜けて行くのだ。
 
 
 
「ふう」
 溜息をついて立ち上がる。
 おもむろに部屋の窓を開けた。
 外から、蒸れるような風がぶわっと押し寄せ、全身を覆う。
 アパートの中庭からは、まだ蝉の鳴き声がする。
 もう九月。
 夏は終わりに近づいている。
 だが……
 
 
 
「まだまだ暑いでやんすね。夏はもう少し続くのでやんす」
 ふと、背後から声がした。
 
 主人は声に反応して振り向く。
 振り向きつつ、声の主の武内ミーナがベッドに腰掛けている情景を想像した。
 だが、想像だ。
 声の主の思い当たりは一人だけである。
 彼の背後では、ルームメイトの開田が、扇風機に当たりながら漫画雑誌を読んでいた。
 
 
 
「うん、そうだな」
 苦笑しながらそう言う。
 何が引き金になったのだろうか、その時主人の心中には一つの決心が出来ていた。
 
 
「……よし!」
 その決心は、身体を覆う熱風にも負けない熱気を保ち、彼の心中をところ狭しと吹き荒れている。
 強い動悸を覚えながら席に着く。
 その動悸を発散させるかのように、キーボードを叩いた。
 発言モードを個宛にして、エンターキーに手をかけようとする。
 発散させていると感じていた動悸はむしろ強まり、この瞬間が最も緊張を覚えていた。
 
 
「………!」
 やや間が出来たが、無言でエンターキーを押す。
 表示された文言から目が離せない。
 指は、暫くそのままエンターキーを押し続けていた。
 
 
 
 
 
 
 
………
……

 
 
 
 
 
 
 
「試合、面白いですねえ」
 武内ミーナの声は弾んでいた。
 だが、言葉とは裏腹に、今日の彼女はどこか落ち着きが無い。
 外野席から試合を眺めつつも、時折、周囲の様子を伺うようにして首を回している。
 それは彼女も自覚しているようで、ふと、彼女は肩を竦めてみせた。
 
 
「……やっぱり、少し周りは気になりますけど」
「………」
「あ、違いますよ? 主人さん責めてる違います。
 無理して来たんじゃなくて、来たくて来たんですから」
「……ん」
 言葉にならない言葉をぶしつけに呟き、主人は頷く。
 
 
 
 ――個宛で武内ミーナを野球観戦に誘った翌日、彼女はその誘いに応える返事をしてくれた。
 おそらく、注目度は一軍よりも圧倒的に低い二軍の試合観戦だったからこそ、彼女は応えてくれたのだろう。
 
 勝ち負けは然程重要視されない二軍の試合。
 加えてシーズンの展開が消化試合気味になっている事もあり、この日の観客数はとことん少なかった。
 彼らが座る外野席は圧倒的に空席が目立ち、周囲に他の観客はいない状態である。
 この空白感がミーナを落ち着かせていないのだろうが、今更他の観客の近くに移動するのも妙な話である。
 それに、主人にとってはこの空席状況の方がありがたかった。
 
 
 
 
 
「どうしました? 今日はぼーっとしてますね」
 ミーナが覗き込むようにして尋ねてくる。
「あ、うん」
「ほら、その生返事」
 彼女はケタケタと笑ってくれた。
 その笑い声を聞いているだけで、十分すぎる程の達成感を感じる。
 今日のクライマックスはこれからだというのに、困ったものである。
 
 
 
『元よりいつまでも続くものじゃありませんから』
 
 
 
 ウズキではなく、渦木が隣でそう言った気がした。
 人生の先輩らしい、何かを悟ったような口ぶりだ。
 
 このまま何も言わなければ、ミーナの笑みは流れていくのだ。
 じわり、と汗が首を這ったのを感じる。
 今日も日差しはきつい。
 試合は七回裏。逆転のチャンスにナマーズの四番が打席に立っている。
 外野最前列では、熱心なファンが応援に精を出している。
 野球独特の球場の熱さが、暑さと交わり、主人の心を燃え上がらせてくれた。
 
 
 
 
 
「ミーナさん」
「はい?」
 彼女の穏やかな返事を上書きするように、間髪いれずに言葉を続ける。
「好きです!」
「!??」
 ミーナが目を丸めた。
 驚かれるのも当然だ。
 自分でも脈略のない事を言っているとは分かっていたが、後悔はない。
 
 
「あれっ? 私が?」
「はい、ミーナさんです」
「好きって、えっ?」
「変な言葉は付きませんよ。そのままの意味です」
「私、おばちゃん……」
「関係ありません!」
 ミーナの口調は落ち着きを持たず、次第に慌てふためいたものになる。
 対照的に、主人の言葉はより強いものへと変わっていった。
 
 
「あらっ? あらあらあらあらっ? えっ?」
 ミーナの顔がみるみる赤らむ。
 目は丸いままで、口は締まりなくぽかんと開かれていた。
 何かが剥がれて、覆うもののなくなった狼狽がはっきりと見える。
 告白だけではなく、自身の狼狽に対しても狼狽しているようであった。
 
 
「俺と、付き合ってください!」
 もう一度、はっきりと気持ちをぶつける。
 
 
「ぅゎぁ」
 ミーナは素っ頓狂な声を漏らして、両手で顔を覆って下を向いた。
 少女のような反応。
 下を向いたままで、頭は縦に振られた。
 
 風は、まだ熱い。