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月曜、午前七時過ぎ。
ピピ、ピピ、ピピ、ピピ、ピピ……
「ん……朝……」
目覚まし時計のアラームで主人は眠りから覚めた。
上半身だけを起こし、寝ぼけ眼の手探りで目覚まし時計を止める。
そして、起こした上半身をそのままベッドに倒し、数十分後に慌ただしい朝を迎える……
……のは、つい先日までの事であった。
「……起きるか」
暫しの間、ベッドの上でぼけっとしていたものの、二度寝はせずに起床した。
制服を纏い、部屋から出て、洗面所で顔を洗って寝癖を整える。
意識がはっきりとした所で、胃袋が朝食を求めている事が自覚できた。
主人の睡眠欲に勝ったのは、食欲であった。
「今日の朝ご飯、何が出るんだろうなあ」
ぽつりとそう呟く。
それから彼は、昨日の朝に天本が作ってくれた朝食の味を思い出しながら、リビングへと向かった。
「公、おはよう。今日は寝坊しないんだな」
リビングでは父が椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。
食卓には、ご飯と味噌汁、ほうれん草のお浸しと、人数分の小皿に乗った玉子焼き。
それから品種は分からないが、何かしらの焼き魚が既に並んでおり、
制服にエプロン姿の天本が、最後に水の入ったコップを置いている所であった。
父の言葉で主人に気がついた天本は、ぺこりと頭を下げてから、自分の席に着く。
「ん。おはよう。
そりゃ、美味い朝食があるからね」
父に答えるのと同時に、天本に笑顔を向けながら主人も着席する。
「ありがとうございます。居候の身ですからこれ位は……」
天本はもう一度主人に頭を下げる。
その表情は少しばかり硬かった。
それから、三人揃って朝ご飯。
主人は玉子焼きを口に運びながら、横目で天本を一瞥した。
朝食といえば、先日のやり取りが思い浮かぶ。
――食事の用意は私にお任せ下さい、と天本が買って出たのが土曜の夕食後。
主人家ではこれまで、家事は全て二人で分担してきた。
食事の用意も同様ではあるのだが……二人ともそう腕は良くない。
「手伝ってくれるのはありがたいけれど、分担するから無理をしなくても良いよ?」
父がそう返すも、天本は首を真横に降った。
「それでは申し訳なさすぎます。
家事全てはこなせないかもしれませんが、他の事もなるべく引き受けますので」
「ううん……」
「取り急ぎ、食事は手間もかかるでしょうから……お任せ下さい」
悩んでいる父を前に、天本がもう一度主張する。
結果……決して彼女に家事労働を求めてはいなかったのだが、
天本がそれで気が済むのならという事で、とりあえず食事の用意は彼女の受け持ちとなった。
そして、その選択が正解だったと証明されたのが昨日。
絶品の朝食を口にした、日曜の朝であった――
(結構、言ったらテコでも動かない所がある子なのかもなあ……)
そんな事を考え、さらによそ見をしながら箸を動かす。
ポロッ
「うおっ!?」
案の定、箸で摘んでいた卵焼きを床に落としてしまう。
「うう、俺の玉子焼き……」
「ははは、公、残念だったなあ。いやあ、美味そうな卵焼きなのに」
嘆く主人の隣で、父が軽い笑みを浮かべて自分の分の卵焼きを口にしようとする。
「父さん、それくれよ」
「いやいや。これは私の分だ」
「なんだよ、育ち盛りなんだから俺にくれたっていいだろ?」
「ダーメ! 私だって美味い飯食いたいんだからな!」
「ぶーぶー!」
子供じみた言い争いを繰り広げる二人。
だが一方の天本は、その様子を然程気にかける様子もなく、自分の分を素早く食べ進める。
その途中でふと、壁にかかった時計を見てから、僅かに口を開いた。
「主人さん、少し急がれた方が。あまり時間がないようです」
小さい声。冷静な口調。
「あ……うん」
我に返った主人は、残ったおかずに箸を伸ばす。
その最中に、もう一度天本を横目で見やる。
(……まだ、ちょっと落ち込んでるのかな)
無表情とも落ち込んでいるとも取れる、微妙な表情の天本を見るたびに、どこか落ち着かない気持ちになる主人であった。
パワプロクンポケット4
我が家へようこそ!
第二話/プロテイン弁当
季節はもう随分と秋めいてきた。
授業は上の空で、外の景色を眺めながら、主人はそう思う。
登校中に身体を撫でる風も、心地良い涼しさに変わりつつあった。
日の出島に来て間もない主人は、まだこの島の四季全てに触れてはいないが、
こうも気持ちの良い風土ならば、他の季節が巡ってくるのが少しばかり楽しみになる。
(……新生活、か。どうなるんだろうなあ、ホント)
それから、視線を前に向ける。
れは黒板ではなく、目の前の席で授業に集中する天本玲泉に向けられたものだった。
先日の道中で、確かに彼女は笑みを見せてくれた。
だが、その瞳に宿った光は小さく、今朝もまだ影を背負っている印象を受けた。
祖母を失って二週間強。そう簡単に元気を取り戻せるものではない事は良く分かる。
しかし、彼女との新生活において、先行きが不透明である理由は他にもあった。
天本と相談の上、同居を始めた事は今朝一番にクラスの皆に打ち明けた。
後出しにして変な勘ぐりされるのも、との判断である。
その結果……クラスメート達は、驚く事もからかう事もなく、すんなりとその件について承知してくれた。
(不自然と言って差し支えない反応だったな……
もしかすると、天本さんに何か気を使うような事情でもあるのかな……)
相変わらず後方から天本を眺めながら、首をひねる。
そこで、背中を軽く叩かれた。
振り返ると、後ろの席の神木唯が、折り畳んだノートの切れ端を突き出している。
速やかにそれを受け取り、前に向き直りながら開く。
切れ端には、少女らしい丸みのある文字が書かれていた。
『昼食、付き合ってくれる? 天本さんも一緒にね』
「へえー、主人君のお弁当も天本さんが作ってるんだ!」
「ええ、まあ。居候の身ですからこれくらいは……」
「そっかあ。いいね、主人君。すごく美味しそうだし」
昼休みの教室に、唯の楽しげな声と、彼女と会話する天本の声が流れる。
主人の机の上には、三つの弁当箱が広げられていた。
主人と天本の弁当箱の中身は、唯が褒めるだけあって、彩り良く食欲をそそるものであったが、
かくいう唯の弁当箱の中身も、天本の作ったそれに負けず劣らずの出来であった。
「いや、まったくもって。
家で食べるご飯も作って貰ってるけれど、美味しいんだよこれが」
うんうんと頷く主人。
「そう言って頂けるのは嬉しいのですが、一つ悩み事もありまして。
男性の食事を作るのは初めてなので、量や栄養バランスの事が、今一つ分からないのです」
だが、褒められた当の天本は、僅かに困ったような表情を見せる。
「あ、そういう事だったら私が教えてあげる。
これでも野球部のマネージャーとして、体調管理には心得があるからね!」
唯がグッと身を乗り出し、人差し指を伸ばして前後に振りながら言葉を続ける。
「ええと、まずはね」
「はい」
「主人君の弁当箱にご飯を敷き詰めたらね」
「はい」
「その上にプロテインをね」
「はい」
「ん?」
嫌な予感が過ぎる主人。
「ドバーッとかけちゃえばOK!」
「おおおおいっ!」
グッと親指を突き立てる唯に、思わず立ち上がって突っ込む主人。
「分かりました。プロテインをドバーッですね」
「あ、天本さんっ!?」
「はい……?」
今度は、言われたままの言葉を信じて頷く天本に突っ込む。
おそらくは、プロテインを調味料の一種と勘違いしているであろう天本は、そんな主人の反応に首を傾げた。
「あははははっ!
ダメよ主人くん、野球選手は身体が大事なんだからあ。ふふふっ!」
「ぐうう……」
一方の唯は、主人の反応にお腹をかかえて笑い声を立てる。
ますます事態が飲み込めない天本は、キョトンとしたままで主人と唯の顔を交互に眺めた。
「ごめんごめん、うふふ……
そうだ、天本さん。話は変わるけれど……」
唯は一通り笑った後で、振り返って自分の鞄をあさり、中から本を一冊取り出して主人の机の上に置いた。
主人がその本を覗き込むと、どこかで聞いたことのあるような気がするタイトルと著者名が記されている。小説のようであった。
「あ。これ……」
置かれた本に、天本が僅かに目を見開く。
「そそ。天本さんが探していた本。
こないだ家を掃除していたら、たまたま出てきたの。
私は後でもいいから、どうぞ、ゆっくり読んでね」
「あ……ありがとうございます。
ご好意に甘えさせて頂きますね。
……本当に、ありがとう」
「いいのいいの! たまたま家にあったんだから、ありがとうだなんて」
天本はその本を手にし、胸元で抱くようにして軽く抱える。
それから、笑顔を浮かべて唯に頭を下げた。
それを受けた唯は苦笑しながらも、天本が頭を下げている間に、何故か主人に目配せした。
その行為に、主人はふと閃く。
(待てよ。本といえば先々週末に、
唯さんから本土の港町で一番大きな本屋の場所を聞かれたな。
もしかして、その後で本を買ってきたんじゃ……)
彼女の思惑を察した主人の表情が緩む。
(……そっか。家族を亡くした天本さんを、恐縮させずに元気づけようって事か。
唯さんも……いや、きっとクラスの皆も、天本さんの事が心配なんだろうな。
でも声が掛けづらいから、俺も昼食に加えて話しやすくしよう、って事ね。
しかし……)
しかし、と主人は思う。
しかし、天本玲泉が本が好きだとは知らなかった。
一時的なものだとは思うが、天本に笑顔を宿す程の効果があるとは知らなかった。
思えば、彼女の事はまだ何も知らないと言っても差し支えないのである。
そういう意味では、自分よりも付き合いが長い唯が気遣ってくれるのは非常に心強い。
(……天本さんの事情、あまり詮索しない方が良いか。
同居してからに限らず、そもそも出会ってからも間もないわけだし。
気長に……だな)
主人は唯に目礼をして、弁当に箸を伸ばす。
中には卵焼きが入っていた。
朝に取りこぼした事を思い出し、それを摘むと慎重に口に運ぶ。
気がつけば、顔を上げた天本が、そんな自分の表情を伺っていた。
主人は卵焼きを喉に通すと、微かに溜めを作ってから口を開く。
「美味い」
満足そうに頷く。
「お粗末様です」
天本は、もう一度微笑んだ。
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