「あーあ、随分離れた所まで来てしまったなあ……」
 
 海に囲まれた島。
 
 九月の暖かな陽射。
 
 豊富な自然。そして青い空。
 
 それはそれで良いのだが……
 その島には、主人公の知人は、まだ一人もいなかった。
 
 
 
 
 
 
「……ふぅ」
 主人は大きくため息をつき、先程まで船で渡ってきた海を見る。
 
「大安高校の皆とは、もうなかなか会えないよなあ……」
 そう呟きながら目を凝らしてみるが、彼がこれまで在籍していた大安高校は当然の事、向こう岸さえも見えない。
 改めて、離れた所に来たものだと感じ取る。
 
 
 
 
 主人の生活は、この年、大きな転機を迎えていた。
 主人が大安高校に入学してまもなく、彼の母がこの世を去ったのが全ての始まりであった。
 彼は、葬儀の場や友人の前でこそ気丈に振舞っていたが、それでもまだ15歳の少年である。
 一人の時間を過ごす時には、人知れず涙を流していたものであった。
 
 だが、主人はそれから暫くして、隠れて泣くのを止めた。
 それは、大学病院で仕事に忙殺されている彼の父が、仏前で一人呆然と立ち尽くす姿を目撃してからである。
 その時の父の瞳には、光が浮かんでいなかった。
 このままでは、父までどこか遠くへ行ってしまうような気がした。
 
 
 父と共に強く生きていこう。
 
 そう心に刻んだ主人だからこそ……
 『ライフスタイルを変える為に日の出島に引っ越す』という父の提案は、
 名門・大安高校の野球部との天秤に掛けられる事もなく承諾され、今に至るのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 その選択には何の後悔もない。
 だが、知人との別れは、それとは別問題で寂しくあるものである。
 主人は名残惜しそうに、少しでも遠くを見ようと崖の端へ歩みを進めた。
 
 
 ……少しばかり気が抜けていたのだろう。
 彼は、すぐ傍に慰霊碑がある事に気がついていなかった。
 ぼけっとしながら、慰霊碑に近づき、
 そして、彼の足が慰霊碑を崩……そうとしたその時であった。
 
 
 
 
「お〜い」
 
 
 
 車道から父の頼りない声が聞こた。
 声に反応して歩みを止め、振り返って……主人は目を見開いた。
 
「お〜い、公、助けてくれぇ……」
「と、父さん、どうしたんだよっ!?」
 主人の父はトラックの傍でうずくまっていた。
 主人が慌てて駆け寄って肩を揺すると、父は唸るようにして言葉を続けた。
 
 
 
「じ……」
「じ?」
 
 
 
「じびょ………」
「じびょ?」
 
 
 
 
「持病のしゃくがぁ〜〜〜!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……これが、古いパワプロならば一週間の休養で済む。
 ところがどっこい、パワポケ4。
『島には他に診れるものがいないから』という理由で本土にUターンして診てもらった所、
 持病の他に大病が発覚し、その治療には長期間の入院を要する事となった。
 そんな父を置いて主人だけが引っ越すわけにもいかず、当然予定は未定となる。
 
 
 結果として……彼らが改めて日の出島に引っ越すのは、
 それからちょうど一年後、高校二年の九月まで伸びるのであった――
 
 
 
 
 
 
 
パワプロクンポケット4
 
我が家へようこそ!

 
第一話/持病のしゃく
 
 
 
 
 
 
「ねえねえ唯。今度の日曜日って暇?」
「暇ならさ、私たちと一緒に本土に遊びに行かない?」
 
 女子生徒二人の声が、夕暮れ空の下に響く。
 野球部マネージャーの神木唯は、校門を出ようとした所で、
 クラスメートのA子、B子に声をかけられていた。
 
 そして同じく野球部に所属する主人公。
 練習を終えて帰宅しようとしていた彼は、
 それから少し後方で、そんな彼女達を眺めていた。
 
 
 
 
「うーん、ごめんね。先週までなら良かったんだけれど、
 そろそろ秋季大会が近くて、マネージャーの仕事も忙しくなるから……」
 唯はA子、B子に向かって、申し訳なさそうに両手を合わせて謝る。
 
「そっかー。残念。でも、唯もたまにはパーッと遊ばなきゃダメよ?」
「今度は一緒に遊びに行こうね。あそうだ。先週の事なんだけれど……」
 
 彼女達は特に気を悪くした様子もなく、唯と肩を並べて歩きながら、引き続き雑談を持ちかけた。
 唯も楽しげにその雑談に加わり、三人してゆったりと歩く。
 なんとも華やかな光景であった。
 
 
 
 
 
 
「………はあ」
「おう、主人っ!」
 そんな女子達を眺めている所で、不意に背中を叩かれる。
 振り返れば、同じ野球部の山本有三が傍にいた。
 
 
 
「どうした主人、ため息なんかついちゃって。
 まだ学校には慣れていないのか?」
「おー、山本」
 気の抜けた返事。
 主人は唯達の後方を歩きながら、更に言葉を続ける。
 
 
「転校して二週間経ったし、ま、それなりには。
 ……だけど、クラスが一学年一クラスってのがなあ……」
「ん? 一クラスってのが、どうかしたか?」
「んむ。一クラスってのが問題なんだよ。
 だって、クラスが少なけりゃ、当然女の子も少ないじゃんか」
 
 そう言って、はぁぁ、と盛大な嘆息。
 
 
 
 
「ははは! そういう事か!」
 主人の意を解した山本は、笑い声を立てながら主人の背中を叩いた。
 
 
「おいおい、そうは言っても健全な男子高校生にとっては死活問題だぞ、これは?」
「ま、そりゃそうだな。気持ちは分かるぞ」
「気持ち『は』、って……山本、お前は彼女欲しくないの?」
「ああ、俺は諦めてるんだ」
山本は笑顔を苦笑に変え、肩を落とす。
 
「転校生のお前はともかく、
 島産まれ組は小さい頃からずっと一緒だった分、
今更そういう関係に発展しない事は分かりきってるからな」
「なるほど」
 うんうんと頷く主人。
 もっともな理由である。
 
「その点お前は可能性があるんだから恵まれてるぞ!
 それに一クラスといえど、女子がいないわけじゃないし」
 山本が少し声を大きくして主人を励ます。
 その声が耳に入ったのだろうか。
 前を歩く女子達のうち、A子が振り返った。
 
 
 
 
「ねえねえ、何の話?」
 A子は歩みを止めると、主人達に話しかけてきた。
 
「ああ。女の子の話だよ」
「ば、馬鹿!」
 山本がニヤニヤしながら返事をする。
 主人が慌てて口をはさもうとするが、山本はお構いなしである。
 
 
「主人がな。『彼女は欲しいが女子が少ない』って嘆いてたんだ」
「むぅー! 主人君、それは聞き捨てならないわよっ!」
 キッと睨みつけるB子。
 主人は目線をそらしたが、そのそらした先に唯が割り込んできた。
 
 
「ぬっしびとくぅん、私達じゃダメなのかな?」
 唯がわざとらしく頬を膨らませながら主人に詰め寄る。
 自分を困らせるためのポーズである事は分かっていたが、それでも思わず一歩後退。
 
 
「い、いや、だって……」
「だって?」
 
 更に一歩踏み込む唯。
 主人はやむなく、タジタジになりながらも唯を一瞥する。
 
 
 
 容姿は間違いなく可愛い部類に入る。
 性格も良い子だ。
 だが……
 
 
「……いやさ、唯さんのどこが悪いってわけじゃないんだ。
でも、俺にとって唯さんは『野球部のマネージャー』としてインプットされちゃってるわけだからさ。
こうなるとチームメイトの一種みたいなものだし、その、なんというか……」
 山本に彼女ができない理由を拝借しての言い訳。
 だが、それは本音でもあった。
 
「ふーん。チームメイトの一種、か。うんうん」
 主人の口調はしどろもどろではあったが、唯はコクコクと頷いてくれた。
 どうやら満足してくれたようではある。
 
 
 
 
 
「主人くーん、じゃあ私は?」
 今度はA子が詰め寄ってくる。
「ダメ」
 
「それじゃ、私!」
 とB子。
「却下」
 立て続けに問い質すモブ二人を、結への態度とは一転して、短い言葉で切り捨てる主人。
 
 
 
「「なんでよ〜っ!!」」
 
「名前だ、名前。A子B子なんて恥ずかしい名前の彼女、俺はヤだぞ。
読みも、A子と書いて『あこ』はともかく、
B子なんか、B子と書いて『べこ』じゃんか。牛だぞ、牛」
 
 
「ちょっとちょっと、言ってくれんじゃないの、主人君!」
「そーよそーよ! あんただって『主人  公』だなんてギャグみたいな名前してるじゃない!」
「ぐ、ぐぬぅ……! 俺はいーんだ!
『しゅじん』じゃなく『ぬしびと』って読むんだから!」
 
「「ちっとも良くないっ!」」
 
 
 
 それから、ギャースカギャースカと子供の喧嘩が始まる。
 とは言っても『変な名前』という悩みを抱えている者同士であった為か、
 それは喧嘩というよりも、じゃれあいと言った方が正しい様相であった。
 そんな光景を呆れたように眺める唯と山本は、顔を見合わせて肩を竦め合った。
 
 
「……ま、主人君も」
「これだけ慣れてくれた、って事か」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 皆と別れて帰宅の途についた主人は、物思いに耽りながら、薄暗くなりはじめた道を歩いていた。
 
(やっぱり、彼女欲しいなあ……)
 物思いといえば聞こえは良いが、何の事はない、女の子の事である。
 
 
 
(とはいえ、誰だって良いものじゃないんだよな。
 そんな飢えたような気持ちで付き合っても、女の子に失礼だし。
 ……そうだなあ。A子B子は論外として、
 唯さんだと、やっぱりマネージャーって所が引っかかるんだよな。
 何か一つ関係が変わるようなイベントでもあれば別だけれど、
 そんなゲームみたいな事、そうそう起こるものでもないし……)
 
 それから主人は、一人一人、クラスの女子の顔を脳裏に浮かべてみる。
 だが、どうしても一人だけ浮かんでこない顔があった。
 
 
 
 
 
(ん? あ……まもとさん、だったっけか。
  あの子、どんな顔していたっけ?)
 
 
 天本玲泉という女子生徒の顔だけが、どうしても思い出せない。
 というのも、主人が彼女を見たのは、転校直後の一、二日のみだからであった。
 主人の転校と入れ替わるようにして、彼女は忌引きで学校を休んでいる。
 
 
(確か、お婆ちゃんが亡くなったんだったよな。
 島に来たそうそう、父さんが看取りに行ってたっけ。
他に保護者がいなくて、忌引きが長引いているって聞いてたけど……
……で、どんな顔だっけか。ううん……)
 
 彼女を取り巻く事情を整頓する事で、
 釣られて彼女の顔つきも思い出せないものかと試みるが、やはり思い出せない。
 そうこうしている間に、自宅に帰り着いてしまう。
 
 
 
 
 
「……ダメだ。思い出せなかった」
 もはや、天本玲泉がどうのではなく、純粋に顔が思い出せない事が気になっていた主人は、
 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、自宅の扉を開けた。
 
「ただいまあ」
「おかえりなさい」
 
 扉を開けると、ややつり目気味の少女が出迎えてくれた。
 日の出高校の制服をまとっていて、髪は黒でやや膨らみのあるボブカット。
 少女は、名を天本玲泉という。
 
 
「あっ、これだ! 天本さんってこんなか……」
 突如視界に入った少女の顔にモヤモヤが払拭され、
 主人は笑顔で、顔の前で両手をぽんと打ち鳴らそうとし……
 
 
 
「って、ええええっ!?」
 ワンテンポ遅れて、意外な人物の来訪に驚きの声を上げるのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 数十分後。
 主人は自宅のリビングで、父、天本とテーブルを囲み、事情の説明を受けていた。
 
 
 
「……なるほど。要するに、天本さんに保護者がいないから、
  高校を卒業するまでの間、うちで暮らしてもらう、と……」
「ん。そういう事だ」
 こっくりと頷く父。
 
 主人は天本を横目でちらと見やるが、無表情であった。
 どこか、心ここにあらずといった印象を受ける。
 
 
 
(むう)
 
 殆ど記憶に残っていなかった少女の横顔には、静かな美しさがあった。
 しかし、それは穏やかな静けさではなく、見る者を緊張させる張り詰めたような空気であった。
 
(しかし、なあ)
 
 感情を読み取る事ができず、疑問を口にし辛くあったが、
 それでも聞かねばならない事があり、主人はなおも口を開く。
 
 
 
 
「……ええと。でもなんでうちで?」
「それなんだが、遠縁の方ならいるのだよ。藤田巡査だ。
 だが、巡査の家は狭くて、年頃の子が一緒に暮らすのは難しいそうでな。
島民会議でその話を聞いて、私が真っ先に名乗り出たんだ」
「真っ先に、って……」
 
 
 
 彼女が親族に引き取られない理由は分かった。
 だが、代わりに主人家で保護する理由は分からない。
 更にそこを問い尋ねようとした主人であったが……
 
 
 
 
(あ……)
 
 ふと、一つの思い当たりが生じる。
 父の顔を良く見れば、糸目状の瞼から僅かに覗く瞳には、哀しみが篭っていた。
 その瞳には、見覚えがある。
 そう、これは……
 
 
 
 
 
 
(そっか……)
 
 父の心情を察した主人は、頭を僅かに前に倒す。
 父の動機については、納得がいった。
 だが、問題自体はまだ半分しか解決していない。
 もう一つ聞かねばならない事がある主人は、居住まいを正して天本に向き直る。
 
 
 
「……でも、天本さんはそれで良いの?
突然うちなんかに来ても落ち着けないだろうし、
同じ学校の同級生と一緒に暮らすんじゃ、色々と大変じゃないかな?」
 
 
「………」
 天本は無表情のままで主人を見やる。
 
「私は大丈夫です。でも……」
 一度言葉を切る。
 
 
 
 
 
「主人さん達にご迷惑でしたら、私は一人でも」
 
 
 
 
 
 か細い、消えてしまいそうな声。
 淋しい言葉。
 冷たい雰囲気が発せられる。
 
 ……だが……
 
 
「却下」
 主人はそれらを感じる前に、反射的に口を開いていた。
 それから、首を左右に振り、なおも言葉を続ける。
 
「ダメ。ダメダメダメ。それはダメ!
  一人ってのは却下!」
「………あ」
 
 まくし立てるように彼女の言葉を否定する主人。
 その意外な反応に、天本は僅かに目を大きくし、言葉にならない声を漏らす事しかできなかった。
 それから彼女は、すぐに顔を伏せた。
 見ようによっては、僅かに頷いたようにも見える伏せ方であった。
 
 
 
「どうやら、決まりって事で良いみたいだな」
 
 父が二人に優しく声をかける。
 その言葉で、理由はともかく同居が確定した事を意識した主人は、もう一度天本を一瞥した。
 天本は依然として顔を伏せたままである。
 
 
 
(むう……)
 
 ふと、今回の突然の事態に、心臓が激しく鼓動していたのに気がつく。
 主人は、気持ちを落ち着ける為に、自身の胸元を軽く二度小突いた。
 なんたるちあ、である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日、土曜日。
 主人と天本は、二人して道端を歩いていた。
 
 今回の同居にあたって、天本はまだ必要最低限の道具しか運んでおらず、
 今後の生活に必要な物を、天本の実家から持ち運ぶ為である。
 
 
 
「ありがとうございます。
 どうしても女手一つでは運び難いものもあるので……」
 道中、ふと天本がそう漏らした。
 
「いやいや、これくらい」
 主人は笑顔を浮かべて顔を横に振る。
 だが、内心では彼女の言葉に違和感を感じていた。
 
 
 
(なんだろう、な……)
 
 どこか、社交辞令的な印象を受ける。
 殆ど顔を合わせていない同級生、しかも男女の違いもある。
 間に距離ができるのは当然の事だ。
 だが、彼女の言葉には、どこかしら、全てから距離を置きたがっているような寂しさを感じる。
 
 
 
「どうかしましたか?」
 
 唐突に天本が声をかけてきた。
 その声に反応して彼女の顔を見る。
 同時に、昨日は顔を伏せられていた為に見えなかった彼女の瞳を直視する。
 それでようやく、合点がいった。
 
 
 
(ああ、そうか……)
 
 
 その瞳には、光が篭っていなかった。
 一年前の、そして昨日の父と同じ瞳をしていた。
 同じ悲しみを知っている父は、この少女を癒すために保護をかって出たのだろう。
 
 ならば、と思う。
 父がそうしたいのなら……いや、違う。
 父の意向に従うのではなく、自分自身が、彼女の力になりたい。
 
 ――主人公の気持ちは、この時ようやく定まった。
 
 
 
 
 
「ええと」
 
 無意識のうちに口が開く。
 わざわざ言う事ではないのかもしれない。
 だが、なんと言ったものか。
 今なら違う話題にすりかえる事もできるだろうか。
 そう思いはしたが、その考えはすぐ脳裏の隅に追いやった。
 
 顔を僅かに天本の方に寄せる。
 僅かな沈黙。
 主人の言葉が、それを破った。
 
 
 
 
 
「……我が家へようこそ。これから、宜しくね」
 
 色々と天本の心情を気遣う言葉を考えはしたが、結局口にできたのはその言葉だけだった。
 
 
 
「………」
 意表を付くの言葉に、暫しキョトンとする天本。
 だが、その表情が崩れた。
 
 
「ふ、ふふ……」
 天本は口を僅かに開かせ、それを手で抑えながら笑い声を立てる。
 破顔と言える程の笑顔ではなかったが、頬には小さなえくぼができている。
 そして……いつの間にか、彼女の瞳には僅かに光が点っている。
 
 ようやく目にした彼女の笑顔は、小さな笑顔ではあったが、決して作られた笑みではなかった。
 
 
 
「何か変な事言ったかな、俺」
 次にキョトンとさせられるのは主人であった。
 天本が何故笑い出したのかが分からず、頭を掻きながら天本の様子を伺う。
 
「うふふ……いえ、ごめんなさい。
 あまりにも突然だったものですから、つい」
 天本はなおも笑いながら、ぺこりと頭を下げる。
 それから頭を上げると、笑うのをやめて主人を直視した。
 
 
 
「主人さん。昨日は、私の言葉を却下して下さってありがとうございます。
 ……こちらこそ、これから宜しくお願いしますね」
 
 温和な表情。
 昨日見た彼女とは全く違う表情。
 昨日仮保存された彼女の表情が、上書き保存される。
 
 
「あ……」
 
 この人はこうも優しい笑顔をするのかと、主人は内心狼狽える。
 突然、背筋に電流のようなものが走ったのが自覚できた。
 それが何なのかと考えたい所だが、その前にとりあえず返事をしなくては、と思う。
 
 
 
「うん」
 
 なんとも間の抜けた口調。
 それから、ふと顔を背けると、彼女に聞き取られない程度の小声を口の中に漏らす。
 
「……弱ったな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 それは、同居生活の事か……
 
 或いは、皆にどう事情を説明したものかという事なのか……
 
それとも……