「新しいバイト、ですか……」
「はい。新しいバイトです」
 
 一瞬だけ眉を潜めた主人公は、笑みを携えて対面の席に腰掛ける武内ミーナを一瞥した。
 彼女のいう『バイト』が、一般的に言う普通のアルバイトではなく、
 いわゆる裏社会の仕事……時として生命に関わる事もある事を、身をもって知っている主人にとって、
 この言葉程に危険を感じるものは、そうそうあるものではなかった。
 
 そこを敢えて『バイト』と称するのは、周囲に会話を耳にされても良いようにとの対策であった。
 とはいえ、二人が今居るモダンな雰囲気の喫茶店には、他に客は一組もおらず、店員も調理場に居るようで、
 現状としては無用の対策ではあったが、ミーナ曰く『習慣』との事である。
 
 
 
 
(ううん)
 主人は訝しみの表情を崩さず、テーブルの上に運ばれてきたコーヒーに口を付ける。
 店内はややクーラーが効き過ぎており、身体は冷えていたが、コーヒーで熱が戻ってくるのを感じる。
 ミーナもそれに続くようにしてコーヒーを口にした。
 
(普通なら即座に断る所だけれど、
 ミーナさんにはデンノーズの事で協力してもらっているし、無下にはできないよなあ。
 ミーナさんにはミーナさんの都合があってなんだろうけれど……)
 
 
 
 
「大丈夫。今回は安全なバイトですから」
 主人のそんな心中を察したのか、ミーナが明るい声で付け加える。
 
「今回のバイトは、パーティー会場への潜入なんです。
 あー、潜入というと誤解ありますね。
 何かを調べるのではなく、今回はコネ作りの為の参加です」
「ほう」
「主催もツナミではなく、むしろツナミの対立企業ですので、警戒もされませんです。
 ただ……男女カップルでないと参加できないものでして。
 なので、交際している男性という設定で同伴してほしいです」
 
 
「むう」
 唸る主人。
 
「でも俺、他所行きの服持っていませんよ」
「大丈夫。それもお貸しします」
「むう」
 もう一度唸る。
 
 
 
 条件面では、取り立てて問題はない。
 それでも主人を一考させる理由は、適正であった。
 
(パーティーでコネ作りって事は、上流階級の人が集まるようなやつだろ?
 俺なんかが行っても場違いだし、ヘマしそうだよなあ。
 それに……)
 
 ちらとミーナを見やる。
 
(『設定』とはいえ、ミーナさんと交際か。
 それこそ、俺なんかで良いのか……)
 
 
 
 
「そうそう。主催企業はフーズ事業にも手を出していまして、
 立食形式のパーティーに出てくる料理、すごく美味しいとのひょうば」
「行きます」
 ミーナが全て言い切らないうちに返事をする主人。 
 悲しきは、貧乏人の性であった。
 
 
 
 
 
 
 その後、パーティー前日。
 パーティーに備えて断食する主人の腹の成る音は、
 平良木の部屋まで聞こえる有様であった。
 
 
 
 
 
 
 
パワプロクンポケット12
 
今宵君チャイナメイドドレス
 
 
 
 
 
 
 パーティー当日の夜。
 
 どこかのホテルのフロアを貸し切るものかと思っていた主人にとって、
 会場の様相は、少々予想とは異なるものとなっていた。
 
 
 
 会場自体は白を基調とした高い天井の建物。
 ホテルという予想は外れたが、これはまだ予想の範疇ではある。
 
 大きく異なるのは、場所であった。
 その建物は、孤島に作られたリゾート施設の一つであり、
 辿り着く為には、用意された専用のクルーザーを用いる必要があった。
 
 会場のメインフロアは、ちょっとした体育館程度の広さで、
 窓やバルコニーへの通路が多数設けられており、開放的な作りであった。
 会場内には煌びやかな照明と、ゆったりとした音楽が流れており、
 庭には、どこかで見たような南国の観葉植物が生い茂っている。
 どことなく、異国情緒の漂う雰囲気のパーティーであった。
 
 
 
 
 
(……なんだかなあ)
 そして、そのパーティー会場の一角。
 
(うん、妙な気分だ)
 そこには、ミーナから借りたタキシードを纏い、参加者達を眺める主人の姿があった。
 
 
 参加者の多くは、貫禄のある年配が占めていた。
 IT企業の成り上がりであろうか、若い参加者もいるにはいたが、
 それでも、大学を卒業したばかりの主人程に若い参加者は見当たらない。
 
 状況的には、やはり場違いであったかもしれない。
 だが、心中を覆う感情はそれではなかった。
 
 この日は熱帯夜である。
 会場が開放的な分、冷房効果は薄く、体は火照りを覚える。
 異国情緒漂う雰囲気と、思考能力を薄らげるような火照り。
 そこに『場違い』という感覚が加わった結果、
 
 主人は、非現実的な雰囲気に浸っていた。
 
 
 
 そんな非現実性が原因であろうか、それとも舌の違いか。
 立食形式で既に口にした食事は、周囲の反応を見る限りでは、間違いなく美味しいのだろう。
 だが、主人にはその味の良さが今ひとつ分からない。
 空腹を解消する程度に食した後は食欲が沸かず、食事はすぐに終えてしまった。
 
 他の参加者達はめいめいに交流を図っているが、ミーナの付き添いである主人は蚊帳の外である。
 そしてそのミーナも、目的であるコネ作りの為に、主人から離れてその交流の輪の中にいた。
 
 要するに……主人はやる事が完全に無くなっており、
 特に目的もなく会場を眺めるだけの時間を過ごしているのであった。
 
 
 
 
 
 
 
(あ。ミーナさんだ)
 参加者の波の中に、ミーナの後ろ姿を見つける。
 彼女は、初老の落ち着いた雰囲気の男性と談笑していた。
 
 今日の彼女は、チャイナドレスを纏って参じていた。
 道中のクルーザー内で、西洋的なドレスではない理由を訪ねたが、
 衣装を二着借りれる程の金銭的余裕は無く、
 昔、アジア系の企業のパーティーで用いた、
 私物のチャイナドレスを用いるしかなかった、との事であった。
 
 
 
 ミーナのチャイナドレスは白を基調としたものであった。
 どこかのプロ球団のユニフォームの如く、片袖だけに黒の生地が用いられており、
 時折スリットの下に姿を覗かせるインナーも黒である。
 胴体には、名称の分からない大きな花の刺繍が、淡い色合いで施されている。
 全体的に艶やかなチャイナドレスで、ミーナには良く似合っていた。
 
 
 
(ふむん)
 改めてミーナを一瞥する。
 
 片手にはカクテルを持ち、会話の合間にそれを口に運んでいる。
 今日は、それなりに飲んでいるようだ。
 主人の視線は無意識のうちに、露わになっているうなじへと寄る。
 
 ある程度の露出が生じる衣装を纏っているからなのか、
 どのような衣装を纏おうと、武内ミーナという女性がそうなのか、
 もしくは……ただ単に、主人公の趣向による感想なのかは分からなかったが……
 それは、実に良いものに見えた。
 
 
 
「綺麗だよなあ、やっぱり」
 ぽつりと呟く。
 食事は肩透かしであったが、来て良かった事もあった、と思う主人であった。
 
 
 
 
 
 
 
 ふと、初老の男性が一礼してミーナから離れた。
 ミーナは男性に礼を返してから振り返る。
 それから、首を左右に振って会場を見渡し、
 片隅に主人の姿を見つけると、小走りで近寄ってきた。
 
 
 
「ヤッホー、主人さん、楽しんでますかー?」
 普段よりも高い声とテンション。
 
 元々、落ち着いた雰囲気を持つ女性ではあるが、
 ときおりその中に天真爛漫な性質を見せる所がある。
 今の彼女は、普段のその明るい部分が強調されていた。
 
 近づいてみれば、彼女の頬は明らかに紅潮している。
 どうやら、今日は大分飲んでいるようである。
 
 
 
 
「まあまあ……ですかね」
 苦笑混じりで言葉を返す。
 艶やかなミーナを見る事ができたのは良いのだが、
 正直な所、それを差し引いてもパーティーには飽きが来ている。
 
 
 
 
「ミーナさんはお仕事の方、どうですか?」
「ん。そっちは終わったですよ。
 名刺は交換しましたし、お仕事の話はまた今度ですので」
「そうですか。それじゃあ……」
「それじゃあ、後は純粋にパーティー楽しみましょう!」
「えっ?」
 そろそろ帰ろうと提案しようとしたが、ミーナに制される。
 
 
 
「あー、いや……」
 口ごもる主人。
「私、デザートまだなんです。
 すごく楽しみにしていたのですよ!
 主人さん、一緒に食べにいきましょ?」
 一方のミーナは少女のように純粋な笑顔を浮かべ、
 主人のタキシードの裾を手に取って、チョイチョイと引っ張る。
 
 
 
 
(か……)
 
 思わず唾を飲み込む主人。
 
(可愛い……)
 
 単純な男である。
 
 
 
 
「そ、そですね。それじゃ、行きますか……」
 思わず顔を背けながらも頷くのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 二人はデザートのテーブルの前で、酔い醒ましのチェイサーとデザートを手にした。
 ミーナが少々ふらついている為、落ち着いて食べようという事で、
 壁際に設けられたチェアーに腰掛け、雑談を交わしながらそれらを口に運ぶ。
 
 
 雑談とはいっても、そうそう共有の話題があるものではない。
 今日の会場の様子等を話した後は、自然と数少ない共有の話題……デンノーズに関する話題へと収束した。
 収束したは良いのだが……
 
 
 
 
「そうそう、チームのみなさんといえば……」
 ミーナが声のトーンを落とす。
 
(ありゃ?)
 ミーナの顔を覗き込むと、表情には陰りが見えていた。
 突然のテンションダウンに首を傾げながら、ミーナの言葉を待つ。
 
「最後の試合の時は、試合に集中していたので意識はしませんでしたが……
 この前、チームの皆さんと打ち上げした時に思ったのですよ。
 うちのチームの女性陣ですが……可愛い子が多いですよね。
 ああー、羨ましいです……」
 
「ふむう」
 反射的に、漣とパカの顔が脳裏に浮かんだ。
 彼女らは掛け値なしで美人だし、他の女性陣もそれぞれに良い所はある。
 確かにミーナの言う通りだ、と思う。
 だが……
 
 
 
 
 
「いやいや、ミ……」
 ミーナさんだって、と言葉を続けようとしたが、口を噤む。
 これではまるで口説いているようではないか。
 
「……いや。まあ、そうでしょうね」
 そう言い直しながら内心では、
(……ミーナさんだって充分可愛いと思うけれどなあ)
 惚ける主人である。
 
 
 
 
 
「それに若い子も多いし」
 ミーナは、両手を胸元で組みながら深く嘆息する。
 嫉妬というよりは、憧れを抱いているようであった。
 
「それもそうでしょうね」
(年齢といえば、ミーナさん幾つなんだろ。外見年齢は充分若いと思うけれど……)
 
 
 
 
 
「いいなあ、みんな。羨ましいなあ……」
 しょんぼりとした様子。
 
(いやいや、そう気を落とさないで)
「普段はしっかりしているけれど、たまにみせる子供っぽい所みせるミーナさん、可愛いよなあ」
 
「えっ?」
 ミーナが顔を上げた。
 
 
 
 
 
 その反応の意味が分からず、主人は首を捻った。
 一秒、
 二秒、
 三秒、
 状況を理解する為の空白の時間が続き、そして……
 
 
 
 
 
「あ、あっ!」
 自らの失態に気がついた主人の表情は、瞬時に狼狽一色へと変わった。
「えっ、うあっ……!」
 だが、ミーナも同じように表情を泳がせていた。
 チェイサーによって多少赤みの消えた頬には、再び赤みが戻る。
 
 
 
「ぬっ、ぬしびとさんっ!
 そ、外、いってみましょう!
 バルコニー、綺麗だと思うですよ!?」
 ミーナはそう言って、慌てて立ち上がる。
 突拍子もない提案。
 明らかに恥ずかしがっている。
 
「そ、そですね! 見てみたいなあ。
 はは、は……」
 それに続くようにして主人も立ち上がる。
 この会話を流せるのであればなんでも良かった。
 
 
 
 うっわー、恥ずかしい二人!
 であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ひとけのないバルコニーに出ると、ささやかな風が、一層蒸し暑い気温を運んできた。
 当然といえば当然だが、中にいるよりも暑い。
 主人は胸元のボタンを一つ外す。
 
 
「聞いた通り綺麗ですね、ここは」
 先を歩くミーナが、バルコニーの手すりを掴みながら呟く。
 背中を見せており、表情は伺えないが、その口調に落ち着きは戻っていた。
 
 
 
 
 主人は一歩後ろに引いて周囲を眺める。
 
 外に生い茂る南国の植物を凝視すると、所々に赤い花が見えた。
 雲一つない夜空では、星々が瞬いている。熱帯のせいという事はないだろうが、どこか滲んで見えた。
 背後から聞こえる明るい声にかき消されているが、耳をすませば僅かに波の音が届く。
 中に居る時よりも一層強く、異国感を感じる。
 
 
 
 
「そうですね。綺麗で良い所です。
 ……この景色や雰囲気を独占していると思うと、なんだか嬉しくなりますね」
 こっくりと頷く。
 
「独占ですか。
 ふふっ、確かにそうですね」
 ミーナが笑い声を漏らす。
 不意に彼女は、踊るようにして身を翻した。
 
 チャイナドレスの艶やかな刺繍が視界に入る。
 彼女の髪が、背後からの照明を反射するようになびく。
 褐色の肌は、夜の空の下で映えて見える。
 
 
 
 そして武内ミーナは、主人に向かって笑みを投げかけてみせた。
 
 
 
 
 
 
(ああ……これは……)
 主人の胸が強く鼓動する。
 
 
 
(ダメだな。ダメだ)
 彼女に分からないくらい、ほんの僅かに首を降る。
 
 パーティーに誘われてから今に至るまで、何度か、彼女の女性としての魅力を目にしてきた。
 彼女からは、それを見せつけよう、主人を攻めようという意図は感じられない。
 つまりは、着飾らない彼女の純粋な魅力。
 その都度、主人のミーナに対する感情は遷移した。
 そして……
 
 
 
(……陥落、だな)
 ほう、と深く息をつく主人であった。
 
 
 
 
 
 
 
「ええっと、ミーナさん」
 照れ隠しに頭をかきながら尋ねる。
「ところで、なんで俺なんですか?」
 
「なんで、と言いますと?」
「バイトの件ですよ。普段の件も含めてですが……」
 前々から聞こうと思っていた件であった。
 一度言葉を止めて、息を吸い込んでから続ける。
 
「仕事仲間で、他に適任者がいるんじゃないんですか?
 仕事仲間じゃなくても、例えば渦木さんとか。
 なのに、なんで俺を……」
 
 
 
 
 
「それは……」
 ミーナの声が小さくなる。
 一度顔を伏せてから、瞳だけを上目遣いにして主人を見る。
 彼女の瞳が僅かに潤んでいる気がしたのは、気のせいだろうか。 
 
 
「……気になるから、かな」
 もう、消えてしまいそうな声。
 
 初めて聞く、敬語とは異なる言葉遣い。
 独り言とも、主人に投げかけたとも取れる口調だった。
 
 
 
 
 
「ん、そか……」
 主人はまた頭をかきながら、ミーナの隣に足を運ぶ。
 
 視線を外の景色に向ける。
 
 ミーナも同じように外を見た。
 
 一秒一秒が、長く感じられる。
 
 主人の口がゆっくりと開かれた。
 
 
 
 
「ミーナさん。
 今回のバイト代、いりません」
 軽い口調。
 視線をミーナに移すと、彼女も同じように顔を向けてきた。
 彼女の瞳に映る自分を見る。
 なんとまあ、間抜けヅラである。
 これが、これから好意を口にしようという男の顔つきとは。
 
 ……そして、主人公は変わらない口調で言葉を続けた。
 
 
「だって『交際しているという設定』でここにきたんでしょう?
 それでバイト代貰ったら、設定だと認める事になりますからね」
 
 
 
 
 
「主人さん……」
 ミーナが澄んだ声で主人の名を口にする。
 小さな声であったが、感情は読み取れなかった。
 
 暫しの間。
 
 それから……
 
 
 
 
 
 
「……はい。そうですね。
 また、別のバイトが必要な時は誘わせて下さい。
 ……その時も無給で」
 
 そう言って、武内ミーナは綺麗に笑った。