読者諸兄。私はここに昂然と高らかに声を大にして宣言する。
 
 私の名前は「うんこマン」である。
 
 先日野球部の練習中、図らずも私のシューズが野良犬の落し物へと接吻した。何と恥ずべき事態であろうか。私はあくまでも平静を装い口笛などを口ずさんで誤魔化そうと試みたわけだ
が、その間隙をついてかあの憎むべき邪智暴虐の亀田光夫という残虐非道ふしだら千万な男の軽率な発言が飛び交った。
 
「うわあ! バッチイでやんす! 最早うんこマンでやんすね!」
 
 その軽口は流言飛語となり野球部をあっという間に侵食していった。何となれば、私の幼友達であり深窓の令嬢とも形容されるべき可憐な乙女である進藤明日香女史からですら「おはよ
う。うんこマン君」と朝一番から爽やかな挨拶をくれる始末である。
 
 この不名誉をどうしてくれよう。
 
 私は己の名誉を取り戻さんと天に誓い、あるべき立場へ返り咲くことを豁然と決意したのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
龍さんとの合作SS
 
なんて愉快!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その為に必要な事を愚考した所、答えは案外に簡単に出てきた。
 同じ事をすれば良いのである。
 
 否、違う。誰が好んで二度も踏むものか。
 
 別の渾名を得ようという事だ。
 さすれば斯様な悪逆無道の渾名を返上する事が可能である。
 とは言え、彼奴……亀田の力を借りるのは私の矜持が許さない。
 
 
 
 そこで、私がその噂の源として選んだ男は、三鷹光一であった。
 野球部内で最も友人を多く得ており、また女子生徒に対しても関わり合いのある彼の影響力は計り知れない。
 彼に、私の事を『キャプテン』と呼んでもらえば、尊敬と羨望を集める私へと戻る事が出来る。
 とある日の昼下がり、教室で椅子に腰掛けて手鏡片手に前髪を弄る三鷹の前で、私はその旨を頼み込んだ。
 
 
「やあ、うんこマン。……なに? キャプテンと呼んで欲しい?」
 
 私の申し出に三鷹は暫し考え込んだ。
 何を熟考しているものだとうと私が訝しんでいると、彼は不意に机に下げた鞄から、複数のコップとサイコロ、それからボールを取り出した。
 
 
「呼んでも構わないが、せっかくだからゲームを楽しもう。
 このゲームは覚えているね?」
 
 無論記憶している。
 コップの一つでサイコロとボールを覆い、彼の質問に答えるというものだ。
 彼は何故この様な物を持ち歩いているのか、という一つの疑問が私の心中に沸々と浮かび上がったが、今は深く考えない事にした。
 
 
「キミが勝てば、キャプテンと呼ぶよ。
 だがもしも負けるような事があれば、負け犬と呼ばせてもらおう」
  
 負け犬。
 即ち、現在の私の渾名であるうんこを作り出し者……その中でも弱者という事である。
 屈辱極まりない渾名ではあるが、怯える事はない。
 負けなければ良いだけである。
 そして、彼のゲームの難易度は大したものではない。
 前回はサイコロを覆っているコップを当てたものだが、所詮は人の手による所作。
 容易にコップを追い、難なく正解したものだ。
 
「じゃあ、行くぞ!」
 
 頷いた私に対し、三鷹がサイコロとボールをコップで覆い、更に複数の空コップを加えて動かし始める。
 右、中、右、右、右、左、右、右、中、中、以下略……。
 追いかける事十数秒。彼の手が止まった。
 サイコロの入っているコップは右、ボールは中である。
 実に容易い。
 
 口の端を上げて視線を三鷹に戻す。
 彼は、私と似た表情で口を開いた。
 
 
 
 
 
 
「コップは何回動いた?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「おはよう。負け犬君」
 翌朝、明日香女史の明朗快活な挨拶を受けた。
 
 
 
 その日は、彼女の挨拶を皮切りに、すれ違う知人皆から負け犬の嵐を受けた。
 屈辱の数時間を終えた私は、砕けそうな心を柔らかく包みながら、
 その日の部活動の締めであるランニングの最中、この窮地を打破する方法を改めて考えた。
 もう一度三鷹に勝負するという手段も残っている。
 然し、また想定外の質問が生じる事もあろう。
 加えて、彼は私を見下しながら「次があれば糞虫だ」と宣告している。
 今度負けようものなら、私の心は再起不能になるまで蹂躙されるかもしれない。
 
『おはよう。糞虫君』
 ふと、明日香女史からそのような挨拶を受ける情景を脳裏に浮かべる。
 何か、変な感情を覚え、癖になりそうで宜しくない。
 やはり三鷹との再戦は危険である。
 であれば、どうしたものであろう……。
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 そうこうしている間に、いつしか陽は落ちていた。
 私以外の者は皆規定の距離を走り終え、次々と部室に戻って着替えてしまった。
 だが、未だ考えの纏まらない私は延々と外周を走り続けていた。
 
 ふと気がつけば、前方の校門付近に野球部の面々が居た。
 どうやら、着替えも終えて帰宅する所のようである。
 全く、悩みのない彼らが実に羨ましい。
 私は苦渋の表情を浮かべながら、彼らの横を通った時に一瞥をくれて走り続けた。
 さて、どうしたものであろう。
 キャプテンと呼ばれるには……キャプテン、キャプテン……
 
 
 
 
 
「キャプテン」
 ……ふむ?
 
 不意の言葉に振り返る。
 そこには、私を熱い眼差しで見つめる野球部の姿があった。
 今、確かにキャプテンと聞こえた。
 しかし、今の私は負け犬の筈である。
 それが、何故……
 
 
 
「キャプテン、練習が終わったのにランニングを止めないのか……」
「熱い男ッス! キャプテン!」
「僕らの尊敬に値するよ、キャプテン」
 
 彼らが次々と、眼差しに負けず劣らずの熱い言葉を投げかけてくれる。
 これは……彼らが私を見直してくれたという事か。
 私に対して尊敬の念を抱き直し、もう一度キャプテンと呼んでくれるというのか。
 素晴らしい。
 この響きだ。
 この視線だ。
 私はこの言葉を待っていたのだ。
 嗚呼、なんて愉快!
 
 
 その尊敬に応えようではないか。
 熱い抱擁を施したものだろうか。
 否、学生らしく皆で明日の夕陽へ向かって走るのも良い。
 いずれにしても、感動的である。
 
 
 
 私は皆の元へと一歩近寄った。
 さあ、皆……
 
 
 
 
 
 
 
 ぐちょっ。
 
 
 
 
 
 
 
 嗚呼。