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「秋穂君、明日の試合、スタメンで行くよ」
練習後のグラウンドで、影を背負いながらトンボをかける背中に、ふと声が掛かった。
秋穂不作は、自分の耳を疑いながら声の方へと振り返った。
そこには、真剣な眼差しで秋穂を見つめる、主人公が立っていた。
GOINGさんとの合作SS
8番レフト
〜ある呪い青年、ひと夏の思い出〜
主人たちが甲子園を目指す最後の夏、日の出高校は破竹の勢いで勝利を重ねていた。
初戦の鎮台高校を8回コールドで下したのを皮切りに4試合連続二桁得点。
エース大神も2試合でノーヒットノーランを達成するなど、2年前までの弱小ぶりが嘘のように駒を進めていた。
そして、翌日に前年度甲子園出場の大安高校との決勝戦を控えていた。
その連戦連勝の中で、秋穂自身はここまで一試合も出場していない。
ベンチの隅で、チームメイトの勝利を見守っていた。
理由は自分でもわかっていた。特筆すべき能力がないからである。
自分以外の控えメンバーは何かしら強みを持っていた。
例えば上田卓未であれば、強肩を活かして大事な場面での守備固めを任せられる。
例えば村田克哉であれば、優れたバットコントロールでランナーを進めることができる。
例えば石田昭三であれば、ブルペンキャッチャー、第二捕手。かなり貴重な存在である。
しかし、そんな彼らを差し置いての、自分のスタメン入り。
野球部員だけでない、部に関わった全ての人にとって大切な一戦での自分の起用。
心底疑問に思った秋穂は、思わず口を開いた。
「……キャ、キャプテン、ど、どうして僕が」
自分でも情けないほどに動揺した口調だった。
しかし、主人はそんな秋穂の気持ちを包み込むように優しく言った。
「生まれ変わった君を、皆が信頼してるからだよ」
加えて、主人が言うには、こういう理由もあった。
明日の先発であろう真賀津を打ち崩すのは容易ではないということ。
幸いにも大安高校は、2番手以降の投手の力がそれほど無いこと。
そこで真賀津に対し待球作戦で球数を放らせ、スタミナを消耗させた所を叩き、
あわよくば2番手以降にスイッチさせたいということ。
――そして、その待球作戦に、秋穂の力が必要だということ。
そこまで説明を受けた上でも、自分の抜擢は容易に納得できるものではなかった。
正直、最近になってようやく練習をフルメニューでこなせるようになったレベルだ。
春の合宿――という名の学校に泊まり込んでの強化練習でも、体力がついていかず練習を途中で抜けた。
治療に当たってくれたマネージャーの神木には「ぶきみ君、凄く頑張ってるよね」と慰めを受け、
そんな言葉を掛けられる自分自身の情けなさに涙したこともあった。
が、反論することもできず、秋穂は頭を縦に振ることしかできなかった。
………
……
…
試合は、決勝戦にふさわしい投手戦の様相を見せた。
大神も真賀津も、出塁は頻繁に許してしまうも、互いに制球力だけは衰えず、要所要所を占めるピッチングをみせた。
結果、五回裏に突入してもスコアボードはタコヤキ状態となっている。
両チームとも、幾つかのコールド勝ちこそ収めてきたが、疲労は間違いなく蓄積していた。
それでも、二人共崩れる事がなかったのは、それだけ一球一球を集中して投じていたからであり、
その集中力の源は……ただ一つであった。
「クソッ、しぶとい奴らや……
特にこいつの顔を見ているとイライラしてかなわん。
お前ら、甲子園はよ諦めや……!」
マウンドで、真賀津は忌々しげにバッターボックスに立っている秋穂を睨みつけ、セットポジションで構えた。
この打席で、彼には既に八球を投じているが、ファールで粘られている。
状況は二死二塁。
一打が先制点に繋がる重要な打席である。
日の出ベンチと応援席からは、それを期待する大声援が飛ばされていた。
が……
(確かにしぶとい。
……が、それだけやっ!)
ッシーンッ!
「あ……!」
内角高めいっぱいのストレート。
真賀津の勝負球に、秋穂はバットを振る事もできず、三振に倒れた。
これで三打席連続三振。
いずれも走者がいる状態での三振であった。
「……やっぱり、僕は……」
力ない小走りでベンチに戻る秋穂。
その背後で、ピンチを凌いで湧き上がりながらベンチに戻る大安ナインとは対照的な姿であった。
………
……
…
「代えて欲しい?」
五回終了後のグラウンド整備間に、ベンチに戻った秋穂が出した提案に、主人は僅かに眉を潜めた。
それから、彼は首を横に振って拒否の意思を示してみせる。
「で、でも、僕じゃ足を引っ張……」
「いや、そんな事はない」
秋穂の言葉を遮る主人。
「野球はチームスポーツなんだ。
秋穂君は三振こそしても、確実に真賀津の体力を削っている。
この調子で彼の体力が尽きるのを待ってから、彼を叩けば良いんだから」
「そ、そうだとしても、もう三回も三振してるんだよ!
体力を削りきる前に点を取られたら、ぼ、僕のせいで……」
「先輩」
不意に、少し離れていた所でそのやり取りを耳にしていた大神が立ち上がりながら割って入った。
その動きはどこか鈍く、疲労困憊である事に疑いようはない。
それでも、彼の瞳だけは気力で満ち溢れていた。
「その時は、先輩だけの責任じゃない。
点を取られた俺も、主軸なのに点を取れない主人先輩達の責任でもあるんですよ。
……まあ、俺が点を取られる事はありませんから、
引き分け再試合の反省会でつるし上げられる心配なら、する必要があるかもしれませんね」
にぃ、と口の端を上げて、不敵な笑みを浮かべる大神。
主人は苦笑しながら、そんな大神の帽子のツバを叩いて、彼の軽口に突っ込みを入れる。
それから、再び秋穂に向き直ると肩を竦めてみせた。
「まあ……そういう事だね。
チームスポーツって言葉には、そういう意味も含まれている」
「チーム……スポーツ……」
主人の言葉を繰り返す。
「おう。だから、お前が三振しようと誰も責めねえ。
なんせ、チームの一員なんだからな」
今度は島岡が秋穂に声をかけてきた。
「お前、二年前に比べると変わったよ。だからチームの一員なんだ。
どう見ても運動部には見えない貧弱な体つきで、部活もサボっていたあの頃とは違う。
仮にも地方大会決勝にコマを進めるチームの練習にもついてきてんだぞ。
もっと自信を持ってプレーしてりゃいいんだよ」
「し、島岡君……」
普段何かと辛辣な彼から、こんな言葉を聞いたのは初めてだった。
「先輩は自信ばかりが先行していますけれどね。
いい加減、点を取ってきて下さいよ」
「なんだと大神、この野郎!」
二人が相変わらずのやり取りを始める。
最も、本気でいがみ合っているものではない。
皆その光景を眺めながら苦笑するだけで止めに入ろうとはしなかった。
(変わった……
本当に僕は、変わったの……?)
秋穂は、そんな賑やかな光景を背後に、グラウンドを眺めながら島岡の言葉を反芻していた。
………
……
…
ゼロ行進はなおも続いたままで、ついに九回に突入した。
だが、ここへ来て両軍に僅かな違いが見られはじめた。
まだわずかに余力を残している真賀津に対し、大神には正真正銘の限界が来たのである。
一応は二番手がおり、これまでの試合で多少は真賀津を休ませてきた大安に対し、
日の出は投手が実質大神一人で、全試合を完投してきている。
その疲労の差が見えはじめ、単打と2四球で崩れだした大神は、無視満塁と追い込まれていた。
だが、それでも大神は最後の気力を振り絞った。
その上、打者は主砲赤坂という絶体絶命の危機をホームゲッツーで切り抜けると、
続く打者を三振に抑えて、最大の危機を切り抜けることに成功した。
「はあっ……はあ……はぁ……」
ベンチに戻った大神は、体を投げ出すようにしてベンチに腰を下ろす。
そんな彼の世話を続けてきた神木がスポーツドリンクを手渡そうとするが、
それを手にするのも億劫になる程、大神は疲労していた。
「キャプテン。これ以上は……」
神木が、訴えかけるように主人に告げる。
必死に息を整えている大神を一瞥すれば、その言葉に偽りがない事は感じ取れた。
この回もゼロで終われば、それでも大神はマウンドに上がろうとするだろう。
だが、こうも疲労すればその結果は既に見えている。
ならば……
「大神」
主人は大神に歩み寄って、一つ、二つ言葉をかけた。
大神はその言葉に顔を横に振り続けたが、そこに島岡が割って入った。
三人は暫し話し込み……そして、大神はグラウンドを一瞥し、僅かに首を縦に振った。
その瞬間、真上から割れんばかりの声援が上がった。
二死で打席に立った七番の山田が、ライト線上に落ちるツーベースを放ったのである。
(ち、ち、チャンス……チャンスだ……!)
ネクストバッターズサークルに腰掛けていた秋穂が立ち上がる。
だが、打席には向かわずにベンチの様子を伺う。
案の定、村田がバットを手に小走りで駆けてきた。
セオリーで言えば、ここは代打である。
村田か、ピッチングに専念する為9番に入った大神が決めてくれるだろう。
「いけっ、秋穂!」
意外な一言。
大声援を切り裂くような、主人のその言葉が皮切りであった。
「いけっ、秋穂!」
「秋穂、一発かましてこい!」
「いい球来たら思いっきりいってくださいよ!」
「キキ! キーーッ!」
「秋穂君、頑張れ〜っ!」
ベンチからナインの歓声が響く。
「え? ええ? 代打、じゃ……」
想定外の声援に狼狽える。
事実、村田はそのままネクストに立つ秋穂の傍までやってきた。
だが……
「いや、俺はネクストに来たんだよ。大神の代打だ。
大神はもう打席にさえ立てる状態じゃない。
ここで勝負をかけてダメなら、延長は控え投手で当たって砕けろ、って事らしい」
村田が早口で状況を説明する。
「勝負……僕、で……?」
「おう。決め球は捨てて失投に絞って思いっきり振ってこいだとよ。
繋げば俺が決めてやるけれど、お前にヒーロー譲ってやってもいいぜ」
大舞台の緊張の一瞬に似合わぬ破顔を見せながら、村田は、彼の背中を強く叩いてみせた。
その勢いに押されてネクストから足を踏み外した秋穂を、審判が急かす。
ベンチの声援に背中を押されるように打席に立つ。
その頃には、ベンチの声援は応援席にも伝播していた。
秋穂の名を呼ぶ大声援は、うねり、とぐろを巻きながら、球場を席巻した。
を痺れるような高揚が、全身を駆け巡る。
(僕は……僕は………)
不意に、これまでの二年間が脳裏をよぎった。
これまで自身のアイデンティティーといえば、呪うという事しかなかった。
運動や努力とは無縁の人生を送ってきた。自分には縁のないものと思っていたからだ。
でも、そんな自分に歩調を合わせてくれる男がいた。
自分では、自分が変わったとは思えない。
でも……
足場を固めてバットを構え、ゆっくりと真賀津に対峙する。
マウンドから自分を睨みつけてくる彼。
高校生離れした球威と変化球だけではなく、正直な所、彼自身が怖い。
この局面では、それに加えて敗退という恐怖も加わっている。
ふと、野球で生活できるのはこういう場面で心技体において強さを発揮できる、
今マウンドに立っているような人間なのだろう、と思う。
本来であれば、自分が太刀打ちできるような相手ではないのだ。
『生まれ変わった君を、皆が信頼してるからだよ』
主人の言葉が脳裏をよぎる。
不思議と、その言葉が恐怖心を上書きしてくれる。
何かが変わったのであれば、それは……
秋穂は、グリップを強く握った。
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