イルが、隠れ家のある森へ帰ってくる事ができたのは、もう陽は完全に落ちた頃合であった。
 その足取りには力がなく、ローブは砂埃を浴びて大いに汚れている。
 
 
「……はあ〜あ」
 大きく溜息をつく。
 それは、微かに聞こえてくる虫の鳴き声を上書きして、彼女に周辺に浸透するように広がる。
 単なる疲労からきたものではない、何か思う所のある溜息であった。
 
 
 
「もうちょっと、上手く言えば良かったやろか……」
「何の事や?」
 独り言に返答が返ってきた。
 イルは突然の返答にも大して驚いた様子を見せず、力なく顔を上げる。
 声の聞こえてきた方を見やると、木の陰から兄のプレイグが姿を現した。
 
 
 
「いや、こっちの事や」
 力なく首を左右に振る。
 何か含む所がある事はプレイグにも感じられたが、彼は特に追求せず、それよりも自分が聞きたい事を問い尋ねた。
「そうか。で、首尾はどんなもんや?」
「首尾?」
「おう。奴らに取り入って、野球人形始末してきたんやろ?」
「ああ……」
 イルは唸るような声を漏らしてから頷く。
 
 
「失敗した」
「失敗!? おかしいな。ワシが立てた作戦に失敗があるはずが……」
「はいはい」
 失敗だらけやんけ、と突っ込む気力も沸かないイルであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ずのふさんとの合作SS
 
悪党のセオリー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ところで兄ちゃん、相談があるんやけど」
「ん? どうした?」
「あんな。この仕事、もう止めへんか?
 えっと……あいつら、結構手ごわいし……」
 言葉を選んでそう提案する。
 
 その言葉を受けたプレイグは、顎に手を当てながら妹の全身を眺める。
 砂埃こそ被っているが、コテンパンに敗れた姿ではない。
 
「嘘つくなや。お前、あいつらとはロクに戦っとらんやろ。
 ……ははーん、分かったで」
「な、なにが?」
 たじろぐイル。
「お前、あの勇者様に情が移っ……へぶっ!!」
 全て言い切らないうちに、イルの拳がプレイグの腹を捉えた。
 見事なボディブローである。
 
 
「アホっ! そんなわけあるか!!
 兄ちゃんでも言うて良い事と悪い事があるで!」
 そのまま、もう一発繰り出さんばかりの勢いで突っかかる。
「な、何をそない怒っとるんや……
 わ、分かった。分かったがな。全く……」
 彼女に気圧されたプレイグは、片手を前に突き出してなだめながら、もう片手で腹を抑える。
 
 
「まったくもう……」
 そう。まったくもう、である。
 兄ではなく、自分自身がだ。
 
 
 
(まったく……なんであんな奴の事、気になってしまうんやろ。
 これじゃ、仕事にならんやんけ……)
 顔を伏せながら、両手で自分の胸元を抑える。
 胸は、今日一日中ずっと高鳴っていた。
 両手を当ててもその鼓動は収まるものではないが、少し楽になれた気がした。
 
 
 
 
 
「ああ、それともあれか?」
 プレイグがまた口を開いた。
「一回仕損じて逃げてきたのに、また襲うってのは気が引けるか?」
「はあっ?」
 イルがドスの聞いた声を出す。
 
 
「それこそアホやんけ! そんなわけあるか!」
 胸元に当てていた手を組むと、呆れたと言わんばかりに兄に背を向ける。
「ウチらには手段もルールもない。それが悪党や。うちらのセオリーや」
「ふむ……」
 プレイグも同じように腕を組んで頷く。
 
 
 
「そうやな。これこそ失言や。
 仕事の為、金の為。汚く悪く、やれる事はやらんとな」
「そうや、そうや」
 相槌を打つイル。
 

 
 
 
(そうや……正義なんてクソよりも、その悪党のセオリーに惹かれたから、ウチらは悪党やっとるんや。
 そやから、ウチがアイツの仲間に……正義になる事はない。絶対に無い)
 一瞬、脳裏を古い記憶がよぎった。
 だが、それはすぐに押し殺し、今現在の標的である男の顔を思い浮かべる。
 思い浮かんだ標的は、実に良い笑顔をしていた。
 また、イルの胸が鼓動する。
 
(だから、逆にあいつの方がウチらの仲間になってくれれば良かったのに……)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「お、監視目玉からの通信やで」
 背中越しにプレイグがそう告げた。
 振り返ると、兄は懐から水晶玉を取り出していた。
 勇者一行を監視している目玉からの視覚情報は、その水晶玉に映し出される作りとなっている。
 
「お〜、入浴中や」
「ふ、ふえっ!?」
 イルが思わず裏返った声を漏らす。
 びくんと背筋を伸ばし、反射的に水晶玉から顔を逸らしてしまう。
 
 
「ににに、兄ちゃん!! アイツの体なんか見て、一体……」
「あん? ああ、変な意味はあらへんあらへん。
 もしかしたら衣服の下に怪我とかしとるかもしれんやろ。
 次の戦いでそこを狙うんや」
 挑戦的な顔つきで、片手でぐっと握り拳を作るプレイグ。
 
 
「そ、そそ、そうやな……弱点……弱点探しか……
 やましい事とか、なんもあらへん……あらへんねん……」
 イルが高速で頷く。
 自分に言い聞かせるような口調であった。
 僅かに顔を傾けて視界の隅に水晶玉を入れるが、まだ良く見えない。
 
 
 
「おー、意外と良い体してるんやな」
「そ、そうなん……?」
 ゆっくりと顔を傾ける。
 水晶玉には、確かに全裸の男が映っているようであるが、まだ遠目だ。
「おう、お前もしっかり見とけや」
「ま、任せとき。仕方ないなあ。うん、うん……」
 渡りに船の一言だ。
 イルは生唾を飲み込むと、完全に視界の中央に水晶を迎えた。
 そして、顔を水晶に近づける……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ドアホ〜! これ、メガネ男やんけ〜っ!!」
 
「へぶうっ!?」

 
 イルのボディブローは、再び兄の腹を貫いた。