「で? 何で夜中にこんなところに来てるんだ?」
「クックックッ……決まってるじゃないでヤンスか」
 修学旅行二日目、夜中にいきなり連れ出された小波は訝しげな目で荷田を見つめる。
 周囲は雪が降り積もっており、寒い。そんなところに暖かい部屋から連れ出されたら誰だって不機嫌になるだろう。
 が、そんな彼の視線を気にすることもなく。
 興奮したような口調で荷田は言葉を続けた。
「昨夜の内に調べておいたのでヤンス。このポイントを」
「いや、だから何なんだよ」
「修学旅行の一大イベント……」
「……枕投げ?」
 首をかしげて言葉を挟んだ小波にガクッと一瞬荷田が転びかける。
 しかし、すぐに体勢を立て直すと。
「何を言ってるのでヤンスか! 覗きでヤンス、の! ぞ! き!」
 ぶんぶんと腕を振り回しつつ叫ぶ。
 確かに、二人が今いる場所からは宿の露天風呂が見えている。
 だが……
「いや、時間を考えろよ。もう入浴時間終わってるだろが」
 小波の指摘どおり、もうとっくに入浴時間は終了済み。
 時間も遅いため、いまさら入りにくるものもいないだろう。
「いや、あきらめるにはまだ早いでヤンス。まだ誰かはいりに来るかもしれないでヤンス」
「……そろそろ就寝時間だぞ。出歩くやつ自体いないんじゃ」
「かー! 夢がないでヤンス! 偉い人も言ってたでヤンス! 少年よ、大志を抱けと! 小波君には大志がないのでヤンスか!」
「その人の言う大志って間違っても覗きは含まれないんじゃ……」
「そんなことはないでヤンス! 大志とは大いなる志という意味の言葉でヤンス! ならば夢とロマンがふんだんに詰まった女風呂覗きも大いなる志と……」
「いえねーよ」
「なにをぉう! 小波君、君は今若き男子学生たちの希望を否定したのでヤンスよ!」
「希望じゃなくて欲望だろうが」
「むきー! そんなことないのでヤンスー!」
 ヒートアップする荷田とどんどん眉間にしわがよる小波。
 そのまま二人の言い合いは朝まで続くと思われた……が。
「まったく、間抜けなやつらだな」
「へ?」
「お?」
 そんな言葉と共に、一人の少女が近くの植え込みを掻き分けつつ現れる。
 その姿を見て。
「げえっ! 会長!」
「お、紫杏」
 荷田は引きつったような声を上げ、小波はどこか嬉しそうに彼女の名を呼ぶ。
 そんな二人を見て、少女……神条紫杏は腰に手を当ててやれやれ、とでも言いたそうな格好をする。
「覗きに来て言い合いをし始めるとはな。いいか、野球部は甲子園出場も決まったんだしそういった軽薄な行動は謹んで……」
 そう言ってなにやら彼女が説教をし始めようとしたその時。
「逃げるが勝ちでヤンスー!」
「へ!? 荷田君?」
 荷田がいきなりその場から走り出す。
「あ、おいまたんか!」
 それをあわてて紫杏が追いかけようと走り出し。
 
 ズルリ
 
「キャッ!」
 足を滑らせ、その場で尻餅をつく。
「紫杏!? 大丈夫か!」
 あわてて駆け寄る小波。
「つっ……くそ、木陰で雪が凍っていたのか……私としたことが」
 そう言いつつ、紫杏が立ち上がろうとすると。
「くうっ」
 ズキリ、と足首に痛みが走る。
 思わずうめき声を上げる紫杏。
「紫杏、足をひねったのか?」
「そうみたいだな……」
「ちょっと見せてみろ」
「え、あ、ちょっと!」
 紫杏の抗議も気にせず、小波は彼女の足を手に取り、靴と靴下を脱がせる。
「とりあえず腫れたりはしてないみたいだな」
「……そうだな」
「とりあえず応急処置だけでもしておくか」
「……できるのか?」
「おう、うちの練習きついんで結構捻ったりするやつも多いし、自然と。テーピングするくらいだけどな」
「……そうか」
 言葉少なな紫杏のことなど気にした風もなく、小波は懐から取り出したテープを手際よく巻いてゆく。
 むろん、彼女の顔が真っ赤になっていることにも気がつかない。
 すぐにテープは巻き終わった。
「よし、これでどうだ」
「……ん、まだ痛むが大丈夫そうだ」
 そう答える紫杏の顔をまじまじと見つめる小波。
「何だ、その顔は」
「紫杏、顔赤いぞ」
「!! そ、それは……」
「風邪でもひいてるのか?」
「いや、そういうわけではない、が」
 しどろもどろになる彼女を見て小波は首をかしげ。
「よし」
 そう言って頷くと紫杏を抱え上げた。
「足首もまだ痛むだろうし、早く帰ってあったまらないとな、俺が運んでやるよ」
「お、おいまたんか!」
 世間様ではお姫様抱っこと呼ばれる抱え方で。
「遠慮するなって。下手に歩いて悪化させてもまずいだろ?」
「いや、そうかもだろうがそうではなくて!」
「いいって、俺らのせいで怪我したようなもんだし。顔が赤いのは熱があるせいかもしれないぞ? 早く部屋に帰って寝たほうが良いって」
「顔が赤いのは寒いのもあるがきみ……ええと、そうじゃなくて余計な負担を君にかけるのはよくないし足場も不安定なんだ。人一人抱えて歩くのは大変だろう? また転ぶとも……」
「大丈夫大丈夫。普段はもっと重いもの抱えて練習してるし今スパイク履いてるから雪の上でも滑らず歩けるし」
「いや、何で修学旅行にスパイクなんて履いてきてるんだ……じゃなくて! ええとだな、目撃でもされようもんならこう、自治会長としての威厳がだな? 後重いとか言うな!」
「へーきへーき。俺にとっては重くないし夜も遅いから外を覗いてる奴なんて居ないって」
「見られる見られないの問題じゃない……私がはずかし」
「お、そうか」
 ふと、思いついたように小波が声を上げる。
「ん?」
 その声に紫杏が不思議そうに眉をしかめた時。
 グイ、と彼女の体が持ち上げられる。
「こんな抱え方じゃ下着が見えちゃうかもしれないしな」
 確かに。
 彼女の着ている制服はあまりスカートの丈が長いほうではなく、この抱え方では足のほうから見るとその中が見えてしまうかもしれない。
 だが、だからといって足のほうを低く、体のほうを高くしてしまうと……。
(ば、ばかものっ。そんなことしたら……)
 必然的に、二人の顔は近づく。
(こ、小波の顔がすぐ近くに……)
 体をこわばらせる紫杏。しかし小波はそんな彼女の様子にも気が付いた様子もなく。 
「よし、これでいい」
 そのまま歩き出す。
(良いわけあるかこのばかものぉぉぉ!)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F・Sさんとの合作SS
 
雪の夜、自治会長と野球馬鹿

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 小波はそのまま、紫杏を担いだ状態で雪中を歩いた。
 露天風呂から宿泊施設までは、直線距離なら百メートルにも満たず、普通に歩けばすぐに帰り着ける距離である。
 しかしながら、問題は荷田の歩いたルートであった。
 人目につかないよう、敷地外の林を入念に遠回りしており、小波が歩く距離は数百メートルに伸びている。
 加えて、紫杏を抱えている事と、雪に隠れた木の根に足を取られる心配もある。
 結果として、小波の歩調はとても緩いものとなっていた。
 
 
 
「な、なあ……」
 どれだけそうして林の中を歩いただろうか。
 紫杏が視線を背けながら、彼に声をかける。
「ん? どうかした?」
「もう降ろしてくれて構わないぞ。お前も腕が疲れてるだろう?」
「腕?」
 小波は僅かに首をかしげる。
「いや、これ位なんともないよ。いざ担いでみたら、紫杏軽いしな」
「あ、う、むう?」
 軽い、の一言に蝋梅の色を見せる。
 だが、すぐに顔を左右に振って反論する。
 
「か、仮に軽いとしてもだな。こうも長く歩いていては……」
「大丈夫大丈夫。さっきも言ったろ? 野球で鍛えてるしな!」
 その言葉と共に、歯を見せての満面の笑顔で返される。
 
 
(野球、どれだけ万能なのだ……)
 そんな突っ込みを心中に収める。
 それから、しかし、と紫杏は思う。
 
 
(……しかしこいつ、野球の事しか頭に無いのだろうか?)
 
 
 考えてみれば、彼は日頃から野球に全てを注いで生活している。
 授業中は休憩時間だと言わんばかりに、殆どの授業を寝て過ごしているし、普段つるんでいるのは野球部の面々だ。
 今日だってそうだ。
 スパイクを履いてくる様な非常識な行動もそうだし、
 無造作な行為にこちらが狼狽していても、その様な羞恥等どこ吹く風で、野球で鍛えているからと返してくる。
 
 
 
 
 
(確かに学園内での立場を考えれば、全てを野球に捧げるのは正しい。
 ……が、こいつは本当にそれしかないのだ。
 例えば、女子生徒とか気になったりしないのだろうか?
 私の事は、どういう風に……)
 
 そこまで考えた所で、慌てて首を左右に振る。
 
(い、いや! 私の事はどうでも良いのだ!
 これは単なる好奇心なだけで……)
 
 
 
 そう自分に言い訳をして、呼吸を整える。
 頭上の彼を一瞥すれば、数メートル先の地面に問題がないか、目を凝らしているようだった。
 担いでいる自身の様子は全く気にしていない。
 そんな彼を視界の端に入れながら、紫杏は再び口を開く。
 
 
 
 
 
「あー、ごほん。
 ……さっきから何かにつけて野球に結びつけているようだが、野球以外の事も考えた方が良くはないか?」
「んあ?」
 突然の紫杏の言葉に、小波は間の抜けた返事をして紫杏に視線を移す。
 
「野球で身を立てようとしているのは分かっている。
 だが、そうも全てを野球に捧げていては、つまらん大人になるぞ」
 くどくどとそう告げる。
 頭上の小波はその言葉に、暫し考え込むような様子を見せるが、すぐに笑顔で言葉を返した。
 
「紫杏もそうじゃないか」
「うむ?」
 予想外の返し。
「ほら、生徒会活動だよ。紫杏だって全てを自治会長としての活動に捧げているじゃないか。
 修学旅行でも見回りなんて、そうそう出来ることじゃないぞ」
「あ……」
 言葉を失う。
 
 彼の言う通りであった。
 自分も、周囲の生徒からどれだけ嫌われようと、どんな批評を受けようと、学園の自治に全てを注いでいる。
 それは、それなりの理由があっての事であるが、この際理由は関係なかった。
 理由はどうであれ、彼は『自分を生徒会に全てを捧げている』と判断したのである。
 それを自分の価値観に当てはまれば、つまりは……
 
 
 
「……ああ、そうだな。私もつまらない大人になりそうだ」
 顔を伏せ、ぽそりと呟く。
 彼の言葉で客観視した自分の将来は、この上なくつまらないものだった。
 ふと、雪に囲まれた夜風が頬を撫でる。
 寒かった。
 単なる気温以上の寒い何かに撫でられた気がした。
 
 
 
 だが……
 
 
「あーあー、そうじゃないそうじゃない」
 小波は締りのない笑顔を浮かべてそう告げた。
 
「俺が言いたいのは、紫杏も一つの事に打ち込んでいるな、って所まで。
 つまらない人間だとは思っていないぞ」
「え……」
 紫杏の心臓が、一つ強く鼓動する。
 彼の口元を見ると、寒さで吐息が蒸気していた。
 そこから漏れる朗らかな声。
 彼はこんな声をしていたのだろうか?
 
 
 
「それだけ一つの事に打ち込めるって、尊敬するよ。
 時には窮屈に感じる事もあるけれど、学校の為にやってくれてるんだろ?
 俺バカだから、どう学校の為になっているのかまでは分からないけれど、
 紫杏が学校の事を考えてくれている事は分かる。
 だから、尊敬もするし、感謝もしているぞ。
 いつもありがとうな、紫杏」
 
「ふえっ!??」
 思わず裏返った声が出た。
 寒さと担がれる気恥かしさに、これまでも十分に赤くなっていた顔が、今度は耳まで真っ赤になる。
 これまで、そんな捉え方をされた事はなかった。
 胸の鼓動が急激に早まる。
 
 
 頭上には、相変わらず締りのない笑顔。
 それでも、どこか見る者を落ち着かせる笑顔。
 見ていると、何かが溶けてゆく気がする。
 
 
(………)
 急に黙り込む紫杏。
 ちらと行き先を眺めれば、遠くに施設の明かりが見えてきた。
 もう、こうしていられる時間はそう長くない。
 どうしたものだろうか。
 言ったものか。
 そもそも、自分は彼の事をどう思っているのだろうか。
 
 
 
 暫しの葛藤。
 そして…… 
 
 
 
 
「あたし……」
 紫杏は、ゆっくりと口を開いた。