ボフッ!!!!!!
 
「あちゃあ〜。またやっちゃいました。」
 
 中身の入った鍋が暴発する音がキッチンに響く。二時間前に料理を始めてから、これで三回目。
 おねえちゃんは、申し訳なさそうな口調でしゃべっていますが、表情は至って脳天気な笑顔です。
 キッチンには、料理とは到底呼べないような得体の知れない塊や食材のかけらが散乱しています。
 
「あのさ、おねえちゃん……。本当に覚える気、ある?」
 
 本人の様子を見る限り、真剣にやっているのか疑問だったので、ちょっと冷たく問いかけてみた。
 
「やってますよ。溢れんばかりの情熱と共に!!」
 
 まったく変わらない表情、いや、さらに元気な笑顔で堂々と答えられました。
 一応、本人なりに努力はしているようなので、まずは安心です。
 
 私のおねえちゃんは、料理が上手くありません。
 洗濯やお掃除の知識や腕に関しては、一般的な生活をする上で特に問題は無いのですが
 料理だけは苦手で、外食や店屋物を取るなど自炊をする事がほとんどありませんでした。
 
 ヒドい時は、おねえちゃんが彼氏のパワポケさんが住む
 選手寮に押し掛けて食事をしたなんて事も……。
 
 一度だけ、チョコレートを作ろうと努力はしたみたいですが、それ以降料理というものを
 調理実習以外でやった経験が無いまま、もうすぐパワポケさんとの結婚を迎える事になっています。
 
 パワポケさんもプロスポーツ選手であり、体調管理をする上で栄養管理が非常に大切だという事を
 この前二人に話してはみたのですが……。
 
「おいしい物をいっぱい食べて、いっぱい運動して、いっぱい寝ればいいんじゃないのか?」
 
「そうそう。寝る子は育つって言うじゃないですか。」
 
 残念ながら二人とも『頭を使う』という事が非常に苦手なので、難しい話は全く理解して貰えませんでした。
 ですが、説得を続けていくうちに『美味しい物を作れなければ、パワポケくんと結婚が出来ない!』と
 何をどう解釈したのか、そういう考えに至って、おねえちゃんなりに栄養管理の大切さは感じてくれたようです。
 
 
 それで、私が料理を教えているのですが……。
 本当に、まともな料理が作れるようになってくれるのでしょうか?
 まだ教え始めて二時間ですが、凄く心配です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
monjyaさんとの合作SS
 
愛の料理修行

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そうだ。いきなりビーフストロガノフなんて選択が間違っていたのですよ! うん!」
 中身がこびり付いている鍋をジト目で睨みながらお姉ちゃんが頷きます。
 
「そんな事今更言われても……それを作りたがったのはおねえちゃんだよね?」
「うん」
「なんでいきなりそんな料理を?」
「いや〜、名前はよく聞くけど、どんな料理なのか良く分からなかったから、一度見てみたくて」
 
 本来のビーフストロガノフの外見は、ビーフシチューに牛乳を混ぜたようなものですが、
 眼前の鍋の中では、マグマのような赤赤とした半液体がポコポコと泡を立てて沸騰しています。
 手順は逐一私が見ていたのですが、何故こんなものが出来上がるのか分かりません……。
 
 
 
 
「……パワポケさんの好物か何かだと思っていたけれど、そんな理由で……」
 がっくりと肩を落としました。
 
「おねえちゃん、まずは身の丈にあった料理から始めよう。
 卵焼きとかやってみない?」
「ええ〜、卵焼き〜?」
 見事に渋られています。
 ビーフストロガノフから卵焼きでは大分落ちるようなので気持ちは分からなくもありませんが、
 そもそも、なにをどう頑張っても、このビーフストロガノフ『らしきもの』がビーフストロガノフに進化する事はなさそうので、
 そう落胆するものでもないはずです。
 
「まあまあ、そう嫌がらずにちょっと考えてみて。
 例えば朝、パワポケさんが起きてくる前に食卓に朝食を並べておくとして……」
「うんうん」
「その中に卵焼きがあって、パワポケさんがそれと卵焼きを口に運ぶ……」
「うんうんうん」
「で……にっこり笑って『美味しい』って言ってくれる光景」
「……愛の奇跡ですねえ……」
 にへら、と締りのない笑みを浮かべられました。
 
 
 
「よし、卵焼き作ります!
 バッチリサポートして下さいね!」
「はいはい」
 私は苦笑しつつ、冷蔵庫から卵を取り出します。
 気が変わってくれたのならそれで良しとしましょう。
 そんなわけで、料理を卵焼きに変更した……は良いのですが……
 
 
 
 
 
 
「ここで生地をくるっと……あっ」
「くるっと、じゃなくベチャッと、だね」
 
「むう、卵がフライパンにこびりつきました」
「おねえちゃん、油敷いた……?」
 
「ええと、これを入れれば良いのでしたよね?」
「あーっ、おねえちゃん、それ洗剤!」
 
「そもそも卵とは、卵が先なのでしょうか、それとも鶏が」
「おねえちゃん、今はそういう事いいから……」
 
 
 
 
 
 
 ……あまり、料理を変更した意味は感じられませんでした。
 
「……はぁ」
 
 十数皿目の失敗作を冷蔵庫に入れたおねえちゃんが、大きく嘆息。
 卵が切れるたびに近所のコンビニへの買い出しを繰り返していた事もあって、
 気がつけば時刻は午後十二時を過ぎ……すなわち翌日となっていました。
 
 
 
「ねえ、やっぱり外食で済ますってのはダメでしょうか?」
「ダメ。言ったでしょう?
 食費も嵩むし、健康面でも良くないから……
 ほら、もう一回!」
「ううー」
 顔を伏せて唸り声を漏らした後、おねえちゃんはふとその顔を上げました。
 それから、私の顔を直視。
 
「……ところで、なんでそこまでして料理を手伝ってくれるの?」
「なんでって……」
 そんなの決まっています。
 決まっていますけれど……
 面と向かって言うとなると、気恥ずかしいものですよ。大切な家族だから、とか。
 
「……内緒」
「ぶーぶー!」
「ぶーたれない! ほら、おねえちゃん、もう一度! もう一度だけ作ってみよう?」
 
 不満を漏らすおねえちゃん。
 それでも、フライパンは素直に握ってくれました。
 この熱意、実ってくれれば良いのですけれど……
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 数日後。
 私達はこの日も料理の特訓に励んでいたのですが、この日のおねえちゃんはどこか雰囲気が違いました。
 相変わらずミスばかりしているのですが、どこか軽やかというか……熱意だけではなく、楽しむ気持ちも持っているような印象です。
 
「おねえちゃん、なんだか嬉しそうだね」
「あ、分かっちゃいますか〜」
 おねえちゃんがくるりと回転してスカートを翻し、冷蔵庫を開けると、中に入っていた失敗作の山が無くなっていました。
 
 
「あれ? あの卵焼きらしきものは? 捨てたの?」
「ううん。それがね、昨日パワポケさんが遊びに来て、全部食べてくれたんだ」
「ぜっ、全部!? あれを!??」
 少し声が裏返りました。
 でも、おねえちゃんはそんな反応も気にせずに言葉を続けます。
 
「うん、偶然見られちゃったんです。
 で、新生活の為に練習しているって言ったら、味見と言って食べてくれたのですよ。そしたら……」
「そしたら……?」
「美味しい、って。
 味は外で食べる料理の方が良いけれど、こっちの方が満足感があるって」
 
 両手を頬に当て、顔を赤らめてのろけられました。
 一方の私は、お腹を壊さないかという心配や、ちょっと羨ましい気持ちもあり、複雑な感情ではあるのですが……。
 
 
 
「これも料理を教えてもらったお陰です。本当にありがとう!」
 ……良かったと思います。やっぱり。
 
「その調子で料理が好きになってくれたら、手伝った甲斐があったってものかな」
「うん。料理、好きになれそう。
 そうねえ……パワポケさんと、料理ができない姉の為に愛情を持っておせっかいを焼いてくれる妹さんの次くらいには」
「なっ……!?」
 
 
 にっこりと笑むおねえちゃん。
 それにつられて、狼狽の表情を浮かべた私も、すぐに頬が緩みました。
 ……そのうち、もう一度ビーフストロガノフを手伝ってあげましょうか。