二機のバイク型飛空挺は、幾多の0と1の海を越える。
 
 宙に広がる緑色のチューブ状の走行路は、KEEP OUTのパネルに囲まれている。
 整然と並ぶ無機質な電子の壁は、その間を駆ける者に心地良い重圧を与えてくれる。
 現実世界を再現したコースもあるが、この電子的なコースも人気は高かった。
 
 はるか下の地上では、その二機を眺めているギャラリーが何人かいるようである。
 しかし、二機うちの後方を走る一機に乗っている主人には、ギャラリーを気にかける余裕はなかった。
 
 
 
 
(このコーナーで……仕掛ける!)
 主人は神経を研ぎ澄ませる。
 最終コーナーに入る直前でスロットルを弱めた。
 機体後方に付けられたバーニアの音が弱まり、大幅に減速する。
 空気が抜けきった直後のジェット風船のように、勢いが落ちていく。
 
 視界の端に入っているメーターも減速を示している。
 それが一定値になった所で、機体を振る。
 機体はコーナーの内側を向いた。
 
(今だっ!!)
 それに合わせて、ボタンを押す。
 ぎりぎりまで温存していた限界突破装置が発動する。
 機体が、眩く輝く。
 
 
 
 グォォンッ!!
 
 
 
 バーニアが、吼えた。
 機体が踊るように揺れる。
 処理速度の限界が瞬時に訪れた。
 
 
『FULL THROTTLE MODE!!』
 電子音声が、機能の発動を告げた。
 主人の心臓が強く高鳴る。
 今だ。
 ここで抜く!
 この瞬間の為に、ずっと我慢してきたのだ。
 一気に最大速度まで加速した機体が、コーナーのインを突く。
 そのまま、前方を駆ける機体を追い抜いて千切る。
 
 ……はずだった。
 
 
 
 自身の機体の操作に集中して気がつかなかった。
 前方の機体が、加速以外全く同じ動きをしている。
 前を走っている分、先行機は先にインをつく事に成功する。
 だが、速度はこちらが上。
 先行機は限界突破装置を使い切っている。
 追い抜けないものではない。
 
「くうっ!!」
 実際に声を漏らす。
 主人には、コーナーで加速しつつ、先行機を迂回して追い抜くまでの技量はなかった。
 その背後についたまま、最終直線を迎える。
 同時に機体を外に流すが、そのころには速度が通常時のものに戻っていた。
 こうなってしまっては追い抜けるものではない。
 二機はそのまま、ゴールラインを越えた。
 
 
 
 
 
『勝ったーっ!!』
 先着した機体のパイロットが歓喜の声を上げた。
 
 両機が発着場に戻ると、先着機のパイロットは先に機体から駆け降りて、主人の機体の方に来る。
 主人が降りるころには、そのパイロット……鮮やかな黒髪のレンは、無邪気な笑みを浮かべて主人を待っていた。
 
 
『くっそー、最後のコーナーで抜けると思ったんだけどなあ』
 ぽりぽりと頭を掻く主人。
『ふふふ。主人さんが最後の直線でなく、コーナーで仕掛けてくると読んでいましたよ』
『それじゃあ、完敗か。あー、悔しいっ!』
 そうは言うが、最後まで結果の分からないレース自体には満足していた。
 悔しがる主人も楽しそうではある。
 
 
 
『で……負けた方が相手のいう事を聞くんだっけ?』
『ええ、そうですよ。もう何をしてもらうかは決めていますけれど』
『変な事させないでよね?』
『ふふふ、どうしようかなあ』
 レース前に取り交わしていた約束の事を話しながら、サーキットを出た。
 カクテルライトが、無機質な建物を様々な色で照らす、派手な空間である。
 サーキットの中よりは、外の方が人は多く、全体チャットが雑踏にまみれた。
 はるか頭上には、先程まで自分達が走っていたコースが広がっている。
 サーキットの外は三叉路になっていて、左右の道は別のレースゲームに、前方の道はサーキットエリアの出入り口に繋がっている。
 
 
 
『で。です』
 レンがくるりと踵を軸に回転した。
『主人さんはこの後、暇です?』
『そうだね。まだ暫くINしているつもりだけれど』
『それじゃ、今から他のエリアに遊びに行きましょう!』
『うん。………ん?』
 一度頷く。
 だが、彼女の言葉に引っ掛かりを覚えて、縦に振った首を横に動かした。
『どうかしました?』
『あ、いや……いいや。行こうか』
『はいっ!』
 元気良く返事をしたレンは、先にサーキットエリアの出入り口に向かった。
 
 
 
「……別にそれくらい、いつでも付き合うんだけれどな」
 そう呟いて、主人もアバターを動かした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
亜空間喫茶Dennou
 
第四話/ゲーム・ウォーカー
 
 
 
 
 
 
 
 
 ツナミネットには、スポーツエリアやラブエリア以外にも、多くのエリアがある。
 
 デフォルトのログイン場所であり、総合交流スペースとして多くの役割を担うセントラルシティ。
 ファンタジーや近代戦争の世界観を再現した、ファンタジーエリアとバトルエリア。
 カジノエリア、サーキットエリアはその名の如きエリアである。
 更には、プレイヤーの個室が立ち並ぶ居住エリアもある。
 実在する名所を再現した観光エリアでは、実際の旅行さながらの気分を味わう事が出来た。
 また、当然ながら、各種ゲームジャンルに応じたエリアも多数存在する。
 加えて、各企業が自社PRの為に提供している個々の企業エリアや、個人が製作したエリアまで存在している。
 
 さながら”津波”のようにどこまでも伸びていく世界、それがツナミネットである。
 ここには、世界の端はない。
 
 
 
 
 
 この日主人とレンは、観光エリアに行く事にした。
 レンの一度行ってみたいという希望に応え、孤島上の修道院を再現した区画を歩いて回る。
 異国感の漂う石造の修道院と、石畳の通った町並みは美しく、
 主人も始めて見る世界に気持ちを高ぶらせながら、レンと遊び歩いた。
 
 
 ツナミネットは、全世界にユーザーを広げている。
 当然ながら外国人のユーザーもおり、日本人ユーザーとは比較にならない程多く存在する。
 自動翻訳が高速で発生する為に、彼らの発言の意味は主人にも理解できる。
 
 特に二人が歩いたような場所には、外国人ユーザーは多い。
 よって……二人はこの日”海外の声”というものを多く耳にした。
 
 
 
 
 
『おい、あのアバターの質、とんでもないぞ』
 
『殆ど実際の人間そのままだわ』
 
『自作できる奴はいるが……』
 
『それよりも負荷だ。こんなに人がいて負荷がかかる所で、どうすれば動けるんだ?』
 
『ヒューッ! しかもすごく可愛いじゃないの!』
 
『隣の男、帽子とったらハゲてるんじゃないのか?』
 
『オウ、救急車ヨンデクダサーイ!』
 
 
 
 
 
 ざっと、こんな所である。
 
 レンのアバターは、半年前には既に完成していた。
 当時は高負荷な場所では動かす事はできなかったのだが、
 レンがその問題を解消するには、半年ではお釣りが来る。
 今や、彼女のアバターで動く事の出来ないエリアは存在しなかった。
 
 それだけの技量を用いてツナミネットで遊んでいるユーザーは、そうそういるものではない。
 注目の的になりながらも、二人は大いに観光エリアを遊び歩いた。
 
 
 
 
 
 
 
 ………
 ……
 …
 
 
 
 
 
 
 
 一通り遊び終えた二人は、セントラルシティーの広場に帰ってきた。
 広場の片隅に円状のテーブルがあり、そこを囲うベンチに向かい合って腰掛ける。
 
 セントラルシティーは最も人が行き交うエリアではあるが、その分とにかく広い。
 二人がいる広場は、多々ある交流スペースの一つに過ぎず、
 付近を行き交うアバターは数える事が出来る程度で、落ち着いて話が出来た。
 
 
 
『ふぅー、今日は色々と回りましたねえ!』
 レンはハイテンションでそう言いながら、修道院の土産屋で買った課金アイテムの拳銃をくるくると回した。
 日本の土産屋における木刀の如く、海外の土産屋でも武器は売られていた。
 
『そうだねえ。レンはああいう修道院とか、歴史とかにも興味があるの?』
『うーん……まったくないわけじゃないですよ。
 でも、どちらかといえば興味があるのは建築の方でしょうか。それで行きたかったんです。
 物造りなら、大体何でも興味があるんですよ』
 レンが、はにかむ。
『なるほど。そっちか』
 主人は両腕を組み、ふむ、と感心の声を実際に漏らした。
 
 
 
「レンって、もしかしたら凄い子なのかな……」
 そう口にするが、言いながら、本当に凄いのだと気がつく。
 
 海外でも感嘆される高度なアバターの製作技術に、それを無理なく動かせる最適化技術。
 botの製作にも精通しており、技術者としての能力は、主人の理解可能な範疇には収まっていない。
 ツナミエレクトロニクスの採用試験で最終面接まで残った事からもレベルの高さは明らかであり、
 そこは最終的に落とされたものの、それでも一分野では名を馳せる和桐製作所に採用され、春からは社会人である。
 
 
 
 
 
 
 
『でも、造るのと同じ位、遊ぶ事も好きなんですよ』
 主人が感心していると、レンが言葉を続けた。
『この間もリアルの方で、ボドゲイベントに参加したんですけれど、楽しかったですよ』
『ボドゲ?』
『はい、ボードゲームです。略してボドゲ』
『ボードゲーム……』
 レンの言葉をもう一度鸚鵡返しにする。
 頭に浮かんできたのは、人生ゲームとモノポリーだった。
 
『人生ゲームとか、ああいうの?』
 考えた事をそのまま口にする。
『ええ、そういうものも含まれます。
 最近の流行は、また違ったものですけれど』
『ああいうのってどこでやるの? ゲーム屋さんとか?』
『ゲーム屋によくあるのはカードゲームスペースです。
 私が今回参加したのは、ゲームメインの貸し会場でのイベントです。
 参加費を出したら、ちょっとしたお菓子とドリンクが付いくるんです』
『ふむふむ』
 ちょっと集まって遊ぼう、程度のものかと思っていたが、なかなか本格的なイベントのようである。
 
 
『参加者は二十人くらいだったかな……
 知らない人ばかりで、はじめは不安でしたけど、みんな仲良くしてくれたんで良かったです♪』
(オタサーの姫って奴かな)
 目の前の黒髪アバターを見る。
 アバターでもそう感じられる位、掛け値なしで美人である。
 加えて、打ち解ければ社交的でとても明るい。
 男性陣がちやほやするのも無理はない。
 少しだけ、変な目に遭っていないか心配になる。
 
 
『ちなみに遊んだゲームは……』
 レンが思い出しながら喋る。
『カタンやドミニオンは当然として、
 あとは気になっていた物を中心に、ニムトに、十二季節に、お邪魔者に、ええと……』
(オタサーのガチって奴だった)
 なんだか分からないが、分からない分コアなのだろう。
 かくりと力が抜ける主人であった。
 
 
 
『どれもやった事ないなあ。どういうゲームなの?』
『ううん、一言じゃ言い難いんですけれど……』
 レンが考え込むような仕草を見せて溜めを作る。
 
『………陥れるゲーム?』
『うわあ』
『ち、ちょっと大雑把過ぎました^^;』
 レンは慌てて首を横に振った。
 
『あくまで競うのが楽しいって事です。
 ボードゲームって、パーティーゲームに似た楽しさがあるんですよ』
『あ、ああ、なるほど……』
『これがコンピュータと遊んでもあまり面白くないんですよね。
 やっぱりボードゲームって、皆で遊ぶのがいいんですよ。
 楽しみを共有できるだけじゃなく、交渉事なんかには人間性が出るんです。
 あと、他にも……』
 レンがなおも語る。
 イベントはよほど面白かったのか、両手を頬にあてがって、ぽやんとした表情で語り続ける。
 アバターがリアルだからだろうか、そんな彼女は特に楽しそうに見える。
 
 
(俺も気が向いたら、普段やらないゲーム、やってみようかな)
 レンのゲーム語りを聞きながら、そんな事を考える。
 影響されやすい男である。
 
 
 
 
 
 
 
『あっ、主人にレンちゃんみっけだニャ☆』
 不意に、独特の語尾の発言が、チャットウィンドウに表示された。
 気がつくと、猫耳のBARUがひょこひょことした足取りで近づいてきている。
『よう、BARU』
『こんばんはー』
 主人とレンが挨拶をする。
 BARUも手を振るモーションで挨拶に答えると、二人の周辺を意味もなくぐるぐると回り始めた。
 
『こんな所で二人っきりで何してるのかニャ?
 もしかしてデートなのかニャー?^^』
 何の事はない、冷やかしである。
『おー、そんな所だなあ』
 主人は軽い調子で返事をした。
 
 一方のレンは何も言わない。
 だが、主人の発言と同時に、彼女のアバターがびくんと不規則に揺れた。
 コントローラーを誤って落とした時のような動きにも見える。
 
 
『ニャニャーッ! お熱い時間だニャー^^
 いいニャいいニャー。ねえ主人。今度あたしともデートしようニャ★』
『そのデートって言い方は止めろよ^^;』
 一度、諌める。
『だけど、そうだな。面白いもの見つけたから、今度遊びに行くか』
 苦笑しながらそう言った。
 主人は、ツナミネットでは、交際という意味でデートという言葉を使っていなかった。
 BARUがどういうつもりなのかは分からなかったが、そう大差はないのだろう、と思う。
 
 
 
 
『……ふむむ』
 そんな二人のやり取りを見ていたレンが、ぼそりと呟いた。
 
『どうかしたの、レン?』
『いえ……主人さんとBARUさん、仲が良いんだなと思って』
『どうだろうねえ』
 肩を竦める主人であった。