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『最近、どうにもダルいんですよねえ』
主人のアバターは、他人事の様にそう口にした。
喫茶Dennouのソファに深く身体を預けるその様は、確かに気だるそうに見える。
そのアバターを操る彼自身もまた、同じように椅子の背もたれにだらしなく身体を預けていた。
『おや、正月ボケですか?』
向かいのソファに座って話し相手になってくれているウズキが聞き返す。
『ううん、そうなのかな……そうなのかも』
『はっきりしませんねw』
ウズキが笑う。
確かにその通りで、自分の事ながら主人も釣られて表情を緩めた。
……一月も中旬に突入した。
正月休みはとうに終わり、世間様は、学業なり仕事なりに向かい合っている。
とはいえ、色物揃いの喫茶Dennouの面々には、平日の昼間でもログインしている者が多い。
この日もまだ午後二時だというのに、主人、ウズキ、ミーナの三名が喫茶Dennouに入り浸っている。
ウズキは警察官である。
この日INしていたのは、たまたま非番の日だった為である。
ミーナはフリーのジャーナリストだ。
会社勤めではない彼女の休日は不定期で、ウズキ同様に、たまたまこの日がその休日である。
つまりは、この三名の中で本当の暇人は、無職の主人ただ一人だった。
『やっぱり正月ボケなのかなあ。求職活動しようって気持ちにならないんですよね』
『それは単に主人さんが駄目人間なだけだと思います』
ウズキがジト目で言う。
主人に反論の余地はない。
『お仕事が見つかるまで、また”アルバイト”しますか?』
そこへミーナが近づいてきた。
いつも通り、表情にはにこやかな笑みを携えていた。
アバターは普段通りのエプロンスタイルで、ココアを二つと、キャラメルカプチーノを手にしている。
主人とウズキの前にココアを一つずつ、主人の隣の席にキャラメルカプチーノを置き、彼女はその前に腰掛けた。
キャラメルカプチーノは、ミーナだけの特別メニューだった。
『いつもごちそうさまです』
『ココアどうもです。
……で、”アルバイト”と言うと……やっぱりアレですか?』
主人がおずおずと尋ねる。
『はい、アレです。私のお仕事のお手伝い♪』
『お断りします』
即答する。
過去にも、ミーナの仕事を手伝った事があったが、
裏社会の実態調査等、命の危機に晒されるような”アルバイト”をする事もあった。
そういう仕事をしている彼女の事が心配ではあったが……それはそれ、これはこれである。
『それは残念です。主人さん頼りになるのに』
ミーナが笑顔で言う。
おそらくは冗談で誘ったのだろうが、怖い冗談である。
『ところで主人さん、年末年始はどう過ごしていたんですか?』
ココアを一口すすって、ウズキが尋ねた。
『年末年始ですか? ええと……』
主人は一度言葉を切って、自分の生活を振り返る。
『ええと、まずルームメイトの開田君と初詣に行って……』
そう打ち込みながら、ちらと隣の部屋への扉を見る。
主人は、大学時代に野球部で共に汗を流した開田具智とルームシェアをしていた。
『あとは、ゲーム』
『他には?』
『漫画』
『他には?』
『ゲーム』
『さっき聞きました』
『食う。寝る。テレビ』
『ダラけましたね』
『うぐう』
唸り声を漏らすが、主人が言ってもちっとも可愛くない。
しかし、己の生活を振り返ってみれば、自分でもダラけたと思える日々だった。
多少外出したからBARU程酷くはない、と主張しようかとも思ったが、虚しいだけなので止める事にする。
『ちなみに、ゲームは新作の野球ゲームをやってたんですよ。
選手育成モードにハマって、一チーム分は選手作ったかも』
『ダラけましたね』
今度はミーナに突っ込まれる。
『そ、そこまで駄目じゃありませんよ!? 運動もしましたから!
テレビでやってた野球特番に触発されて、久しぶりに開田君とキャッチボールとか素振りとか』
『あら、ちゃんと身体も動かしたんですね』
『そりゃもうガッツリと』
偉そうに言う。
もっとも、久しぶりすぎて筋肉痛が酷く、それが、翌日以降引き篭る原因となったわけであったのだが……。
亜空間喫茶Dennou
第二話/野球ゲーム講座の二時
『あ、野球ゲームと言えば』
ふと、ウズキが発言した。
彼のアバターがメガネを弄るような仕草を見せる。
『ふむ?』
『一つ気になっている事があるんですが、教えてもらえますか?』
『なんでしょう? 俺に分かる事でしたら』
主人はこくりと頷く。
『まず……野球ゲームって結構な頻度で出ていますよね』
『ええ、そうですね。
コミカルだったり、リアルだったり、色んなシリーズものがありますけれど、
どのシリーズでも、年に一本以上は出ています』
『ふむ……やはり結構出ていますね』
ウズキが一度言葉を切る。
『他のジャンルであれば、シリーズ毎の内容の違いは明白ですけれど、
野球ゲームって、そんなに違いがあるものなんですか?
私には、どれも変わらないように思えるのですが……』
『ウズキさん、違うっ!!』
主人は力強く主張した。
ウズキが喋りきるなり即座に反応したからか、それともその勢いが意外だったのか、
ウズキのみならず、隣に座っているミーナも目を丸くしている。
主人はそんな二人をそれぞれ一瞥してから、言葉を続けた。
『いいですか? 野球ゲームはまず毎年、選手データが違うんです。
野球好きとしては、その年を戦い抜いた選手を操作したいものなんですよ!』
『ふむ』
ウズキが頷いた。
ミーナも興味深そうに主人を見ている。
『それに、俺が遊んでいる野球ゲームの場合は、
グラフィックも毎年試行錯誤して新たなこだわりを見せているんですよ。
観客の動きだったりとか、プレーに対する選手の仕草とか、選手の顔だとか、
小さな事からコツコツと、実際の野球とのリンクを試みているんです!!』
『ふむふむ』
『それだけじゃありませんよ。最近の野球ゲームはモードが抱負なんです。
選手育成モードは毎回シナリオが異なりますし、ギャルゲー要素もあるんですよ。
それに、オンラインとも連動しているからシステムに広がりがでています』
『ふむふむふむ』
『他にも、シミュレーション系のモードも充実しています。
このお陰で、作った選手でこれまたどっぷりと遊べるんです。
もう遊び応え抜群で、毎年、いくら時間があっても遊び尽くせないんです!!
もはや野球ゲームは、時を吹き飛ばしてしまう悪魔の円盤と言っても過言ではありませんっ!!
ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……』
『『おぉぉぉぉ〜〜っ』』
主人が喋り終える。
彼の力説に圧倒された二人は、感嘆の声を揃えた上で拍手を送ってくれた。
『なんだか良く分かりませんが、とにかく凄いという事は分かりましたです』
『そ、それはどうも』
ミーナが深々と頷きながら言う。
なんだか良く分かって貰えなかったのは残念であるが、主人もひとまず礼を述べた。
『その中でも主人さんが熱中していたのが、選手育成モードなのでしたっけ?』
続けて、ウズキが一つ尋ねた。
『そうそう。色々と良い所はありますけれど、やっぱりこれが一番面白いんです。
もうこの為に買っていると言っても過言じゃありませんよ』
「……あれ?」
そこまで言って、主人はふと思い立った。
一度モニターから視線を外し、こめかみに指を当てて考え込む。
「そういや俺、選手育成するばかりで、野球自体はあまりやっていないな。
野球ゲームのはずなんだけれど……」
そうなのである。
育成モードのお話や、ヒロインとの交際を楽しむのが主で、
育成の為の試合や、作った選手を用いて遊ぶモードはおざなりになっていた。
ゲームの良い所は主張できるものの、彼自身は偏った遊び方をしているのである。
部屋の隅のラックに並んでいるゲームのパッケージを見ながら、これで良いのかと自問する事暫し。
「……まぁ、良いか」
結局彼は、深く考えない事にした。
『いいですねえ。私も野球やりたいです。
あ、おかわり持ってきますね』
主人の力説に影響されたのか、ミーナが立ち上がりながらそう言った。
彼女はカウンターの中に入り、すぐに戻ってくると、新しいココアを手にしていた。
主人が喋っている間にココアを飲み干していたウズキにそれを差し出して、彼女は再び主人の隣に腰掛けた。
『ハッピースタジアムはサービス終了したけれど、
ただの野球ならスポーツエリアでできますし、久しぶりにやりますか?
INしているのは三人だけだから、できるのはキャッチボールくらいですけど』
主人がそう返事をする。
『あ、違います。ハッピースタジアムじゃないです。本当の野球です』
だが、ミーナは恥ずかしそうにはにかみながら頭を左右に振った。
それから、照れ隠しなのか両手でキャラメルカプチーノのカップを掴み、顔を隠すようにして飲む。
アバターの裏で同じように照れているのだろうか、と思うと、その仕草は一層可愛らしく感じられた。
『私、これまで野球とは縁がなかったですけれど、
ハッピースタジアムで試合をして、興味持ちました。
一度、本当にやってみたいです』
彼女はなおも恥ずかしそうに言う。
ミーナとは実際に会った事があるが、褐色肌に薄墨色の髪の持ち主で、純粋な日本人ではないようだった。
その為か、彼女の日本語には少したどたどしい所がある。
『本当に野球を、ですか。楽しそうですね。
私も本当にやったのは学生時代以来かもしれません』
ウズキが前向きに言う。
『いいですね! 暖かくなったらキャッチボールオフ会でもしましょうか。
道具は昔のチームメイトから借りてきますよ』
主人は破顔してそう言った。
正月、久しぶりに感じたボールの重みには、心地良いものがあった。
就職活動はさておいて、本格的に野球の練習を再開しようと思ってさえいた。
『では、私も時間を作らなくてはいけませんね』
ウズキが頷く。
彼はハッピースタジアムの決勝で、上司の命令に背いてツナミに対立した為に、南方の島国に左遷されていた。
『話が本格的になってきましたね。楽しみです!
……でも、本当の野球、ちゃんとできるかちょっと心配です』
発端のミーナも当然乗り気ではある。
ただ、不安でもあるようでそれを口にした。
『仕事で身体を動かす事のあるミーナさんやウズキさんは別としても、
インドア派が圧倒的だから、多分皆似たり寄ったりだと思いますよ。
上手くできなくても恥ずかしくありませんから、楽しみましょう』
『主人さん、ありがとうございます』
ミーナはぺこりとお辞儀を返す。
顔を上げてから、カップをもう一度口につけて一気に飲み干す。
空になったカップを片手に、彼女は軽い足取りでカウンターへおかわりを作りに行った。
その後も暫くの間、野球の雑談に興じる。
喫茶Dennouにはいつも通り、緩やかなBGMが流れていた。
電脳空間といえども、暖かな質感を醸し出している木造の建物は、気持ちを落ち着けてくれる。
会話の流れも激しくはなく、文字を追うのに疲れる事もない。
そんな落ち着いた空間で話すのは気分が良い。
店舗上部に設置された、静かに回るシーリングファンを遠めに眺めながら、主人はそんな事を考える。
喫茶Dennouは、どちらかと言えば賑やかな事が多い。
その震源は主にBARUとレン、それに、二人よりは若干IN率が低いパカとスターである。
彼らとの賑やかな時間もそれはそれで楽しいものであったが、たまにはこうして静かに過ごすのも良いものだ、と思う。
警察官とフリージャーナリストと無職の、平日のゆるやかな時は、そうして過ぎてゆくのであった。
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